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第21話

 そして、ふう、と息をつきながら私を見た。

「……おまえのその知り合いも、仲直りできるといいな」

「えっ……」

 まさかそんなことを言われるとは思わず、ルドヴィックの顔を見つめたまま、私は一瞬固まってしまう。

「あ……うん、そうだね」

 戸惑いながら返事をした私に、ルドヴィックが首を傾げる。

「どうかしたか?」

「あ、いや……その、実はさっきの話、私の両親の話だったんだよね」

「なに!? そ、そうなのか!?」

 もちろん、ローズマリーの両親ではない。現代に生きていた頃の両親だ。

 私は、怒りっぽい母親と口下手な父親とのあいだに生まれたひとりっ子だった。

 母親はいつもいらいらしているひとで、ことあるごとにため息をついていた。父親は口下手だったから、怒りっぽい母親の機嫌を取ることはあまり上手くなくて、結局母親の態度に疲れ切った父親はどんどん仕事の帰りが遅くなっていった。

 そのせいで母親は余計不機嫌になり、私に当たり散らすようになって、その姿を見た父親はさらに帰りが遅くなる。

 負のループだった。

 そういう家庭で育ったおかげで、私は、家でもよそでも常に気を遣っている子どもだったと思う。

「私ね、お父さんとお母さんにただ笑ってほしかったんだ」

 ふたりに笑ってほしくて、私はいつも頑張っていた。変顔したり、学校であった面白い話を誇張して話したり、とにかくいろいろ頑張った。

 だけど、

「くだらないって、ばっさり言われちゃってね」

 笑おうと必死に変顔する私を、母親はひどく叱った。殴った。そして余計、不機嫌になった。

 そのとき私は、じぶんは無力なのだと思い知って、なににも期待しなくなった。

 けれどもし、私があそこで諦めていなかったら、私の家庭はまた違うかたちになっていたかもしれない。だけど、あのときは頑張れなかったのだ。私も子どもで、そんなに余裕があったわけでもなかったから。

「くだらないだと!? なんてひどい母親だ! 子どもが親のためにやっているというのに! おまえの母親は、子どもに気を遣わせていることも分からないのか!? 今すぐ俺がその心根を叩き直して……」

 ルドヴィックがぷんすかと怒り出す。

「ルドヴィック、落ち着いて。この話はもうずっと昔の話だし、怒ってくれて嬉しいけど、あのときはお母さんもいっぱいいっぱいだったんだと思うの。それに、私はもう怒ってないから」

 ルドヴィックが私を見る。疑う眼差しだった。

「……そうなのか?」

「うん」

 私は静かに頷く。

「そうか……なら、まぁいいが。それにしてもその……なんだ。おまえはなんか、アレだな」

「アレ?」

 アレとはなんだ。私は首を傾げる。

「ルドヴィック? どうしたの?」

「……いや、俺はどうやら、おまえのことを誤解していたようだと思ってな」

「え」

 目をぱちくりと瞬かせていると、おもむろにルドヴィックがずいっと私に向き直り、頭を下げた。

「ローズマリー、本当に申し訳ない!」

 ぎょっとする。

「……ど、どうしたのいきなり?」

 ルドヴィックは顔を上げると、眉を下げて私を見た。

「俺はずっと、おまえの悪い噂をぜんぶ信じてきた。思えば俺は、おまえとはなんの面識もなかった。それなのに、噂を鵜呑みにして、悪人だと決めつけていた。だけど、こうして話してみて自覚したよ。俺の目にはとてもおまえが悪いことをするようなやつには見えない。だって、俺にアドバイスしているときは、完全にお人好しの顔をしていた。おまえは本当は、すごく良いやつだ」

