目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第19話

 それは、アベルが牢獄を出ていって少しした頃のこと。

「はあぁ……」

 しんとした牢獄に深いため息が響いて、私はなんだろうと顔を上げる。

 ため息の主は、牢獄内の監視役である監視官の男だった。身長はおそらくアベルより少し高いくらいだが、なにしろガタイがよく眼力もあるため、かなり威圧感がある監視官だ。

 あれ? あのひとって……。

 私は記憶を辿る。たしか、私がローズマリーとして目覚めたとき、ひとりで騒いでいたところを怒鳴りつけてきた監視官だ。

 名前はなんと言ったっけ? というか、聞いたことあったっけ……?

 監視官の様子を観察していると、あのときからたった数日だが、いくらか痩せているような気がするのは気のせいだろうか。

 こっそり観察していると、監視官は数回、私の牢獄の前を行ったり来たりしたあと、私の牢獄のすぐ傍にある木製の椅子にドカッと腰を下ろした。

 腰を下ろしながらも、またため息をついている。

 なにかあったのかな……?

 気になっていると、監視官はおもむろに懐からなにかを取り出した。

 それを見た瞬間、私は、

「あーっ!!」

 と思わず叫びながら、檻のなかから手を伸ばす。監視官の手首を掴むと、監視官が驚いた様子で振り向いた。

「おわっ!? なんだおまえ! いきなりなにをする!?」

 驚いた調子で言われるが、驚いたのはこちらのほうだ。監視官が懐から出したのは、例のキャンディだったのだから。彼がもし、休憩がてらこのキャンディを舐めるつもりだったら非常にまずい。

「いきなりなにをする、じゃないってば! なんでそのキャンディ持ってるのよ! 貸しなさいってば、こら!」

 私が監視官の手を引っ張ると、監視官が私の手から逃れようと立ち上がる。私から逃れようと、もがいた。

「な、なんだよ、いきなり! なにすんだよっ!?」

「そのキャンディは食べちゃダメなのっ!」

「おいこら、離せって!」

「離さないっ!」

 必死に訴える私の声には耳を貸さず、監視官は逃れようともがく。こういうとき、じぶんの非力さにやきもきするが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 このキャンディには、悪意が詰まっているのだ。目の前でみすみす食べさせるわけにはいかない。

「あなただって分かってるでしょ!? そのキャンディには、毒が入ってるのよ!!」

 監視官がごくっと喉を鳴らす。

「そ、それは……」

 言葉を濁しながらも、監視官は動揺している。どうやらキャンディがいわく付きであることは、知っているらしい。

「とにかく、今すぐそれを渡しなさい!」

 私は監視官の制服を強く引っ張る。しかし、監視官もなかなか素直にキャンディを引き渡そうとしない。

「いやだ! どうせおまえ、そうやってうそをついて、俺からキャンディを奪おうという魂胆なんだろう!?」

「はぁ!? 違うよ! なんでそうなるの!」

 勘違いも甚だしい。

「これは俺のものだ! 俺にはもうこのキャンディしかないんだよっ!」

 監視官はなかなかキャンディを離そうとしない。

「いいからそれを渡しなさいっ!」

「あっ!」

 私は力を振り絞って監視官からキャンディをひったくると、牢獄の奥へとキャンディを放り投げた。

「ぎゃあっ! 投げた!」

 煉瓦の硬い壁に当たったキャンディは、衝撃で粉々に砕け散る。跡形もなくなったキャンディを見て、監視官が膝から崩れ落ちた。

「あぁ……俺のキャンディが……最後のひとつだったのに……」

 監視官は嘆きながら、キッと私を睨みつける。

「おまえ! なんてことをするんだよ!?」

 大袈裟過ぎるくらいに嘆く監視官に、

「それはこっちのセリフです! このキャンディは回収が命じられてるはずでしょ!? なんでまだ持ってるのよ!」

 追求すると、監視官がぎくりと小さく飛び上がった。

「な、なぜおまえがそれを……」

 アベルは既に、王宮内のキャンディはすべて回収したと言っていた。つまりこの監視官はキャンディ回収の際、自身が持っていたキャンディを隠していたことになる。回収物の窃盗は、重罪だ。職を失うだけでは済まないだろう。

 私はにやりと口角を上げる。

「……ねぇこれ、アベルにバレたらかなりまずいんじゃないの〜? あなたこのキャンディ、回収されないように隠してたってことだもんね?」

 じっとりとした視線を向けると、監視官は諦めたように肩を落とした。

 私はため息を漏らしつつ、

「まったく、隠し持っていたことがバレたら、大目玉を食らうってことくらい分かったでしょーに……。あ、そういえば、そろそろアベルが来る頃かもね? 告げ口しちゃおっかな」

 わざと言ってみる。するとその瞬間、私を見た監視官がハッとしたように目を見開いた。もともと大きな目玉が、さらに大きくかっぴらかれる。迫力がすごい。

「そ、そういえばおまえ、よく見たら最近アベルさまがよく面会に来ていたローズマリーじゃないか!?」

「え? う、うん、そうだけど」

 いや、今さら? てか、よく見たらってなによ。こんな美人、よく見なくてもひとりしかいないでしょーに。

 内心でツッコミつつ、私は監視官をじとっと見つめる。監視官は今度こそ絶望的な顔をして、地面に座り込んでしまった。

「うう……アベルさまにキャンディを隠していたことがバレたらさすがにまずい……。た、頼む。アベルさまには黙っていてくれないか? 俺はまだ職を失うわけにはいかないんだよ」

 どうやらこの大男も、第一王子の秘書官兼騎士であるアベルには逆らえないらしい。アベルのことは只者じゃないと思っていたけど、本当にエリートだったらしい。

 監視官はがっくりと項垂れていた。私は苦笑する。まぁ、お灸はこれくらいで充分だろう。

「……それよりあなた、どうしてキャンディを返さなかったの? なにか理由があるなら、話してよ」

 そう訊ねると、監視官は静かに話し出した。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?