目を開けると、不思議な絵が描かれた天井が見えた。何度か瞬きをしているうち、ようやく明るさに目が慣れてくる。
ここはどこだろう……? そう思いながら、ゆっくり視線を動かすと、まずクラシカルな薬棚が目に入った。
棚のなかにはたくさんの瓶が敷き詰められていて、それぞれに不思議な文字のロゴがある。
「ベリー、グレープ、バナナ……ぜんぶ果物の名前……なのに、アップル……は、ない」
小さく呟きながら、さらに視線を動かしていると、ふと布が揺らめいた。
「?」
布を見上げる。
「起きたか」
すぐ近くで声が聞こえ、びくりとした。
声がしたほうを見ると、見知らぬ青年がベッド脇の椅子に座っていた。
「あな、たは……」
その顔を見て、息を呑む。
――び、美人っ!!?
眩しいほどの銀髪に、美しい碧眼。白皙の美青年が、私の真横にいた。
「うわっ!?」
あまりに浮世離れした美しさの青年に、私は声を上げて後退る。――と、ベッドのヘリにあった手が、ずるっと滑った。
「わわっ!」
「おいっ!?」
バランスを崩した私の腕を、青年が咄嗟に引き寄せる。
「っ!」
ぎゅっと抱き寄せられる形で、私は青年の腕のなかに収まった。
「す、すいませ……」
今にも鼻先が触れそうな距離で目が合い、吐息が絡まる。思わず息が止まった。
「!!?」
思えば私は、この歳まで異性と付き合うということをしなかった。
――お、男のひとって、こんなに……。
青年の大きな手は、私の腕をいとも簡単に掴んでしまう。あまりの体格差に、動悸が止まらない。
固まっていると、青年がゆっくり手を離した。思わず、離れていくその手をじっと目で追いかける。
「じろじろ見るな」
「す、すみません!」
背筋を伸ばして謝りつつ、ホッとして息を吐く。すると、青年は私の反応が気に食わなかったのか、わずかに眉を寄せた。
整った顔がわずかに歪む。それすら美しくて、ため息が出そうになる。
青年は、白とゴールドを基調にしたエレガントな騎士服に身を包んでいた。甲冑に刻まれた彫刻が美しい。
「……あ……あの、あなたは?」
おずおずと訊ねると、青年はさらに不機嫌そうな顔をした。
「はぁ? お前、俺を忘れたのか」
「え……」
凄まれ、再び息を呑む。顔立ちが整っているぶん、怒った顔は迫力がある。
――や、ヤバい。めちゃくちゃ怒ってる……。えっと、ぎ、銀髪碧眼イケメン、銀髪碧眼イケメン……。
私は慌ててローズマリーの記憶を辿った。
――お願いっ、知っててローズマリー!!
目覚めたばかりの脳をフル回転させ、しばらく記憶を辿っていると、……いた。
ローズマリーの記憶のなかに、青年を見つける。
「……あっ、思い出した! えっと、アベルさまよね!? ロドルフ王子の秘書官で、ローズマリーのことがきらいなアベル!」
アベル=オクタヴィアン・オランジュ。
彼は、第一王子であるロドルフの専属秘書官兼騎士だ。堅物で潔癖……悪女と名高いローズマリーを毛嫌いしており、ローズマリーがロドルフといるときはいつも無愛想な態度をとっていた。ローズマリーの記憶のなかに、ちゃんと存在していた。
「あの……それで、ここは」
「ここは王宮の医務室だ。本来ならお前のような罪人を入れるような場所ではないが、緊急の解毒処置が必要だったので仕方なくな」
アベルは私の声に被せるようにして、且つ早口で答えた。
「……そ、ソウデスカ……」
がっつりきらわれてる気配を感じ、作り笑いすら引き攣り始める。
――いかんせん顔立ちが整っているから、無表情だと迫力があるんだよなぁ……。ローズマリーもアベルのことが苦手だったようだけど、私もちょっと苦手かも……。
「それで、気分はどうだ?」
「はへ? き、気分?」
「体内に入った毒の解毒は、無事にできたと医官は言っていたが、どうだ?」
あらためて説明され、ハッとした。
「……そ、そういえばそうでした!!」
じぶんの状況を思い出す。あらためて身体に意識を向けるが、なんともない。
このまま死ぬかと思ったけれど……。
「って、そうだ! あのとき」
倒れた私に気付いてくれたのはいったいだれだったのだろう、と思っていたけれど、なんとなく、今アベルが話している声を聞いて、彼だったんじゃないかと思い始める。
「ねぇ、牢のなかで倒れたとき、もしかしてアベルが助けてくれたの?」
「…………」
アベルは返事をしないが、否定もしない。ということは、そうなのだろう。
「ありがとう……さっきまで私、すごく辛くて苦しくて、正直死ぬかと思ってた。でも、アベルのおかげですっかりよくなったわ」
笑顔で礼を言うと、アベルは面食らったように黙り込んだ。
「……アベル?」
「……お前……」
アベルはしばらく私のことをじっと見つめ、怪訝そうに首を傾げた。
「アベル?」
名前を呼ぶと、アベルはハッとしたように、
「……いや」
と呟き、ふいっとそっぽを向いた。そのままつかつかと歩き出す。
「えっ……ちょ、どこ行くの?」
背中に問いかけるが、返事はない。
――無視かいっ!
しかしアベルは、部屋を出ていく直前、くるっと振り返って私を見た。
「お前、そこを動くなよ。今医官を呼んでくるから」
「……え」
「分かったか」
「あ……はい」
慌てて頷くと、アベルは満足したように頷き返して部屋を出ていった。
――もしや彼は、いいひとなのだろうか?
いや、毒で死にかけていたローズマリーを助けてくれたのだから、いいひとではあるのだろうが。
「……それにしても」
大きな部屋だ。
なにを隠そう、天井が高い。ベッドに寝転がって見上げてみる。天井には、宗教画みたいな絵が描かれている。
それだけじゃない。周囲を見てみると、ひとつひとつの調度品もかなり高級なもののようだ。
猫足のテーブルに、豪奢な細工がほどこされたチェア。複雑な模様がほどこされた絨毯に、美しい薔薇のような花が生けられた花瓶。
「さすが王宮……」
そういえば、お花を見るのなんて、果たしていつ以来だろう。現代ではそんな心の余裕はまるでなかった。
――部屋のなかを見てまわるくらいは、許されるよね?
すっかり身体の調子がよくなった私は、アベルが戻ってくるまで、部屋のなかを見て回ることにした。