目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

第8話

 扉が開き、だれかが入室してくる。

 足音が近付くたび、心臓がどくどくと激しく脈を打った。思わず胸を押さえる。

 全身が恐怖を訴えている。

 ――これは、私じゃない。私の気持ちじゃない……。

 おそらく、ローズマリーのほうが拒絶しているのだ。この足音の主を。

「――ロドルフさま、システィーナさま」

 アベルが一歩引いて、頭を下げた。彼が呼んだ名前には、聞き覚えがある。

 ――ロドルフと、システィーナ。

 ローズマリーを裏切った王子と、ローズマリーの王子を奪った聖女の名前だ。

 心臓は未だにばくばくしている。

 ――大丈夫だよ、ローズマリー。私がついてる。

 そっと心のなかでローズマリーに呟くと、少しだけ心音が収まった気がした。

 私は思い切って顔を上げる。

 そこには、金髪翠眼の凛々しい青年と、栗色の髪に金眼の美しい少女が立っていた。どちらもやはり人形のように美しい。

 金髪の青年のほうが、私をちらりと見る。

「……アベル、監視ありがとうございます。さきほどたまたますれ違った医官から、ローズマリーが目を覚ましたと聞いたものですから、少しだけ様子を見に」

「そうでしたか」

 感情を抑えた、少し距離を感じる声音だ。

 ロドルフはアベルから私へ視線を移す。美しい翠眼が私を捉えた。

「ローズマリー、具合はどうですか。毒を飲んだと聞きましたが」

「…………」

 ――彼がロドルフ……。ローズマリーを婚約者にしておきながら、あっさりシスティーナに気持ちを切り替えやがった最低男。

 ローズマリーの悔しさを思うと、じわじわと腹の底から怒りが湧き上がってくる。

 ――ローズマリー。少しくらい言ってやってもいいよね?

 私は翠眼をじっと見返す。

「……えぇ。残念ながら、すっかり元気になってしまいましたわ。どうせ死ぬなら、さっさと死のうかと思ったのですけれど。ごめんなさいね、生きていて」

 強い口調で言うと、ロドルフは気まずそうに私から視線を外した。落ち着かないのか、頻りに腕を撫でている。

 ――なんだろう。ロドルフって、案外気弱?

 拍子抜けしていると、

「――ローズマリーさま」

 だれかが私を呼んだ。

 その瞬間、全身の毛が粟立つような気味の悪さを覚えた。すぐ目の前で、コツンと靴音が鳴る。

「お顔色も戻ったようで安心しましたわ、ローズマリーさま」

 声をかけてきたのは、システィーナだった。

 いつの間にか、システィーナは私の目の前に立っている。これ以上ないくらいの笑顔で。

 ――彼女が、システィーナ。ローズマリーからロドルフを奪った聖女……。

 微妙な空気が流れる。まさか、彼女とこんなに早く対面することになるとは思わなかった。

 というか、このひと……。

 彼女の笑顔から目が離せない。

 私とシスティーナは、加害者と被害者だ。それなのに、システィーナは私に怯える気配はまるでない。むしろ、ローズマリーのほうが恐怖を感じているくらいだ。

「え……えぇ」

 なんとか相槌を返すと、システィーナは眉をそっとハの字にした。

「もしまだ気分が悪いようなら、私が聖女の力で治療して差し上げますわ。ねぇ、ちょっとそこへ横になって」

「えっ……」

 システィーナが私の手を握る。その手は優しく、私をいたわっているように思えた。

「いえ、私は……」

 戸惑い、困惑する。

 ――なにを考えているのだろう。

 私は、システィーナがローズマリーを陥れたのだと思っていた。ロドルフを奪うために。

 ……けれど。

 システィーナはもしかして、ローズマリーが投獄された件とはなんの関係もないのだろうか?

 本気でローズマリーの身体を心配してくれている?

「あの、シス……」

 しかし、私が言葉を発するより先に、ロドルフが私とシスティーナのあいだに割り入った。

「システィーナ! 君が彼女にそんなことをする必要はないよ! 彼女は君を殺そうとしたんだぞ!?」

 突然響いた大きな声に、私は肩を揺らす。びっくりした。

「けれど、裁判はもう終わっていますし……それに彼女は、元、とはいえロドルフさまの婚約者だったかたですから」

 わざとらしく〝元〟を強調された気がして、私は、ん? と、システィーナを見た。その眼は、どこか勝ち誇ったように細められている。

 これは、もしや。

「そんなことはどうだっていいんだ。婚約は完全に破棄した。彼女はただの罪人だよ。そんなことより、これ以上君になにかあってはいけない。もう部屋に戻ろう」

 ロドルフが、システィーナを庇うように前に立った。

 ――ははーん。

 一瞬、いい子かもなんて思った私がバカだった。

 彼女が私に優しくしたのは、ロドルフとの関係を私に見せつけるためだったのだ。

 とはいえ、ロドルフになんの好意も持たない私は、ただただシスティーナの性悪さとロドルフの盲目さにドン引くだけだが。

「アベル。彼女の体調は問題なさそうだ。俺たちはもう戻る。あとは頼みましたよ」

 ロドルフがアベルに言う。

「……かしこまりました」

 アベルに指示をしたあと、ロドルフは最後に私を見た。

「……そうそう。ひとつだけ君に伝えておきたいことがあったんだ」

 ――伝えておきたいこと?

 なんだろう、と思っていると、

「俺は、君にはもうなんの未練もない。おおかた、毒を飲んで俺の気を引きたかったのかもしれないけど、そんなことはしても無駄だよ」

 ぶわっと鳥肌が立った。

 ――はぁ? だれがだれの気を引きたいって?

 開いた口が塞がらない。なにを言っているんでしょうか、このおかたは。

 ローズマリーは死のうとしたのだ。一方的に婚約破棄をしてくるようなじぶん勝手なロドルフの気を引くためなんかに、そんな危険なことをするわけがない。

「君の罪は重罪だ。許されるものではない。罰はきっちり受けてもらいますから」

 ――続けてなにを言うかと思えば……。

 この王子は、なにも分かっていない。

私は、呆れてロドルフを見上げた。私の視線に、ロドルフが眉を寄せる。

「なんです、その目は? なにか言いたいことがあるなら聞きますが」

 言っていいのなら言ってやる。私はローズマリーじゃないから、この男になんの感情もない。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?