すべての記憶が蘇り、私は嘆息した。
――そうだった。
「そうだったよ! 私は、あの不思議な部屋でローズマリーと出会って人生を交換したんだった!」
私はもう一度、水溜まりに映るじぶんの容姿を確認する。
膝下まである流れるような桃色の髪に、宝石を埋め込んだような美しい銀眼。
「かわっ……!!」
思わず感動が声に漏れる。
「すごい……すごい! 私、本当にローズマリーになってる! 冴えない29歳会社員だった私が! こんな可愛いお姫さまに!! やばーい……」
そろそろと手を頬に持っていく。
ほっぺがふわふわしてる……!?
というか、頬に手を当てた姿すら様になるとは。さすがお姫さま。
「夢みたい……」
――ぴちょんっ。
「はっ……!!」
まるでお姫さまのような容姿をしたローズマリーになっていることに感動しながらも、私は水音に我に返った。
「……や、違う違う」
周囲を見る。話に聞いたとおり、ここは、正真正銘牢獄のなか。私は罪人。しかも、死刑待ち。
「落ち着いて、私。そうよ、今は感動している場合じゃないわ。今はとにかく、ローズマリーを……というか私を、無罪にすることを考えなくちゃ」
直後、がちゃんと鉄の檻が強く叩かれる音がした。
びくりと肩を揺らす。
「無罪だと!? 貴様、毒殺未遂をしている分際でなにを言うかっ!!」
巡回していた護衛官に私のひとりごとが聞こえてしまったらしい。護衛官は顔を真っ赤にして、私の檻を蹴った。
「ひえっ!! く、口に出てた……。ご、ごめんなさい……!」
小さくなって謝ると、護衛官は舌打ちをしてじぶんの持ち場に戻っていった。
「お……おっかな……」
護衛官の姿が見えなくなり、私は胸を撫で下ろしながらベッドに座る。
今、私のなかには、現代での記憶と、ローズマリーの記憶が混在している。
ローズマリーの記憶を辿ると、あの部屋で聞いたとおり、彼女は潔白だった。そして、国民たちが囁くような悪女でもない。
むしろローズマリーは、あの部屋で彼女の口から聞いたものよりずっと壮絶な人生を送っていた。
十四歳のとき、突然ローズマリーの前に現れたという父親、アルベール。彼は、私が想像していた以上にクズだった。
まず、アルベールは、彼女に公爵家の養子になることを強要。ローズマリーがそれを断ると、彼は容赦なくローズマリーがバイトしていた居酒屋を潰し、住む家も奪った。
そのせいでローズマリーは、街の仇として認識されてしまったのだ――彼女が悪女と言われ始めたのは、この頃からである――。
このままでは、ローズマリーも母親も行き場を失くしてしまう。そう思ったローズマリーは、泣く泣く公爵家へ養子に入るが、その後も数多の悲劇が彼女を襲う。
義母や使用人たちからのいじめと、最愛の母親の死である。
いじめに耐えながら勉強する日々のなか、ローズマリーはひょんなことから母親の死を知り、絶望する。
しかし、悲しみのなかにいたローズマリーを、アルベールはさらに絶望の淵に追いやった。
彼はローズマリーを、じぶんより三十以上歳上の男と、政略結婚をさせようとしたのだ。
怒ったローズマリーは、同じ学校にいたロドルフに泣きついた。
心優しいロドルフは、ローズマリーを憐れみ、彼女を婚約者とすることに決めたのだ。
王国の第一王子がじぶんの娘を婚約者として迎え入れたい――それを言われて断る貴族は、おそらく世界中のどこを探してもいないだろう。
しかし、それこそがアルベールの目的だったのだ。
アルベールは、王家との縁戚関係を強めるため、ローズマリーがいやがる婚姻をわざと押し付け、自らロドルフへ迫るよう仕向けたのだった。
記憶を辿れば辿るほど、胸糞が悪くなってくる話だ。
「よし……待ってて、ローズマリー! 私がぜったい幸せにしてみせるからね!!」
……と、思った矢先。
視界がぐらりと揺れた。
――わっ、なに!?
声に出したつもりが、出ていない。
しかも、気付いたら倒れていた。
――私……今、倒れた?
手足に力を入れようとしても、うまくいかない。次第に頭のなかまでぼんやりとしてくる。
私は懸命に記憶を辿る。
――そうだ、私……というかローズマリーは、私と入れ替わる直前、毒をあおったんだった……!
私が倒れた視線の先に、ちょうどローズマリーが飲んだと思しき毒の瓶が転がっていた。
不思議な文字で、『アップル』と書かれている。
ローズマリーの身体になったことで、こちらの世界の文字が分かるようになったのだろう。
ローズマリーはこの毒を飲んだ直後、あの不思議な部屋に来て、私と出会った。そして、同じく瀕死状態だった私と入れ替わった……。
果たしてあれから、どれくらい時が経ったことになっているのだろう?
分からないけれど、とにかくローズマリーの身体は今、毒に侵されている。
このままではまずい。死刑になる前に、毒が全身に回って死んでしまうかもしれない。
――だれか……っ!
助けを呼ぼうと声を振り絞るが、唇からはかすかな吐息が漏れるだけ。
そのうち、喉がじくじくと焼けるように痛み出した。頭痛もひどくなってくる。
「うぐっ……」
私は喉を押さえたまま、身体をくの字に折り曲げる。
「――おいっ! どうした!?」
意識を失う直前、遠くでだれかの声がした気がしたが、それがだれなのか、確かめる前に私の意識は闇に呑み込まれた。