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第56話 決闘

 小鳥のさえずりと涼しい朝風のなか、二人の男女が向かい合っていた。

 男性は、いつもの厚手のシャツとズボンという比較的ラフな格好のエリオットだった。手には普段使っている物とは違う軽い細身の剣。昨日、アリスが言ったように、その剣の刃は落としているが、そうは言っても鉄の塊である。当たり所が悪ければ大けがをするだろう。

 エリオットの正面に立つアリスは、昨日のドレスとは打って変わって、身体にぴったりと合った仕立ての良いズボンとシャツを身にまとい、長い髪は動きの邪魔にならないようにきれいに結い上げられていた。見惚れてしまうような男装令嬢のような格好だった。そして、その手にはエリオットと同じ剣が握られている。

 リラックスしたようすで自分の剣の具合を確かめるエリオットに、アリスは言った。


「よく、逃げずにやって来ましたわね。褒めてあげますわ」

「逃げるも何も同じ家に泊まっているんだから、当たり前だろう」

「うるさいですわ。さっさと夜逃げでもしていればよかったものを」

「まあ、どうでも良いんだが、やるんだったらさっさと始めようか。この後、朝食を取って畑仕事に行かなきゃならないし、プリンの小屋を作りに村の人々もやって来るんだ」


 エリオットはめんどくさそうに答えた。

 その態度にアリスは文句を言いそうになったが、いつまでもウダウダと話し合う気はアリスにもなかった。


「よろしいですわ。では決闘の口上はご存じで?」

「ああ、大丈夫だ」

「では、サラもいいかしら?」


 アリスは、ハンナとともに二人を見守っているサラに確認を取った。


「ねえ、二人とも今からでも止めない?」


 二人の決闘に乗り気でないサラであった。しかし、頑固者の二人は黙って相手を見ている。それを見て、止めることは不可能だとあきらめると、決闘の口上を始める。


「戦女神のアルテーミスの名において、私サラ・ファーメンが決闘の立会を行います。二人とも名乗りを」

「戦女神アルテーミスの名のもと、私アリス・ファーメンはエリオット……あなた、家名は?」


 アリスは宣誓の途中でエリオットのフルネームを知らないことに気が付いた。

 その時、サラも知らないことに気が付いた。ひと月以上一緒に暮らしてしているにもかかわらずだ。サラ自身、すでに家名はあってないようなものだから、よけいに気にしていなかったのだ。

 すると、エリオットは剣を構えて、先に宣言する。


「戦女神アルテーミスの名のもと、我エリオット・オラクルはアリス・ファーメンに決闘を申し込む」

「あ、ずるい。戦女神アルテーミスの名のもと、私アリス・ファーメンはエリオット・オラクルに決闘を申し込む」

「お互いの神の正義の元……」

「フェアプレイにより、勝負の遺恨は……」

「「だだ戦女神の心の中にのみとどめることを誓う」」


 二人の口上が終わったのを見届けたサラは、開始の合図をした。


「二人に戦女神の祝福があらんことを!」


 先に動いたのはアリスだった。

 先手必勝。

 エリオットに何もさせずに完封するつもりだ。

 鋭い踏み込みで間合いを詰めると、そのしなやかな身体を十分に使い、矢のような突きを繰り出す。

 アリスはただの貴族令嬢ではない。

 文武両道。

 礼儀作法や知識だけでなく、馬術や武術など一通り修めている。完璧令嬢なのである。

 そして、世間の評価とは反対に、男性が好むような剣術などの方が得意であり、好きだった。


 エリオットは驚きながらも、その一撃を紙一重で受けると、反撃に転じようとするが、二撃、三撃と矢継ぎ早に、アリスの剣が急所に向かって飛び込んでくる。

 それを受け流し、よけながらエリオットは嬉しそうに言った。


「ほう、これは驚いた。ロックなんかよりも何十倍も強いじゃないか」

「そんな余裕を持っていて大丈夫ですの?」


 アリスは、そう言うと同時にしゃがみこんでエリオットに足払いを仕掛ける。

 まるで初めからそうするのを想定していたかのように、厚手のブーツで。

 直撃すれば、いくらエリオットでも足を痛める強烈な一撃。

 剣同士の戦いで、剣以外の攻撃は頭から外れやすい。特に正規の訓練を受けたものほど。

 体力的にも体型的にも劣るアリスが、良く使う奇襲攻撃。

 上手くいけば、相手を転ばせることができ、転ばせることが出来なくても足のダメージは、相手のフットワークを鈍らせる。そして、当たらないとしても上下の攻撃は、相手を惑わせることができる。

 エリオットはその足払いを逆に蹴り飛ばした。

身体の軽いアリスは跳ね飛ばされて地面に転がる。それを見て、サラは思わず叫んだ。


「アリスちゃん!」


 転がるアリスにエリオットが追撃するようであれば、そこで勝負はつくだろう。サラは決闘を止めるタイミングを見計らっていると、エリオットはその場に立ち尽くしたまま言った。


「面白い! 良いぞ。これで終わりじゃないだろうな。ここに来てからの生活は楽しいが、剣の相手を相手がいなくて困っていたんだ。さあ、立ってもっとやろうじゃないか」


 エリオットは嬉しそうに、ゆっくりとアリスに近づいてきた。

 アリスは慌てて立ち上がると、剣を構える。


「少しはやるようですわね。でももう、油断はしませんわ」


 静かに息を吸うと、アリスは一気に駆けた。

 先ほどの一直線ではなく、不規則なステップを踏んでエリオットに迫る。

 そんなアリスを見て、ハンナが叫んだ。


「お姉ちゃんすごい!」

「あら、ハンナちゃん、分かるの?」

「ずっとパパを見てたから、すこしわね」

「でも、エリオットの方が一枚上手みたいね」


 不規則な動きとフェイントを織り交ぜたアリスの一撃を、千年生きた大樹のようにどっしりと構えたエリオットは、巻き付けるようにしてアリスの剣を弾き飛ばした。

 あ然とするアリスの目の前に、エリオットは剣先を突き付けた。


「勝負あり、だな。なかなか強かったぞ。しっかりとした基礎から繰り出されるトリッキーな動き。女性にしておくにはもったいない。いや、女性だからこそ繊細でしなやかな動きか。社交界の華と言う割には愛でるだけでもったいないな」


 目をキラキラさせながら嬉しそうに言うエリオットに対し、アリスはわなわなと震えながら言い放った。


「もう一度勝負よ!」

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