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第18話

 再びアベルがローズマリーの元へ行くと、彼女はベッドに座って目を瞑っていた。寝ているのか、と思って声をかけることをためらっていると、アベルの気配を察したのかローズマリーがパッと目を開ける。

「あら、アベル! ごきげんよう。作戦はどう? うまくいった?」

「あ、あぁ……」

 なんとも呑気な顔に、アベルのなかで渦巻いていた毒気がふっと抜けていく。

「……そういえば、そんな話をしていたのだったな」

 どうやらローズマリーは、先ほどの話し合いの進捗を報告しに来たと思ったらしい。すっかり忘れていた。

「え、じゃあなにしにきたの?」

 ローズマリーがきょとんとした顔を向けてくる。

「……用事がなかったら、来るなと?」

「い、いや、そうじゃないけど」

アベルが軽く睨むと、ローズマリーは戸惑いながら俯いた。アベルは小さく笑った。

「……冗談だ」

「え、冗談? アベルでも、冗談とか言うのね」

 ローズマリーは、今度は驚いた顔をしている。

「……今日の朝食は、どうだった?」

 アベルが訊くと、ローズマリーが軽やかに起き上がった。

「あぁ、うん! すっごく美味しかったよ! アベルが持ってきてくれると、食材まで変わるのかな〜? いつもより美味しくて、残さず食べちゃった!」

「……そうか」

 アベルはふっと笑う。

「……アベル?」

 ローズマリーがアベルの顔を覗き込む。

「どうかした?」

 アベルは少しためらってから、呟くように言った。

「……なぜなにも言わなかった?」

「え?」

 ローズマリーはきょとんとしている。

「食事のことだ。おまえ、ずっと料理人からいやがらせをされていただろう」

 今朝、ふつうの食事が出たことに、ローズマリーが驚いた顔をしていたのをアベルは見逃してはいない。それはつまり、普段の食事自体がふつうでなかったということである。

「……あれ、やっぱバレてた?」

 ローズマリーはアベルの追求に、可愛らしく舌を出して苦笑した。誤魔化す気のようだ。

「ふざけるな」

 アベルが言うと、ローズマリーは少しバツが悪そうに目を逸らした。

「……べつにふざけてないよ。……まぁね、ちょこっとだけホコリみたいなのは入ってたりはしたけどさ。でも、食事が出るだけマシかなって思ってたし」

 ローズマリーは、思いのほかケロッとしている。

「あれがマシなわけあるか!」

 あんなもの、ひとが食べるものでは到底ない。

 アベルがもし、ローズマリーの立場だったら、ぜったいに食べないし許さない。

「え……もしかしてアベル、そのためにわざわざ来てくれたの?」

 ローズマリーは、激怒するアベルに驚きを隠せないようだ。

 アベルはといえば、ローズマリーの態度のほうがむしろ信じられない。

「当たり前だ! たとえどんな極悪人だとしても、罪は罰で受けるべきであって、いやがらせで精算されるべきではない! 罪人だからとああいった陰湿なものに耐える必要はないだろう」

 罪すら犯していない、無実であるローズマリーの立場ならばなおさらだ。

 そう必死に訴えるアベルに、ローズマリーはふふっと笑った。

「……なにがおかしい?」

 アベルが詰め寄ると、ローズマリーは笑いながらも首を横に振った。

「……ううん、なんでも。それよりも、ありがとう、アベル」

「礼を言われる覚えはないんだが」

「だって、私がいじめられてたことを気にかけて、ここに来てくれたんでしょ?」

「…………」

 今度はアベルが目を逸らす番だった。

「アベルって本当に優しいひとなんだね」

 不意打ちでローズマリーに顔を覗き込まれる。にこっと微笑まれ、アベルはうろたえた。

「な……なんだ、急に。俺はただ、間違ったことがきらいなだけであって、おまえを庇ってるわけじゃない」

「そっか」

「……それより、俺の言いたいことは分かっているよな?」

 アベルの追求に、ローズマリーは頷く。

「……分かるよ。たしかに私も、いやがらせに思うところはある。でもね、私……みんなが私にいやがらせをしてくる理由も分かるの。だって私は、悪役令嬢のローズマリーなんだもん」

 ローズマリーは、自嘲気味な笑みを浮かべて呟く。それは、アベルがこれまで見てきた高飛車なローズマリーの姿とは、まるで別人のようだった。

「だってさ、考えてもみてよ? 街のひとたちは、私のせいで街が壊れて、病が流行したと思ってる。それで大切なひとを失ったひともきっと大勢いる。そういうひとたちにとったら、噂は真実なんだよ。噂を信じているひとたちにとって私は、大切なひとの仇。心の底から憎むべき相手よ? それだもの、いじめられて当然だよ」

 アベルはキナーの話を思い出した。

キナーはローズマリーが家族を殺したのだと信じ、ローズマリーを心の底から恨んでいた。

たしかにローズマリーの言うとおりだ。でも、違う。ローズマリーはなにもしていない。ローズマリーは、じぶんは無実なのだと、アベルにそう訴えた。だからこそアベルは今、こうして動いているのだ。それなのに、いじめを本人に承認されてはたまったものではない。

「……それはそうだけど、牢獄にいる限り私がいくら騒いだところで、街のひとたちが無実を信じてくれるわけないと思わない?」

「それは……」

 まぁ、そうかもしれない。

「だけど」

 アベルは悔しそうに奥歯を噛む。

「騒いだって、余計にいやがらせがヒートアップするだけだよ」

 ローズマリーの言うとおりだ。投獄中である今の状況で、ローズマリーがいくら無実を訴えたとしても、彼女の声を信じるひとはまずいないだろう。

 つまり、ローズマリーがこの牢獄に囚われている限り、彼らにとっては悪役令嬢ローズマリーこそが真実なのだ。

 アベルは悔しさに奥歯を噛む。

「私だって、いじめられて喜ぶ趣味はないよ。……でも、真犯人が捕まるまでは耐えるって決めてるんだ。そうでないと、犠牲になったひとたちが報われないから。彼らも、彼らの家族も、どうにもならない悲しみを持て余してる。たとえ私が犯人でなくても、ほかに犯人が見つからなかったら、彼らの気持ちは宙ぶらりんなまま、ずっと消えない」

 その力は、下手したら国をも滅ぼす力になるかもしれない。だったら、真犯人が見つかるまでは私という標的がいたほうがいい。そう、ローズマリーは言う。

「だからって……いじめに耐えるというのか。おまえには、なんの責任もないのに」

 そんなの、お人好しが過ぎる。そう続けようとすると、ローズマリーがふるふると首を横に振った。

「違うよ。信じてるの。アベルを信じてるから、この状況でも私はじぶんを失くさずにいられる。……でも、私もそんなに気が長いわけじゃないから、なるべく早く真犯人を見つけてくれると助かるかも」

 ローズマリーのお願いに、アベルは思わずふっと笑った。

「……当たり前だ。俺をだれだと思ってる?」

 牢の柵に寄りかかっていたアベルは、すくっと立ち上がる。

「今はとにかく、少しでも多くのひとの目を覚まさせて、協力をあおることにする。ローズマリー、もう少し辛抱してくれ」

「うん。待ってる」

 アベルは牢獄を出る。来たときより、足取りが軽い。

 ローズマリーと話したおかげで、ずいぶん心が落ち着いたようだ。

 アベルは執務室へ急いだ。

 今はとにかく、目の前に積み重なっている問題をひとつずつ解決していく。アベルにはそれしかできない。だけどきっと、それでいいのだ。

 執務室へ向かいながら、アベルは素直にそう思った。

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