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第33話 ハンナのお勉強

 それからしばらく、ロックはサラの家を訪れることは無く、穏やかな日々が続いた。

 いや、ロックは普段の生活をするサラ達を遠くからじっと見ているのだった。

 気味悪がったエリオットが、『用事があるなら来い、そうでなければ筋トレするぞ!』と脅すと一時的に退散するのだが、すぐにまた戻ってくるため、あきらめてそのままにしておくことにした。

 そんな中、雨が数日続いたある日。


「ねえ、サラ。ヒマ~」


 ハンナはソファーに横になったまま、言った。

 雨が降ってもやるべきことはある。ペコのお世話。薪割り、農具の手入れなど。

 そのほとんどは午前中の内にサラとエリオットが終えていた。

 そのため、エリオットは軒下で筋トレをはじめ、サラは縫物をしていた。


「あら、ハンナちゃん、暇なの?」

「うん、ヒマ~。雨だからペコとお散歩も行けないし」

「せいこううどくって知っている?」

「成功うどん?」

「おしい、晴耕雨読。晴れた日は畑を耕し、雨の日は本を読むって言う意味よ」

「へー、そうなんだ」

「と言うわけで、本を読んでみたらどう?」


 そう言ってサラは編み物の手を止め、自分のコレクションの小説を持って来た。

 その数、数十冊。

 追放が決まり、一人暮らしが決まった時、家にあったコレクションに加えて新刊を荷物に押し込んでやって来た。

 それを、ハンナの暇つぶしに持って来たのだ。


「な、なにこれ?」

「淑女のたしなみ、恋愛小説よ。往年の恋愛マスター、ムーンバード先生から新進気鋭のさわやか恋愛モーニングカノン先生まであるわよ」

「それって、面白いの?」


 ハンナは興味なさそうにパラパラと小説をめくる。それはサラが読み込んだ愛蔵書。

 サラは興味の無いハンナを沼に落とすべく、布教を始めることにした。


「面白いわよ。夜寝るのを忘れるくらい。ムーンバード先生は二人の間に高い壁を作って、ねっとりと二人の感情を書いているので、すごく主役の二人に感情移入できるし、もどかしくてもやもやするけど、それを楽しむ小説よ。モーニングカノン先生はさわやかな青春物で、こんな恋をしてみたいって思わせる作品が多いのよ。ハンナちゃんの場合、モーニングカノン先生の方が合うと思うの。甘酸っぱい恋なんて好きじゃない?」

「うーん、サラがそう言うなら、カノンの方がいいかもしれないけど……」

「カノン先生ね!」


 サラはハンナの目をじっと見て訂正する。『ここ大事、間違えちゃダメ!』と言わんばかりに。

 サラの圧に負けてハンナは訂正する。


「う、うん、カノン先生ね」

「そうね、入門としてはカノン先生を選ぶのはとっても良いと思うわよ。さすが、ハンナちゃん。早速読んでいきましょう。それが終わったら、感想会よ」

「うーん、でもねサラ。ハンナ、文字が読めないの」


 この世界の識字率はそれほど高くない。そのため、まだ子供のハンナが文字を読めないのが普通である。

 そして、サラが文字を読めるのは貴族だからではない。サラは特に両親から教育を受けたわけでもないいし、家庭教師を付けられたこともない。ただ、料理のレシピを知りたくて、料理本を読み漁り、自ら文字を覚えたのだった。一通りの料理本を読み終えたサラが次に向かった先が恋愛小説だったのだ。


「分かったわ。私と一緒に文字を覚えましょう。教科書は山ほどあるからね」


 サラは目を輝かせて言った。妹のアリスに文字を教えたのはサラだった。そのため、教えるのになんの苦労もない。

 それよりも、ハンナと一緒に恋愛小説話に花を咲かせることが楽しみだった。


「じゃあ、ゆっくり本を読んであげるから、本を見ていてね」

「うん、分かった」


 サラは椅子に座ると、ハンナは膝の上に乗って来た。そして本を広げると、サラは指で単語を追いながら、ハンナに読み聞かせを行う。

 ハンナの柔らかな体重がかかり、雨で下がった気温に負けない温かさが伝わってくる。

 外の雨音は規則正しく流れて来る。時折、風の音のアクセントを加えながら、優しい時間が流れる。コーヒーの香ばしい匂いと夕飯用のポトフの香りが混ざり合う。

 一通りの鍛錬が終わったエリオットが戻ってくると、サラの感情豊かな読み声が聞こえる。


「……ガイアはその雄々しい腕でマインを軽々抱き上げると、ベッドに運んだ。これまで押えていた感情を爆発させるべく……」

「ちょっと待った!」


 エリオットは慌ててストップをかける。

 それは、お互い惹かれ合っていながらも、周りの反対や、お互いの気持ちのすれ違いから離れ離れになっていたガイアとマインが、やっと素直になり、結ばれるシーンだった。

 そう、これからは大人のシーンになる。そう感じたエリオットはハンナに聞かせるのを阻止するべく、ストップをかけたのだった。


「何よ、エリオット。ここからが良い所じゃない」

「そうよ、パパ。横から来て妨害するのはマナー違反だよ」


 文句を言う女性二人にエリオットは、良識ある大人として反論する。


「本の読み聞かせはハンナにとってすごく良いことだと思う。だけど、ちょっと内容を考えた方が良いかな」

「そう? これから二人が愛を確かめ合うクライマックスを読まないなんて、ハンナちゃんも不満が残るんじゃない?」

「そうだ! そうだ!」


 結託する二人に困り果てたエリオットは、妥協案を提示した。


「なあ、サラ。ちょっとその本を見せてくれないか?」

「……ええ、いいわよ」


 エリオットは渡された本を確認すると、物語の主人公たちはベッドの上で激しくも愛のあるキスを繰り広げ、朝を迎える。そして、しばらくして可愛らしい赤ちゃんが生まれ、温かい家庭を作っていくのだったと締めくくられている。

 つまり、肝心な部分は描かれていない、極健全な恋愛小説になっていた。

 内容を確認してホッとしたエリオットは、本をサラに返した。


「ごめん、俺が誤解だった。どうぞ最後まで楽しんでくれ」

「分かってくれて嬉しいわ。じゃあ、ハンナちゃん続きを読むわね」

「はーい!」


 そう言って、サラによるハンナの英才教育は、雨の日だけでなく、ヒマがあれば続いていったのだった。

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