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第81話 絶体絶命

 走るサラに向かって、狼が飛び掛かる。

 それをエリオットがタックルする。


「振り返るな! 走れ!」


 エリオットの声を背中に受けて、サラは振り返ることもせず、必死に走った。

 少しずつ、狼の声が遠のく。

 早く村へ。

 ハンナを安全なところに預けた後は、村人の助けを借りてエリオットを助けに行く。

 そのため、自身の肺が張り裂けようが、足が砕けようとかまわない覚悟だった。

 自分の心臓の音と肺より吐き出される焦りのみが聞こえるサラは、一匹の狼が背後より迫っていることに気が付くことは不可能だった。

 幸いなことに、狼の狙いは外れ、その牙はサラの服を引っかけるだけだった。

 しかし、それだけで限界一杯走っていたサラの足をもつれさせるには十分だった。


「きゃっ!」


 サラはハンナを抱きかかえたまま倒れた。

 擦り傷に気を留めず、サラはハンナが無事か確認する。

 驚くほどすやすやと眠るハンナを見て、相変わらず豪胆な子だと、ほっこりする。

 ハンナの無事を確認したサラは、再度立ち上がり走る。

 その際、そばに落ちていた木の枝を手に走る。

 どれくらいの効果があるか分からない。アリスに剣術を教えたのもサラである。しかし、才能があるアリスとは違い、実戦となるとどれだけ戦力になるか分からない。

 それでもエリオットという剣がいない以上、少しでも生き残る可能性があるのならば何でもする。

 先ほどサラが転んだせいで、追いかけて来る狼は増えた。

 狼たちはウサギを狩るように、サラを取り囲もうとしているようだった。

 村まで行けば……

 村まで行けば、ハンナもエリオットも助けられる。

 そんな思いのサラを立ちはだかるように、大きな影があった。

 月明りを背に二本足で立つそれは、狼ではなかった。

 サラは一瞬、心配した村人が様子を見にやって来たのかと期待したが、毛むくじゃらのそれは、狼よりも危険な存在だった。

 クマがサラたちの行く手を阻んでいたのだった。

 サラは足を止めてしまった。

 そこにエリオットがいたならば、一か八かその勢いのまま、クマの脇をすり抜けろと指示をしていたのかもしれない。

 しかし、サラは恐怖のあまり、立ち止ってしまった。


「痛っ!」


 追いかけてきた狼は、サラの太ももに噛みつき。押し倒した。

 ハンナをかばいながら、木の棒を振るうと、運よく狼の頭にヒットした。

 ひるんだ狼を確かめようともせず、サラは立ち上がろうとするが、狼たちはサラの戦力を削ぐため、木の棒を持っている腕に噛みついた。

 思わず、棒を落とすサラ。そして足にも痛みが走る。

 私は殺されても、ハンナだけは守る。

 サラは亀の甲羅のようにハンナを守り、狼たちの牙と爪の痛みに耐えようとする。


 キャウン!


 狼の悲鳴がサラの耳に届いた。いや、狼たちの悲鳴だ。

 エリオットが追い付いてきた。

 顔を上げたサラは意外なものを見た。

 狼とクマが戦っているのだ。

 クマはまるでサラたちを守るように背中を見せ、その爪で蹴散らした狼たちに向かって牙を剥いて威嚇している。


「プリン、なんでここにいるの?」


 ここに来てようやくハンナが目を覚ました。

 寝ぼけ眼をこすりながら、ハンナの友達である子グマの名前を呼ぶ。

 クマは自分の名前を呼ばれて、振り返った。

 そこにはサラも良く知る片目の子グマの顔があった。

 プリンはハンナの無事を知ると、再度狼たちに向いて大きく唸った。

 まだ、身体は小さいとはいえ、山の王者クマに対し、狼たちは慎重に遠巻きに様子を見ていたかと思うと、踵を返して戻っていてしまった。

 その様子を確認したサラは緊張が解け、一気に痛みが襲って膝をついた。


「ママ、大丈夫? ごめんなさい、ハンナ、寝ちゃってて……」

「ハンナちゃんが悪いわけじゃないの。でも、エリオットが私たちを逃がすために残っているの。助けに行かないと……あっ」


 サラは立ち上がろうとして、再度膝をつく。

 いつもの青いワンピースは、あちらこちらすれて破れ、穴が開き、血がしみだしていた。

 軽い傷ではない。

 それはサラ自身も分かっている。

 だからと言って、エリオットを助けに行かない理由にはならない。


「ハンナちゃんは、プリンと一緒に村に行って助けを呼んでちょうだい。

「ママはどうするの?」

「エリオットを助けに行くわ」

「そんな身体じゃ無理だよ。ママが死んじゃう」

「大丈夫よ。それよりも、愛する人のピンチに何もできないなんて、死んだ方がマシよ。だから、ハンナちゃん! 早く!」


 サラの必死の言葉に、ハンナも覚悟を決めた。


「分かった。プリン、お願い!」


 ハンナがそう言うと、プリンはハンナを乗せるべく背を低くした。

 そしてその上にハンナが乗るのを確かめたサラは言った。


「プリン、ハンナちゃんをお願いね」


 そう言って、サラはプリンの頬を優しくなでた。

 自分と別れた後、ハンナたちを狼たちが追いかけてくるかもしれない。だから、ハンナを守ってと願いを込めて、サラはプリンの頬を撫でた。

 するとプリンの背中の上から、ハンナが言った。


「プリン、お願い」


 ハンナの合図で、プリンはサラの襟に噛みつくと、そのまま自分の背中に乗せた。


「さあ、パパを助けに行くよ」


 ハンナの合図で、サラとハンナを乗せたプリンは走り始めた。


「何してるの! プリン、止めて! あなたたちは、村に行くのよ」

「ダメだよ、ママ。ハンナもパパを助けに行くの」

「何を言ってるの! 遊びじゃないのよ。死んじゃうかもしれないのよ! だから、早く逃げて!」

「……ママ、言ったよね」

「何を?」

「愛する人のピンチに何もできないなんて死んだ方がマシだって。ハンナはパパもママも大好き。だから、パパもママもハンナが助けるの……一人っきりになるのはもう嫌なの」


 ハンナが物心ついた時には、すでに父親はいなかった。だから、本当の父親がどんなものか知らなかった。だから、母親と二人で森の奥深い所で住んでいた。母親は物静かで優しく、ハンナは愛されていたと思う。だから、何の不自由も感じていなかった。

 しかし、ある日の朝、母親はベッドから起きてこなくなった。

 初めは疲れているだけかと思っていたが、それが死だと言うことに気が付いたのはいつだっただろうか。

 それからハンナは日のほとんどを、母親の遺体のあるベッドで過ごした。エリオットが迎えに来るまで。

 そして、エリオットに連れ出され、国中を回りながら、少しずつエリオットとの心の距離を縮めていき、とうとうエリオットをパパと呼ぶようになった。

 ハンナにとって初めての父親。それは親子のような、年の離れた友達のような関係である。

 そして、ハンナはサラに出会った。

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