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第16話


 一方アベルは、ローズマリーと別れると、まっすぐ宮廷の厨房へ向かった。

 厨房の扉を開け、大きく言い放つ。

「ジーモン・コストマンはいるか」

 ジーモン・コストマンとは、現宮廷料理長の名前である。

 アベルの登場に、忙しなく音が響いていた厨房が一瞬にして静まり返った。

「料理長はいるかと聞いている」

 全員がアベルに気づいているにもかかわらず、アベルの気迫に怯えた料理人たちは、おろおろと目を泳がせるばかりで、彼の質問に答えようとしない。

 アベルが業を煮やし、声を荒らげようとしたとき、騒ぎを聞きつけたジーモンが奥の厨房から顔を出した。

「おやおや。これはアベルさま。いったいどうなさいました?」

 ジーモンが穏やかな笑みを浮かべて、アベルに歩み寄る。

 ジーモンは、四十をいくらか過ぎた程度の中年男性だ。

 優しげな垂れ目と笑うとできる目尻の皺が印象的な料理長で、見た目のとおりの優男だが、料理の腕はたしかである。おまけに、その人格も情が厚く心優しい。

 アベルも、幼い頃からなにかと世話になってきた。そのためアベルは、今でも彼を『ジーモンさん』と呼び、心から信頼している。

「ジーモンさん、忙しいところ急にお邪魔たてして申し訳ありません。実は、今朝の朝食について少し聞きたいことがありまして」

「そうですか。いえ、いいんですよ」

 ジーモンは自身のエプロンで濡れていた手を拭くと、アベルに向き直った。

「今朝の朝食に、なにか問題がありましたか?」

 ジーモンは突然やってきたアベルを、まるで久しぶりに会う孫を迎えるような笑顔で見つめながらも、困惑していた。

 心当たりがないようだ。まぁ、そうだろう。アベルとて、はじめからジーモンのことは疑っていない。

「今朝、罪人たちへの朝食を作ったのはだれか教えていただきたいんです」

 アベルの問いに、ジーモンはきょとんとした顔を向けた。

「へ……罪人たちへの朝食ですか? ええと……それでしたら、独房への食事は基本、新人の仕事になっていますから、今年入ったキナー・オレヴィンが担当していますよ」

 アベルが目を細める。

「その男は、今ここにいますか?」

「えぇ、もちろん。お会いになります?」

「お願いしたい」

「少しお待ちください」

 ジーモンが頷きながら、集まっていた料理人たちのほうへ振り返る。アベルはジーモンの視線を追った。

「おーい、キナーはいるか? アベルさまがお呼びだぞ!」

 ジーモンの呼びかけに、ひとりの男性が人混みのなかから顔を出す。そろそろと挙動不審に周囲を伺いながら、アベルの前に立った。

「な、なにか用でしょうか、アベルさま」

 キナー・オレヴィン。ローズマリーの食事を担当している宮廷の新人料理人だ。

 低身長の痩せ型で、年齢は十代後半といったところだろうか。アベルがキナーをじっと見つめると、キナーは目を逸らした。

 ……なるほど。

 ジーモンと違って、こちらのほうは、呼び出された理由に心当たりがあるようだ。

「なにか用か、だと……? 本気で言っているのか?」

 アベルがキナーに詰め寄ると、キナーはごくりと喉を鳴らした。キナーの顔に影が落ちる。

「い、いえ……その……」

 言い淀むキナーに、ジーモンが慌ててあいだに入る。

「ちょちょ、アベルさま! いったいどうしたんです?」

「ジーモンさん。悪いがこの男は、今日付で解雇させていただきます」

 アベルははっきりとそう告げた。

「なっ……!?」

 キナーが目を見開く。突然解雇通告をされたのだ。無理もない。

「ま、待ってください、アベルさま! いくらアベルさまといえど、突然解雇だなんて言われても困りますよ……! いったいうちのキナーがなにをしたっていうんです!?」

 しかしキナーより先に、ジーモンが異議を唱えた。

「そ、そうです! こんなの不当だ! 訴えてやる!」

 続けてキナーが騒ぎ出す。

「不当?」

 アベルは目を細めて「そうでしょうか?」と笑う。すると、ジーモンがキナーを庇うようにアベルの前に立った。

「いくらアベルさまとはいえ……こんなのはどう考えても不当ですよ! こう見えてキナーは、とても真面目な男なんですよ。家族を亡くしたばかりだというのに、働いていたほうが気が紛れるからと毎日一生懸命に働いていて……」

