「食べるな!」
ものすごい剣幕で、アベルに手を掴まれた。
「きゃっ!?」
その拍子に、キャンディがポロッと手のなかから滑り落ちる。
「あぁっ……!!?」
私は呆然と、手から滑り落ちていったキャンディを見下ろした。冷たいタイルの上に、キャンディが転がっている。
キャンディ……! 私の、キャンディが。
呆然としたのは一瞬。すぐに私は、キッとアベルを睨んだ。
「ちょっと……!?」
いきなりなにするのよ! 新手のいやがらせなの!? と言うべく顔を上げた私は、アベルの顔を見て息を呑んだ。
アベルは青白い顔で、しかし眼差しだけは強く、睨むように私を見下ろしていた。
「ア、アベル……?」
予想外なアベルの様子に、私は困惑する。
「いい加減にしろ!」
息を呑む。アベルは怒っていた。
「ご、ごめ……なさ……」
謝ろうとする声が震える。掴まれた手が痛い。
じんじんと痛みが滲む手首に、私は男性の力の強さを再認識して、不意に現代でのトラウマを思い出した。
アベルの形相がかつての上司とリンクして、身体が硬直する。呼吸が浅くなっていく。
ヤバい。目眩がする。
大丈夫。落ち着け、私。彼は違う。彼は違うから、大丈夫。
私は深呼吸を繰り返す。
しきりに深呼吸を繰り返す私の様子に、アベルはハッと我に返ったように手を離した。
「……悪い。怖がらせたか」
「……ううん。大丈夫……」
アベルが優しく私の背中をさする。その手の動きに合わせるように数度深呼吸をすると、動悸がいくらかおさまった。
……ふう。
私はアベルに、もう大丈夫だよと伝えるように微笑む。すると、アベルが私から手を離した。
さきほどのアベルの声は強い怒りに満ちていたが、同時にかすかに上擦って震えていた。アベルの眼差しは、私をからかっているようには見えない。
私はもう一度キャンディを見下ろして、そっとそれを手に取る。
「それで、アベル。これは、なんなの?」
訊ねると、アベルは一度口を閉じ、ひっそりとした声で言った。
「……これは毒だ」
「え……!?」
毒!? これが?
さすがの私も驚愕する。持っていたキャンディをふっと落としそうになって、慌てて握り直した。
「ちょ、そういうことは先に言ってよ……!」
「す、すまん。それはそうだな」
私はもう一度まじまじとキャンディを見る。どこからどう見ても、ただのキャンディだ。毒があるもののようには見えない。
それに。
「アベルはさっき、このキャンディは国中で流行ってるって言ってなかった?」
さきほどアベルは、たしかにこのキャンディを、この国でいちばん流行っている菓子のひとつだと言っていた。
「あぁ、そうだ」
アベルが頷く。なぜ、と私は眉を寄せる。
「待って。なんでアベルが、毒入りのキャンディなんか持ってるの?」
そしてそれを、なぜ私に見せてくれたのか? 疑問だらけだ。
質問攻めになる私を落ち着かせるように、アベルが私に向かって軽く手を上げる。
口を噤むのを確認してから、アベルが話し出す。
「お前には、知らせておいたほうがいいかと思ってな」
意味深な前置きに、私は眉を寄せながら続きを待つ。
「このキャンディは、おそらくお前が巻き込まれた事件と関係がある」
「え……」
このキャンディが……?
ますます分からない。私は手に持ったキャンディをじっと見下ろした。
「毒入りキャンディと私の冤罪に、なんの関係が……」
呟きながら、ハッとした。私はアベルに、なるべく声を潜めて訊ねる。
「……もしかして、このキャンディに混ざっている毒って、システィーナを毒殺するために使われたアップルだったとか!?」
考えついたことを口にすると、アベルはいや、と首を横に振った。
「それは違う。厳密に言うと、このキャンディに混ざっていたのは、毒ではなく魔法だった」
「ま、ほう……?」
そうだった。そういえば、この世界には魔法というものが当たり前に存在するのだった。以前の世界では魔法なんて想像上のものでしかなかったから、なかなか慣れない。
「その魔法って、どんなものなの?」
毒と言うくらいなのだ。きっと恐ろしい魔法なのだろう。私はおそるおそるアベルに訊ねる。
「食べた者の思考を鈍化させる魔法だ」
「思考を鈍化?」
眉間に皺が寄っていく。思考を鈍化させる魔法なんかをひとびとにかけて、どうするというのだろう。アベルが言うほど、危ないもののようには思えないが。
「……えっと、それってつまり、どういうこと?」
「このキャンディを舐めると、一時的に思考が鈍くなるんだ。といっても、効果はせいぜい数日程度のようなんだが……」
アベルの言葉に、私はほっとした。
「数日で魔法が切れるなら、そんなに焦ることもないんじゃない? アベルってば、毒だなんていうから焦っちゃったじゃない」
しかし、アベルは険しい顔のままだ。
「……アベル?」
「効果が数日で切れるというのは、あくまで一度だけこのキャンディを食べた場合の話で、何度も舐めていたら、効果はさらに継続される」
「え……で、でも、キャンディなんてそんなに舐めるものなの? よほどの甘党でもなきゃ、そんなに頻繁には食べないんじゃない?」
期待を込めて言うが、アベルは目を伏せた。かすかな希望が砕かれる。
「そんなことはない。このキャンディは一般庶民でも手軽に買うことができるものだし、現に王宮でも、毎日のように配られていた」
「毎日!?」
異世界の意外過ぎる生活習慣に、思わずツッコむ。この王国のひとは、総じて甘党なのだろうか。
「キャンディは嗜好品のなかでも、特に安価だからかなり市場で出回っているんだ」
「へぇ……」
毎日こんな大きなキャンディを舐めていたら、病気になってしまいそう……って、そうじゃない。そうじゃなくて、なんでそんな怪しいものが王宮で広まっているのだ、ということである。私は額を押さえた。
「あの、ちなみになんだけど、そのキャンディに依存性とかは……」
恐る恐る訊ねると、アベルが再び目を伏せた。いやな予感がする。
「……それが、かなり強い。おまけに、攻撃的になるという副作用もあるようだ」
依存性が強くて、攻撃的になる。それってもはや、
「麻薬じゃん!」
愕然としながらツッコむ。
このキャンディは、私の元いた世界で言うところの、麻薬のようなものなのだろう。
……いや、麻薬って!? 想定外過ぎるでしょ! 私にどうしろって言うの!?
というか、思っていたより事態がヤバ過ぎるんだけど、ローズマリー!?
思わずローズマリーに向かって嘆くが、もちろん彼女からの反応はない。そういえば、彼女は彼女で元気にやっているだろうか。私もなかなかピンチな立場にいたはずだけど。
って、今はそれどころではない。