「おーい、川上から魚を追い立ててくれ」
「はーい。サラもこれ持って」
ハンナは長い棒をサラに渡すと、自分の棒を持って川に飛び込んだ。
大きな音を立てて水しぶきが舞い散り、太陽の光をまき散らし、七色の橋を作っていた。
可愛いハンナが作った風景だからか、今の自分が幸せだからか分からないが、珍しくもないそんな風景をサラは美しく、愛おしく感じていた。
「サラ、何やってるの、早くおいでよ」
ハンナは川のなかで、棒を振り回りながらサラを呼ぶ。
サラは棒を持ったまま、どうしようかと迷っていた。サラはせいぜい足首くらい浸かって涼むつもりだったので、エリオットやハンナのように川に入るつもりで来ていない。
しかし、笑顔のハンナには逆らえない。
ハンナは意を決して川に入る。
水の冷たさと、砂の感触が足から伝わってくる。
川の流れに足を取られて転ばないように、ゆっくりとハンナがいるところに歩いて行く。
ハンナは川にぷかぷか浮かびながらサラに笑いかける。
「気持ちいいね」
「そうね。それで私はどうしたら良いの?」
「棒で水を叩いて、魚をパパの方においこんで」
「わかったわ」
サラはハンナに倣って、水面を叩き始める。なるべく派手に、なるべく音を立てて川を下る。
サラ達の騒ぎに時折、水面を跳ねる魚。
大漁の予感がする。
サラは魚料理に心躍らせて棒を大きく振りかぶると、足を滑らせた。
(しまった!)
大きな音を立てて、サラは川に背中から倒れこんだ。
(あ、まずい。服が水を吸って重くて立ち上がれない。そもそも、私泳げないんだった。ああ、水面に向かって泡が泳いでいく……綺麗だな)
サラはその泡が自分の口から出ていると気づかないまま、意識を失った。
~*~*~
サラは生まれたての妹、アリスを抱っこしていた。
目の前にはお父様とお母様が立っている。両親だと分かるのに、顔が陰になって表情が見えない。見えなくてもわかる。
出来の悪い部下を見る目をしている。
お父様は言った。
「サラよ。ファーメン家の長女として、ファーメン家に利益をもたらす人間になりなさい」
「はい、お父様」
お母様は言った。
「サラ、あなたはファーメン家の長女として、アリスをしっかりと育てるのよ」
「はい、お母様」
サラの一番古い記憶。
そして王都にいた時に、繰り返し見ていた夢。
(私はファーメン家のために存在する。ファーメン家のためにアリスを最高の淑女として育て、好きでもないジェラール王子の元に嫁ぐはずだった。でも、ジェラール王子との婚約は破棄され、王都を追放され、アリスとも離されてしまった。ずっとファーメン家のため、だれかのために生きていた。それ自体は別に苦ではなかった。だから人のためでなく、ただの私として一人生きた短い間は楽しくもあり、淋しくもあった。二人が来たときは嬉しかった。だれかに求められることの喜び。だれかに必要とされたい、名前を呼ばれたい)
「……ラ、サ……」
小さなあの子の泣き声が聞こえる。
(泣かないで)
「サラ、目をさ……して……」
(私、寝坊したのかしら。早く起きないと……)
「目を覚まして、サラ!」
ハンナの声にサラは目を開いた。
エリオットのどアップがそこにあった。悲しみと苦痛と焦りを三日間煮込んだような顔をしている。
そして、その唇はサラの唇に重なっていた。
それは柔らかく、荒々しく、そして力強かった。
エリオットは目が覚めたサラに抱きついた。
「サラ……目が覚めて良かった」
「エリオット……」
「サラーーーーー!!」
涙でぐちゃぐちゃのハンナがサラに抱きついてきた。
代わりにサラから離れたエリオットがサラに聞く。
「大丈夫か?」
「私……」
「川でおぼれたんだよ」
「……そうなのね。ごめんなさい」
「いや、謝るのは俺の方だ。すまない」
そう言ってエリオットは頭を下げた。
身体も髪も顔もぐちゃぐちゃに濡れたハンナの頭を撫でながら、サラは身体を起こした。
「エリオットが謝る必要はないわ。泳げないことを言わなかった私が悪いし、そもそもエリオットは助けてくれたのでしょう。ありがとう」
「いや、おぼれている人を助けることは、俺にとって当たり前だ」
「あなたにとって当たり前でも、私にはそうではないのよ。だから、エリオットが謝る必要なんてないのよ」
「いや、そう言うわけにはいかない。俺は取り返しのつかないことをしたのだからな」
「取り返しのつかないこと?」
サラはハンナを抱っこしたまま立ち上がり、首をかしげる。
先ほどまで溺れていた後遺症も無い様子で、エリオットはホッとした。
泣きじゃくるハンナを抱っこして、黒く短い髪は濡れ、その唇も艶やかに光っている。
その唇を見ながら、エリオットは下を向いた。
「すまない、非常時とはいえ、女性の唇を……」
「なんだ、そんな……え、それって」
「そうだ。俺は君にキスをした」
「……」
溺れたサラを助けるために、エリオットは救命活動、つまりマウスツーマウスの人工呼吸をしたのだった。
二人の微妙な空気を感じたハンナはすでに泣き止み、二人の顔を交互に見ていると、サラに優しく降ろされた。
すると、サラは両手で顔を隠しながら、家に向かって走り始めた。
「はずかしい~~~~~~~~!!」