「おや、そうですか。しかし俺にはとても、彼が真面目に働いているとは思えませんが」

 そう言ってアベルは、手に持っていたトレイを突き出した。

 ジーモンは突き出されたトレイを見て、

「な、なんですか、これは!」

 と、驚きの声を上げた。トレイのなかには、虫の死骸やゴミが大量に入っていた。

 もちろん、アベルが入れたわけではない。元から入っていたものだ。

「これは今朝、とある受刑者へ俺が運んだ朝食です。あまりにも人間が食べるものとは思えない内容物だったから、致し方なく俺のものと取り替えました。つまり、これは俺が今から食べる朝食です」

 静かに怒りを示すアベルに、さすがのジーモンも青ざめた。

「こっ……これは大変失礼いたしました……! おい、キナー! すぐに新しいお食事を用意するんだ!」

「は、はい!」

 慌ただしく動き出そうとする料理人たちを、アベルの一声が止める。

「けっこうだ!」

 アベルの声に、キナーだけでなくほかの料理人たちまでもがびくりと飛び上がる。

「ア、アベルさま。しかし……」

 ジーモンに、アベルは冷ややかに告げる。

「こんなゴミを出す料理人が作ったものなど、たとえどんなに手の込んだ料理を出されようとも、食べたいとは思いません」

 すると、ジーモンが慌てた様子で言った。額に汗が滲んでいる。

「お、お待ちください、アベルさま! これは単なる不運で、決してキナーがわざとやったというわけでは……」

 ない、とジーモンが言い切る前に、アベルは言い返す。

「お言葉ですが、ジーモンさん。それはつまり、わざとでなければ食事にゴミや虫が入っても許されるとおっしゃるつもりですか? そんな理由が通用していたら、この宮廷の食事は毒が盛られ放題だ。毒味役の命だって、いくつあっても足りなくなるでしょう」

 ジーモンがぐっと喉を鳴らす。

「そ、それはそうですが……しかし、キナーはまだ新人でして……」

 アベルがジーモンを睨むと、ジーモンがびくりと肩を揺らす。そのまま飼い主に怒られたペットのように、しゅんとしてしまった。アベルはため息をつく。

 ジーモンは優しい。アベルはそれを、いやというほど知っている。だからこそ、アベルは厳しく告げる。

「そんなものは理由になりません」

 ここは譲れない。ジーモンのひとの好さにつけ込んで、こういう輩が宮廷に増えるのは困るし、気に食わない。このままでは、彼の責任問題にもなりかねないからだ。

「アベルさま。どうか、今回だけは許してやっていただけませんか? 幸い、ゴミが混ざっていたのは罪人の朝食だったのでしょう?」

 らしくないジーモンの命を軽んじた言葉に、アベルのこめかみがひくりと動いた。

「……だから?」

 アベルは低い声を出す。

「だからなんだと言うのです?」

 アベルは怒っていた。

「罪人だったから不幸中の幸いだと、許せとでもおっしゃるつもりですか? ありえない。たとえこの食事がだれに出されたものだとしても、料理人が食事に異物を混ぜるなんて言語道断。それは、料理長であるあなたがいちばんよく分かっていることでしょう」

 そして、料理長であるジーモンがいちばん厳しく見なければならない部分である。

「それはそうですが……」

 とうとう言葉を詰まらせて黙り込んだジーモンの横で、今度はキナーが開き直ったようにアベルに言った。

「し、しかし、相手はあのローズマリー! この国いちばんの大罪人でしょう!? あんなやつがどうなろうと、僕は知ったこっちゃない。それに、僕がやったという証拠だってないでしょう!?」

 アベルはキナーを見て、やれやれと息を吐く。

「証拠ならありますよ」

「なっ……ならばその証拠を出してください! あるわけがない!」

 激昂するキナーに、アベルは冷ややかに言った。

「証拠なら今、あなたがじぶんで作ったでしょう」

「はっ……?」


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