ベッドから降りて立ち上がると、ふとじぶんの衣装が変わっていることに気付いた。
さっきは赤と黒の大人っぽいドレスを着ていたはず。だが、今は白一色のフリルが多めのゆったりとしたワンピースだ。
コルセットに慣れていない私には、腰まわりが楽ちんで助かるからいいけれど。くるりとその場で回ってみると、スカート部分がふんわりとふくらんだ。
「かわいっ」
嬉しくなってもう一度回転してみる。
現代での私はもう三十路だったし、もともと地味だったということもあって、こういう服には憧れはありつつもぜんぜん着られなかったから新鮮だ。
しかも、ローズマリーの姿だとこれがまためちゃくちゃ似合う。薬棚のガラスに映った姿を見て、つい顔がにやけてしまう。そのとき、ふと、ガラスの向こうの瓶に目がいった。
ハッとした。
「あ、そういえば、さっきの薬瓶……」
ふと毒のことを思い出した私は、薬瓶がしまってある薬棚に近付いた。
グレープ、オランジュ、ベリー、バナナ。瓶にはそれぞれ果物の名前がついたロゴ。
しかし、
「やっぱりない……」
牢のなかでローズマリーが飲んだ瓶と同じもの――アップルの瓶を探すが、見当たらない。
まぁ、あれはそもそも毒。こんなところにないのは当然なのかもしれないが。
「それにしても、アップルか……考えてみれば、ずいぶん可愛らしい名前の毒だわ。ほかの瓶もそうだけれど」
ぶつぶつひとりごとを呟いていると、扉が開いてひとが入ってきた。
「おい! お前、なにをしている!」
「ぴぎゃっ!? ごっ、ごめんなさい!」
突然怒鳴りつけられ、私は背筋に氷を入れられたように、その場でぴんっと姿勢を正した。
おそるおそる振り向くと、アベルだった。美しい顔を歪ませて、
「ベッドに座れ!」
と凄む。
「は、はい……!」
――お、お、おっかな!! てゆーかさっきの護衛官といい、この国のひと、すぐ怒鳴りすぎじゃない!? 心臓に悪いからやめてほしいんだけど……!
私はそそくさとベッドに戻って座り直す。
私がベッドに座ったのを確認して、アベルがちらりと背後を見やる。
――なんだろう?
首を傾げながらアベルの背後を覗くと、彼の背中からひょっこりと穏やかそうな男性が顔を出した。
アベルが言っていた、医官だろう。優しそうな顔のひとだ。
「目覚めたんだね」
「は、はい……」
「気分はどうだい?」
「は、はい。もう平気です」
「そうかい。よかったねぇ。それじゃ、ちょっと喉を見せてもらうよ。なるべく痛くないようにするから」
「あ、はーい」
私はかかりつけの内科に来たつもりで、あーんと大きく口を開けて見せると、医官の男性が少しばかり驚いたように目を見開いた。
「…………」
なにか間違えただろうか?
「……あれ? 喉、見ないんですか?」
「あ、あぁ……そうだね。見させてもらうよ」
訊ねると、男性はハッと我に返ったように私の問診を始めた。
いくつか質問に答え、軽い問診を終えると、医官は少しだけ控えめに、アベルを見た。
「どうですか?」
「うん……身体のほうは問題なさそうなんだけどね」
困惑気味に、一応脳の検査もしたほうがいいかな? と医官。
「えっ、脳? どうして? 私、どこももう平気よ?」
アベルがため息をつく。
「お前は黙っていろ」
「でも……」
「まぁ、念の為だから」
医官のおじさんは、私を安心させるように優しく微笑む。
「では先生、お願いします」
私はベッドに横になり、ごくりと息を呑む。すると医官のおじさんは、私の額に手を翳した。額あたりがじんわりとあたたかくなってくる。
少し眩しさを感じて、目を閉じる。
しばらくじっとしていると、肩を叩かれた。
「はい。もういいよ。お疲れさま」
目を開け、起き上がる。
「えっ、もう終わり?」
なんかもっと、痛かったりうるさかったりするのかと思ったのだが。というか、やったことといえば手を翳しただけだったのだが。
「うん。脳も問題なさそうだね」
「そ、そうなんだ……?」
――異世界の医術最強説……。
診断が終わると、医官はあっさり部屋を出ていった。
「脳も問題はなしか……まったく、これはどういうことなんだ?」
アベルが呟く。
私が診察を受けているあいだ、アベルは医官のうしろに立ち、監視するようにじっと私を見ていた。
ふたりきりになった今も、アベルは私から視線を外さない。
なんだか気まずい、と内心で思っていると、アベルはつかつかと靴音を響かせて私のかたわらへやってきた。
上背が高いぶん、ベッドに座ったまま向き合うとずいぶんな圧を感じる。
「なっ……なんですか……?」
「……お前」
アベルがこちらへ手を伸ばしてくる。
――えっ、な、なに!? もしかして首締められる!?
思わず身構えると、アベルの手が止まる。手は行き場を失くしたように、空中に浮いたままだ。
「アベル……?」
どうしたのだろう、と見上げていると、その手がだらりと落ちていく。
「お前は……いったい……」
「え……?」
ぐっと奥歯を噛み、苦しげな顔で私を見つめている。
困惑していると、アベルが再び口を開く。
……が。
「――アベル、入りますよ」
扉のほうから、男性の声がした。
その瞬間、身体が硬直するのが分かった。まるで金縛りにあったように、私はベッドに座ったまま動くことができなくなる。