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第14話

「私も、昔はずっと、じぶんはダメな人間だって思ってた。もっと頑張らなくちゃって、じぶんでじぶんを追い詰めてた」

 じぶんを認められない私は、自尊心がないのだと思っていた。

 でも、違った。

 真逆だ。私は、じぶんに期待し過ぎていたのだ。

 だから、

「私はずっと、だれかに褒められてもその言葉を信用できなかった」

 どうせうそだ。私は周囲に気を遣わせてしまうくらい、なにもできない人間なんだ。そういう思考回路だった。

「でも、ひとの好意を素直に受け取らない人間に、心を開くひとなんていない。私が孤独だったのは、私のせいだった。そう、あるひとに出会って気付いたんだ。だからね、私はもっと、目の前のひとたちと向き合うって決めたの」

 アベルが眉を寄せる。

「……なにが言いたい?」

 目を伏せ、深呼吸する。

「つまりね、私を頼ってってこと」

「おまえを……?」

 アベルは驚いた顔で私を見ていた。

「ひとりじゃできないことばっかりだけど、ふたりや三人ならできることって、案外多いんだよ?」

 沈黙が落ちる。気まずさを感じながらも、私はアベルを見据えた。

 しばらくして、ため息のようなかすかな吐息を、アベルが漏らす。

 目が合う。ほのかに顔を赤くしたアベルと揺れる碧眼を見て、想いが伝わったと確信した。

 ホッとして笑うと、アベルは頬を染め、そっぽを向いてしまった。

「……やっぱり、おまえは変わってるな」

 今までより子供っぽい仕草に、胸が弾む。

「え、そうかな?」

「あぁ。変わってる。でも……ありがとう」

 アベルはどこか吹っ切れたような顔つきで微笑む。

「そうだな。俺は、ひとりで強がっている場合じゃなかった」

 良かった。

 アベルの表情は、まるで陽が差した海のように美しい。見惚れていると、アベルが立ち上がった。

「どこへ行くの?」

「腹が減っているんだろう? 朝食を持ってくる」

「え、でもアベルさっき……」

 じぶんは罪人の朝食など運ぶ人間ではないと言っていた気がするのだが。

「……なんだ、いらないのか」

「あっ、いや、いりますいります! お腹減った!」

 慌てて空腹を訴える私に、アベルは笑って牢から出ていった。

「分かったから、少し待ってろ」

 アベルの姿が見えなくなると、私の心臓はなぜだか思い出したように激しく動き出していた。



 ***



 その後、アベルが朝食を運んできてくれた。いつもの朝食と違って、すこぶる豪華なものだった。パンはふわふわだし、スープもあたたかい。

 まさか、運んでくるひとが違うだけでここまで食事内容に差ができるとは思っていなかった。これからもアベルが朝食を運んできてくれたら最高なのだけど。朝食をきれいに平らげた私は、再びアベルとともに作戦会議を始めた。

「さて、それじゃあさっそく、これからのことを考えるか」

 お腹がいっぱいになって忘れかけていたが、アベルが私を訪ねてきた本来の理由は、朝食を運ぶためではなく、事件のことを話し合うためであった。

 問題は、まだなにも解決していない。

「それで……そのキャンディとシスティーナの毒殺未遂事件に関係があるって話だけど」

 私が話を切り出すと、アベルが「あぁ」と頷く。

「アベルはどうしてそう思ったの?」

「それは……」

 私は姿勢を正してアベルを見る。

「キャンディが広まり出した時期と、お前の裁判が始まった時期が重なるんだ」

「……どういうこと?」

 意味が分からず、私は首を傾げる。

「考え過ぎかもしれないが……俺は、何者かがお前を有罪にするために、このキャンディをばらまいたのではないかと思っている」

「え……」

 息を呑んだ。

 キャンディをばら巻いた目的が、私?

「キャンディで思考を奪い、攻撃性が増した民衆の怒りの声は、当時、王宮にも届いていた。凄まじいものだった」

「つまり……キャンディが判決に影響を及ぼしたってこと?」

「だが、それだけじゃない。犯人は、キャンディを王宮内部にも広め、王宮の司法機関の判断能力も鈍らせている。その結果、お前はまんまと有罪になっている」

 混乱してきた。私は額を押さえて必死に考える。

「ちょっと待って。ふつう、私を有罪にするだけのために、ここまで大掛かりなこと、する?」

「する。もともとおまえは第一王子の婚約者だったのだぞ。殺されなかっただけましなくらいだ」

「そんな……」

 そういえば、そうだ。ローズマリーは今でこそ罪人だが、このリカール王国の第一王子であるロドルフの婚約者だった。命を狙われる理由としては、じゅうぶんだ。

「じゃあ、犯人は私ととロドルフさまの婚約を、どうしても破談にさせたかったってこと?」

「いや、そうとも言えない」

「どういうこと?」

「もし犯人の狙いが婚約破棄だけであるならば、おまえが罪人となり、牢獄へ入った時点でキャンディを配る理由はなくなる。しかし、キャンディは未だに国中にばら撒かれている」

 アベルの言わんとしていることが分かった。

「つまり、犯人の狙いは、私とロドルフさまの婚約破棄だけじゃない……?」

「あぁ。これは推測だが……今回の件は、敵国が絡んでいる可能性が高い」

 敵国。ローズマリーが巻き込まれているのは、単なる怨恨によるものではない。

 ローズマリーは、不運にも、何者かの陰謀に利用されているらしかった。

 しかし、肝心なその犯人も、陰謀の実態も分からない。

 全身が黒いなにかに侵食されていくような心地になる。

「……ねぇ、アベル。いったい、この国ではなにが起こっているの……? 私は、なにに巻き込まれてるの……?」

 私は頭を抱えた。

 だって、こんなのローズマリーから聞いていた話とぜんぜん違う。

 ローズマリーはだれかの私怨で陥れられ、投獄された。

 ローズマリーはきっとそう思っていたし、私もそうだと思っていた。こんなに闇が漂ってくるだなんて、思っていなかった。

 ただ、無実を証明することが私の目標で、目的だったのに。

 どうしたらいいの? 分からない。

 混乱する私の肩を、アベルが優しく掴む。それでも私の乱れた心は落ち着く気配はなかった。

「落ち着け、ローズマリー」

 無理だ。なにも考えられない。

「私は……ただだれか個人の恨みを買ってしまっただけだと思ってた。だから、そのひとを見つけ出してちゃんと話せば無実を晴らせると思ってた。……でも、こんな得体の知れないものが相手じゃ、私にはどうしようもできないよ……」

 私は、この世界に来たばかりだ。人間関係はまっさらどころかむしろマイナスで、社会の仕組みに至ってはなにも知らない。

 そんな私が、得体の知れない犯人を突き止める?

 そんなこと、到底無理に決まっている。

 私は肩を落とした。

「ローズマリー……ごめん」

 私は小さく呟く。

 やっぱり私には、ローズマリーを無実にするなんて無理なことだったのだ。

 やっと生き直せると思ったのに……。

 全身から力が抜けていく。目の前が真っ暗になって、私はベッドに座り込んだ。


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