再びアベルがローズマリーの元へ行くと、彼女はベッドに座って目を瞑っていた。寝ているのか、と思って声をかけることをためらっていると、アベルの気配を察したのかローズマリーがパッと目を開ける。
「あら、アベル! ごきげんよう。作戦はどう? うまくいった?」
「あ、あぁ……」
なんとも呑気な顔に、アベルのなかで渦巻いていた毒気がふっと抜けていく。
「……そういえば、そんな話をしていたのだったな」
どうやらローズマリーは、先ほどの話し合いの進捗を報告しに来たと思ったらしい。すっかり忘れていた。
「え、じゃあなにしにきたの?」
ローズマリーがきょとんとした顔を向けてくる。
「……用事がなかったら、来るなと?」
「い、いや、そうじゃないけど」
アベルが軽く睨むと、ローズマリーは戸惑いながら俯いた。アベルは小さく笑った。
「……冗談だ」
「え、冗談? アベルでも、冗談とか言うのね」
ローズマリーは、今度は驚いた顔をしている。
「……今日の朝食は、どうだった?」
アベルが訊くと、ローズマリーが軽やかに起き上がった。
「あぁ、うん! すっごく美味しかったよ! アベルが持ってきてくれると、食材まで変わるのかな〜? いつもより美味しくて、残さず食べちゃった!」
「……そうか」
アベルはふっと笑う。
「……アベル?」
ローズマリーがアベルの顔を覗き込む。
「どうかした?」
アベルは少しためらってから、呟くように言った。
「……なぜなにも言わなかった?」
「え?」
ローズマリーはきょとんとしている。
「食事のことだ。おまえ、ずっと料理人からいやがらせをされていただろう」
今朝、ふつうの食事が出たことに、ローズマリーが驚いた顔をしていたのをアベルは見逃してはいない。それはつまり、普段の食事自体がふつうでなかったということである。
「……あれ、やっぱバレてた?」
ローズマリーはアベルの追求に、可愛らしく舌を出して苦笑した。誤魔化す気のようだ。
「ふざけるな」
アベルが言うと、ローズマリーは少しバツが悪そうに目を逸らした。
「……べつにふざけてないよ。……まぁね、ちょこっとだけホコリみたいなのは入ってたりはしたけどさ。でも、食事が出るだけマシかなって思ってたし」
ローズマリーは、思いのほかケロッとしている。
「あれがマシなわけあるか!」
あんなもの、ひとが食べるものでは到底ない。
アベルがもし、ローズマリーの立場だったら、ぜったいに食べないし許さない。
「え……もしかしてアベル、そのためにわざわざ来てくれたの?」
ローズマリーは、激怒するアベルに驚きを隠せないようだ。
アベルはといえば、ローズマリーの態度のほうがむしろ信じられない。
「当たり前だ! たとえどんな極悪人だとしても、罪は罰で受けるべきであって、いやがらせで精算されるべきではない! 罪人だからとああいった陰湿なものに耐える必要はないだろう」
罪すら犯していない、無実であるローズマリーの立場ならばなおさらだ。
そう必死に訴えるアベルに、ローズマリーはふふっと笑った。
「……なにがおかしい?」
アベルが詰め寄ると、ローズマリーは笑いながらも首を横に振った。
「……ううん、なんでも。それよりも、ありがとう、アベル」
「礼を言われる覚えはないんだが」
「だって、私がいじめられてたことを気にかけて、ここに来てくれたんでしょ?」
「…………」
今度はアベルが目を逸らす番だった。
「アベルって本当に優しいひとなんだね」
不意打ちでローズマリーに顔を覗き込まれる。にこっと微笑まれ、アベルはうろたえた。
「な……なんだ、急に。俺はただ、間違ったことがきらいなだけであって、おまえを庇ってるわけじゃない」
「そっか」
「……それより、俺の言いたいことは分かっているよな?」
アベルの追求に、ローズマリーは頷く。
「……分かるよ。たしかに私も、いやがらせに思うところはある。でもね、私……みんなが私にいやがらせをしてくる理由も分かるの。だって私は、悪役令嬢のローズマリーなんだもん」
ローズマリーは、自嘲気味な笑みを浮かべて呟く。それは、アベルがこれまで見てきた高飛車なローズマリーの姿とは、まるで別人のようだった。
「だってさ、考えてもみてよ? 街のひとたちは、私のせいで街が壊れて、病が流行したと思ってる。それで大切なひとを失ったひともきっと大勢いる。そういうひとたちにとったら、噂は真実なんだよ。噂を信じているひとたちにとって私は、大切なひとの仇。心の底から憎むべき相手よ? それだもの、いじめられて当然だよ」
アベルはキナーの話を思い出した。
キナーはローズマリーが家族を殺したのだと信じ、ローズマリーを心の底から恨んでいた。
たしかにローズマリーの言うとおりだ。でも、違う。ローズマリーはなにもしていない。ローズマリーは、じぶんは無実なのだと、アベルにそう訴えた。だからこそアベルは今、こうして動いているのだ。それなのに、いじめを本人に承認されてはたまったものではない。
「……それはそうだけど、牢獄にいる限り私がいくら騒いだところで、街のひとたちが無実を信じてくれるわけないと思わない?」
「それは……」
まぁ、そうかもしれない。
「だけど」
アベルは悔しそうに奥歯を噛む。
「騒いだって、余計にいやがらせがヒートアップするだけだよ」
ローズマリーの言うとおりだ。投獄中である今の状況で、ローズマリーがいくら無実を訴えたとしても、彼女の声を信じるひとはまずいないだろう。
つまり、ローズマリーがこの牢獄に囚われている限り、彼らにとっては悪役令嬢ローズマリーこそが真実なのだ。
アベルは悔しさに奥歯を噛む。
「私だって、いじめられて喜ぶ趣味はないよ。……でも、真犯人が捕まるまでは耐えるって決めてるんだ。そうでないと、犠牲になったひとたちが報われないから。彼らも、彼らの家族も、どうにもならない悲しみを持て余してる。たとえ私が犯人でなくても、ほかに犯人が見つからなかったら、彼らの気持ちは宙ぶらりんなまま、ずっと消えない」
その力は、下手したら国をも滅ぼす力になるかもしれない。だったら、真犯人が見つかるまでは私という標的がいたほうがいい。そう、ローズマリーは言う。
「だからって……いじめに耐えるというのか。おまえには、なんの責任もないのに」
そんなの、お人好しが過ぎる。そう続けようとすると、ローズマリーがふるふると首を横に振った。
「違うよ。信じてるの。アベルを信じてるから、この状況でも私はじぶんを失くさずにいられる。……でも、私もそんなに気が長いわけじゃないから、なるべく早く真犯人を見つけてくれると助かるかも」
ローズマリーのお願いに、アベルは思わずふっと笑った。
「……当たり前だ。俺をだれだと思ってる?」
牢の柵に寄りかかっていたアベルは、すくっと立ち上がる。
「今はとにかく、少しでも多くのひとの目を覚まさせて、協力をあおることにする。ローズマリー、もう少し辛抱してくれ」
「うん。待ってる」
アベルは牢獄を出る。来たときより、足取りが軽い。
ローズマリーと話したおかげで、ずいぶん心が落ち着いたようだ。
アベルは執務室へ急いだ。
今はとにかく、目の前に積み重なっている問題をひとつずつ解決していく。アベルにはそれしかできない。だけどきっと、それでいいのだ。
執務室へ向かいながら、アベルは素直にそう思った。