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第20話

「このキャンディを舐めると、落ち込んだ気分が楽になるんだ。それだから、ついな……」

 つまりこの監視官も、魔法の中毒性に当てられていたということか。

 呟く監視官の顔は、どこかげっそりとしているように見える。なんというか、態度も声も大きくて苦手だと思っていたけれど、案外繊細なところもあるひとなのかもしれない。

「……あなた、もしかしてなにか悩みごとでもあるの?」

 悩みがなければ、一斉回収されるほどのキャンディに依存もするまい。

 おそるおそる訊ねてみると、監視官はふいと目を逸らす。そしてほんの数秒、目を泳がせてから言った。

「……実は、妻と最近上手くいってなくてだな……」

「え」

 てっきりおまえには関係ないだろう、と怒鳴られるかと思ったのだが。意外にも、監視官は素直に話してくれた。

 監視官は、名前をルドヴィック・ブルゴーといった。

 二十四歳の青年で、牢獄付きの監視官となったのは今年。

監視官として罪人の担当につくのはローズマリー(私)が初めてで、まだ監視官としては新米らしい。

 そんなルドヴィックには、結婚して五年目のエミリーという妻がいるという。しかし現在、そのエミリーとの関係に悩んでいるのだそうだ。

 とはいえ内心私は、彼の悩みのことよりも現世でのじぶんより彼の年齢が若かったことに驚いていた。

 だって、私よりぜんぜん若いくせに結婚して世帯持ちとか、地味に落ち込む……。

「妻のエミリーは、最近なぜだか妙に不機嫌でな……」

 ルドヴィックの呟きに、ハッと我に返る。今は落ち込んでいる場合ではなかった。

「でも、なぜだかっていっても、理由はあるでしょ? 最近喧嘩をしたとか、もしくはなにか環境が変わったとかじゃないの?」

「いや……それがな、喧嘩はしてないし、環境が変わったといえば、今年出世して給金が上がったとかくらいなんだよ。でも、それはいいことだろ?」

「まぁ、それはそうだね……」

 それなら、エミリーが不機嫌な理由はなんだろう。

 ルドヴィックがあまりにも気が利かないとか。

 もしくはルドヴィックの洗濯物が臭すぎるとか?

 若いし、それはないか。

 うーん、うーんと考えていると、ルドヴィックは頭の後ろで手を組みながら、空を仰いだ。

「それなのにさぁ、理由を聞いても教えてくれねーんだよ。聞いたら、じぶんで考えろって余計に怒るばっかりでさ。もうやんなっちゃうよ」

「あーね……」

 どうやらルドヴィックの家は、典型的な夫婦喧嘩の真っ只中のようだ。前の世界もこの異世界も、変わらず夫婦の喧嘩は犬も食わなそうだ。

 とはいえ、こういうときはだいたい夫が悪いと相場が決まっているのだが(偏見)、しかし男は鈍感だから(失礼)そのことに基本気づかない。つまり、たぶん原因はルドヴィックで、ルドヴィックが悪いのだと思う(あくまでローズマリーの私見)。

「なぁ、ローズマリー。俺はどうしたらいいと思う? こっちは分からないから聞いてんのに、怒るなんてひでぇよなぁ!?」

 ルドヴィックは情けない声で、私に助けを求めてくる。

「ま、まぁ、それはね……」

 たしかにそれは、私もそう思う。

 ふと、現代で言われ続けてきたことが脳裏をよぎった。

『――言われたことだけやったって、仕事とは言わねぇんだよ! 言われる前にじぶんで仕事を見つけろっつってんだ!』

 不満だった。どうしてやれと言われたことをやって怒られるのか。新人がそんな視野を広くできるわけがないのに。少し考えれば分かるはずだ。

『――私がなんで怒ってるのか分からないの!? 少しはじぶんで考えてみなさいよ!』

 分からないから聞いてるんだよ。逆に、なんで怒るの? 聞かなかったら聞かなかったで怒り出すくせに。

『――いい加減、バカみたいにヘラヘラするのはやめなさい!』

 ムスッとしていたって、なにも変わらないから笑うんじゃん。あなたこそ、なんでそんなにいつも怒ってるの。

「…………」

 私がため息をつくと同時に、ルドヴィックも深いため息をついた。

「最近はそのおかげでどんどん家にいづらくなっちまってよ……毎晩、友だちと飲み明かすようになって、家に帰るのは毎日明け方だ」

 本当はもっと早く帰りたいんだけどさ、と言いながら、ルドヴィックはまた深いため息をつく。

「なるほどね……」

 たしかに、仕事で疲れて家に帰ってきて、妻がぷんぷんしていたら、ちょっといやかもしれない。しかも分からないから聞いているのに、聞いて逆ギレされてしまったら、なおさらだ。

