ロドルフの父、ガイル・リカールが治めるリカール王国は、小規模ながら山と海に囲まれ、あらゆる資源に恵まれた豊かな王国であった。
しかし、問題は多い。
貧困だ。
リカール王国の人口のうち、大多数が平民で、彼らは貧しい生活を送っている。
一方で、富裕層である貴族は人口の一パーセントにも満たない。しかし、その一パーセントの貴族たちのみが、議会に参加する権利を持っていた。
貴族たちはじぶんたちを優遇する政策ばかり取り、そのため平民の政治不信は高まりつつあった。
さらに同時期、病が流行した。病はひとびとの身体だけでなく、心も蝕んでいく。
国民の不満は爆発寸前。
リカール王国は、揺らいでいた。
そんなとき、救世主が現れた。
聖女、システィーナ・ブラシェールである。
システィーナは、自身の持つ聖なる力で病に苦しむひとびとを救っていった。
さらに、同じく流行り病に罹患した王子、ロドルフを救った。
可憐で美しいシスティーナは、あっという間に国民の心を掴んだ。心を掴まれたのは、国民だけでなくロドルフの心もであった。
当時、ロドルフはアルベール公爵家の令嬢、ローズマリー・ベリーズと婚約していたが、ロドルフの心は命の恩人であるシスティーナに傾いていた。
さらに、流行病が広まった原因がローズマリーの母親のせいであるという噂が広まり始め、国民のなかでロドルフの現婚約者であるローズマリーへの不信は、どんどん膨らんでいく。
一方で、システィーナの国民人気は揺るぎないものとなっていた。
次第にロドルフの心も、ローズマリーから離れていく。
国民の不満の標的が王家からローズマリーへと移ったことは、王家にとって都合のいいことだった。
そのためロドルフの父であるガイル国王は、ロドルフとローズマリーの婚約を破棄させ、国民人気の高いシスティーナをロドルフの新たな婚約者とした。
ほどなくして、病の流行も治まったリカール王国。
宮廷では、晴れてロドルフとシスティーナの婚約パーティが行われることとなったが――全国民が注目していたその夜会で、システィーナ暗殺未遂事件が発生した。
システィーナ暗殺未遂の容疑者として拘束されたのは、ローズマリー・ベリーズ。
そして、ローズマリーはリカール王国民周知の極悪令嬢となったのである。
***
「――それ、どうしたんだ?」
ふと、アベルに声をかけられて私は顔を上げる。アベルが怪訝な顔をして、私の背後を覗き込んでいた。
ここは、私の牢獄だ。
そして今、アベルは見廻りという体で私を訪ね、国中に広まった麻薬キャンディ回収の進捗を報告してくれていたのだ。
我に返ってアベルの視線を辿ると、そこにはルドヴィックがくれた花があった。花びらがドレスの裾のようにひらひらとした美しい緑色の花だ。寒々しい牢獄によく映える。
「あぁ、これ? これね、ルドヴィックがくれたの」
「ルドヴィック?」
アベルは少し考えてから、「ローズマリー付きの監視官か」と、合点がいったような顔をして言った。私は頷く。
「しかし、なんでまた」
アベルは怪訝そうに訊ねた。無理もない。私とルドヴィックは、囚人と監視官。ふつう、相容れない関係だ。
「少し前に、ルドヴィックから夫婦喧嘩の相談を受けたの。そうしたら、奥さんのエミリーさんと仲直りできたお礼と、これまで私のこと誤解してたお詫びに、ってこの花をくれたんだ。エミリーさん、お花を育てるのが大好きらしくて」
この花は、私のためにルドヴィックがエミリーさんとふたりで選んでくれたらしい。
「お礼に……」
「きれいでしょ?」
それに見て、と私は牢獄内を振り返る。
「この花のおかげで、薄暗かった部屋のなかが一気に華やいだと思わない?」
言いながらあらためてアベルを見ると、アベルは「そうだな」と苦笑した。
「さて、それで本題に戻るが」
「あ、うん」
そうだった。今はそんなことを話している場合ではない。アベルの真剣な眼差しに、私は姿勢を正した。
アベルの話によると、現在キャンディの回収率は九十パーセントを超え、今のところ他国の動きに目立つものもないらしい。
「問題は、だれがどんな目的でキャンディをばらまいたのかが分からないままってことだよね……」
他国が関係しているとしても、私を陥れる意味が分からない。
「そうだな。王宮内部に他国のスパイがいることも考えられるし」
「スパイ……」
「とにかく、王宮の人間はみな正気に戻りつつある。ひとまず安心しろ」
「……うん」
アベルはスパイがいる可能性を考慮した上で、これからも慎重に捜査を続けていくと話した。