「……そ、そう?」

 あらためて言われると、なんだか恥ずかしくなってくる。

「おう! 虫一匹たりとも殺したことなさそうだ!」

「ふふっ。それは大袈裟じゃない?」

 つい、笑みがこぼれる。

「……でも、信じてくれてありがとう、ルドヴィック」

 それだけ言って、口を閉じた。これ以上話したら、泣いてしまいそうだった。

「エミリーに届くといいね、ルドヴィックの想い」

 ルドヴィックが苦笑する。

「想いって、それこそなんだか大袈裟だな」

 ルドヴィックがまた照れくさそうに笑う。こうしてみるとなるほど、その笑顔は年相応の青年に見えた。

「大袈裟じゃないよ。対抗するわけじゃないけど、ルドヴィックも私に負けず劣らずすごく素直でいいひとだと思うよ」

 いたずらっぽく言うと、ルドヴィックがからからと笑った。つられて私も笑う。

「エミリーさんはきっと、ルドヴィックのそういう飾らないところを好きになったんだね」

「そ、そうだろうか?」

 ルドヴィックは恥ずかしそうに頬を掻いている。だけど、その横顔はまんざらでもなさそうだ。思わず笑ってしまいそうになる。

「うん、きっとそう。あ、そうだ! もし話すのが照れ臭かったら、プレゼントで愛を示すとかいいんじゃないかな?」

 ルドヴィックが考え込む。

「プレゼントか……そういえば、もうしばらく贈りものなんてしていなかったから、いいかもしれない」

「本当!? それじゃあなおさら、プレゼントの効果は大きいよ!」

「そ、そうか!? で、でも、なにをあげよう……」

 うーん、と遠くを眺めるように考え出すルドヴィックにならって、私も考える。

「エミリーさんはどんなひとなの? なにが好き?」

「そうだなぁ……エミリーは、花と木の実が好きだな。エミリーは案外、女の子らしいところがあるんだ」

 ルドヴィックはどこか嬉しそうに言った。

「なるほどなるほど。それなら、花束と木の実が入ったクッキーとかがいいんじゃない!? 聡明なエミリーさんならきっと、高価なものをもらうより、そういうちょっとした好物をあげるほうが気持ちが伝わるよ!」

 ルドヴィックの表情がパッと晴れていく。

「そうか! ありがとう、ローズマリー! さっそく買いに行ってみるぞ!」

 軽やかな足取りで牢獄を出ていくルドヴィックを、私は笑顔で見送った。



 ***



 それから数日後、私の牢獄へやってきたルドヴィックは、無事妻のエミリーと仲直りをしたと言って笑った。

 現在ふたりは、仲直りの記念に遠方への旅行の計画を立てているという。

 旅行の計画について話すルドヴィックはとても嬉しそうだった。

「それにしても、無事仲直りできてよかったね」

「ローズマリーのおかげだ。礼を言う」

 笑いかけると、ルドヴィックも嬉しそうにはにかんだ。その顔に、私は余計に嬉しくなる。

「違うよ。ルドヴィックが勇気を出してエミリーさんと向き合ったからだよ」

 ふと、ルドヴィックの視線を感じて顔を上げる。ルドヴィックは、なぜか私をじっと見つめていた。私は首を傾げる。

「どうかした?」

 訊ねると、ルドヴィックは「いや」と呟き、そして、少し気恥ずかしそうにしながら続けた。

「……俺はローズマリーと話して、改めて顔を見て話すことの大切さを思い出したよ。それから、噂というのは、実にあてにならんものだともな」

「…………ルドヴィック」

「今まで、ひどい態度をとって申し訳なかった。あらためて言わせてくれ」

 ルドヴィックはそう言って、もう一度深く頭を下げてくれた。

「ううん。罪人に厳しくするのが監視官の務めなんだから、ルドヴィックはなにも間違ってないよ。……だけどありがとね、本当に」

 たったひとことの謝罪でも、心はずいぶん楽になるものだ。アベルのときにも思ったけれど。

「して、ローズマリー。俺はじぶんの目で見たものや聞いたものを信じることにしたんだが、おまえは有罪なのか?」

 ルドヴィックらしいまっすぐな問いかけだった。

「……ううん。私は、やってないんだ」

 ルドヴィックは私の返答に、目を閉じて数回小さく頷いた。

「……そうだったのか」

 そう噛み締めるように呟いたのち、まっすぐに私を見つめた。

「俺はローズマリーを信じるよ」

 さて、その日のリカール王国は、とても素晴らしい快晴だったという。

 しかも、私がこの世界に来てはじめて晴れた日だったとか。

 残念ながら私は牢獄のなかだったから、青い空を見ることはできなかったけれど。

 けれど、私の心はその日のリカール王国の快晴と同じくらい、あたたかな光を感じていた。


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