 そう同調すると、ルドヴィックは前のめりに「だろ!?」と言った。

「分かってくれるか!?」

 私は頷く。

「分かるには分かるんだけど、でもそれじゃ余計に悪循環だよね」

 いつまでも逃げたところで、現状は解決しない。

「だよなぁ……これでもさぁ、昔は素直で可愛くて、自慢の奥さんだったのよ? いつもニコニコしてさ。それなのに、なんでこんなんになっちまったんだかなぁ……」

 言いながら、ルドヴィックは項垂れた。どうやら、理不尽な仕打ちをされても奥さんのことは大好きなようだ。

「……でも、昔は素直なひとだったならきっと、奥さまが怒ってる理由はちゃんとあるはずよ」

「まぁな。でも、教えてくれねーんだから、どうしようもないだろ?」

「そうねぇ……理由くらい教えてくれてもいいものだけど」

 私たちは、ひとの心を読む力はない。

 よく、やられたらいやなことをするなとか、してもらって嬉しいことをしろとか言ったりするけれど、相手がどう思ってるかなんて、結局言われなきゃ分からないと思う。

 たとえば、お腹が減っているときに食べ物をもらったら嬉しいけれど、ダイエットしているときにもらったら、ちっとも嬉しくないだろう。むしろ腹が立つ。

「でも……エミリーさんの気持ちも分かる気がする」

「えっ! そうなのか!?」

「うん。私の知り合いの家庭でもね、似たようなことがあったんだ」

 その家の奥さんは、いつも不機嫌だった。奥さんは旦那さんのことをすごく愛していたのだが、いつも旦那さんの前では怒っていた。

「なんだと!? それではエミリーと同じではないか!? その奥さんは、なんで怒ってたんだ?」

「……理由はね、簡単。旦那さんの帰りが仕事で遅かったから。それだけ」

 ルドヴィックが眉を寄せる。

「でも……仕事なら仕方ないのではないか? 遊んでいるなら怒るのも分かるが……」

「そうね」

 仕事なら仕方ない。でも、そう割り切れる女は少ない。……と、思う。たぶん。

 私は結婚したことがないから、分からないけれど。

「……彼女は旦那さんのことが大好きだから、こう考えてしまったの。夫はもしかして、私のことよりも仕事のほうが大事なんじゃないか。もしかしたら、仕事と偽って、私の知らないところで浮気をしてるんじゃないかって」

 ルドヴィックが弾かれたように立ち上がる。

「それは勘違いだ! 男は好きな女を守るために働くもんだろ!? それに、仕事を頑張れば休みだってもらえて、一緒にいる時間が増えたりするし……浮気なんてひどい勘違いだよ!」

 ハッとした。

「もしかして、ルドヴィックが仕事を頑張ってるのは、休みをもらうためなの?」

「そうだ! 俺は、付き合っていた頃にあいつとふたりで行った祭りにまたあいつを連れていくために、毎日仕事を頑張っていたんだ。……それなのに、浮気とかそんな誤解をされているんだとしたら、あんまりだよ!」

 頬が緩む。どうやら、ルドヴィックはいいひとのようだ。そして、心からエミリーさんのことを愛している。

「……そうだね。その旦那さんも、口下手だけど奥さんのことをすごく愛していて、だから仕事もがむしゃらにやってた」

「ならなんで……」

「そういうことはさ、話してあげなきゃ相手には伝わらないんだよ。だからね、エミリーさんが不機嫌なのだとしたら、それはきっと、ルドヴィックに不満があるんじゃなくて、ただ不安になっちゃっただけなんじゃないかな」

 エミリーさんの本心は、本人にしか分からない。けれどたぶん、これは間違っていないと、なんとなく思う。

 ルドヴィックが呟く。

「不機嫌だったのは、俺に不満があるんじゃなくて、不安だっただけ……?」

 ルドヴィックは「そうか、そうだったのか」と、しばらく呆然と私を見ていた。

「……うん。そうか。たしかにローズマリーの言うとおり、言わなきゃ分からないかもしれないな! ありがとうローズマリー。俺、今日は早く帰る。そんで、ちゃんとエミリーと話してみるよ」

「うん、それがいいよ」

 ルドヴィックは憑き物が落ちたような顔をして、私の牢の地べたに腰を下ろした。



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