「ハンナちゃん、あまり林の奥に行っちゃだめよ」
「う、うん、分かった」
ハンナは先ほどの男の子のことが気になったが、男の子は遠くに行って、見えなくなっていた。仕方なく、ハンナはサラ達がいる畑に戻ると、どこかから持って来たのか、エリオットは自分よりすこし大きい棒を持っていた。
「ハンナ、どこに行っていた? 棒ならもう見つかったぞ。ペコにも引っ張ってもらわいたいから、こっちに来て準備をしてくれ」
「わかった」
ペコ担当のハンナは、畑作りの主役である。だから、サラはここに来て、真っ先に牛を購入した。人よりも力持ちの牛。それによって効率が格段に上がる。
エリオットはテコを使い、切り株を引き抜こうとし、切り株にロープを引っかけたペコが引っ張る。サラはペコがおかしなところに行かないように手綱を握って、ペコを引っ張る。
そして、ハンナの掛け声で、皆が力を合わせる。
「そうれ! そうれ! パパ、もっと力を入れて! そうれ!」
「分かっているよ! よし、もうちょっとだ!」
エリオットの言葉通り、切り株がゆっくりと動いたかと感じると、一気にひっくり返った。
こうして、サラを悩ませていた大木は完全になくなった。たった2日で。
サラは喜びの声を上げた。
「やった!」
「やったな!」
サラとエリオットは、抱き合い喜びを分かち合った。
これで畑を広くできる。収穫量も種類も増やせる。夢が広がる。
そんな想いでサラは、エリオットのたくましい胸に飛び込んだ。
弾力があり、優しく包み込むようなエリオットの胸は、先ほど作業で熱を帯び、暖かく優しい。
その男らしいエリオットの胸の感触に、サラはハッとして離れる。
「ご、ごめんなさい。つい嬉しくて」
「いや、こちらこそ申し訳ない。汗臭かっただろう」
「いや、そうじゃなくて……もういいです」
そう言って、サラがエリオットに背を向けると、ペコの上でニヤニヤと楽しそうに二人の様子を見ているハンナと目が合った。
「サラって、かわいいね」
「何言っているのよ! ほら、ペコが疲れているから、お世話お願いね」
「はーい。代わりにサラは、パパのお世話お願いね」
「何を言っているのよ。もう!」
ハンナが楽しそうに笑いながらペコを牛舎に連れて行くのを見送り、サラはエリオットに向き直った。
エリオットは陽の光に煌めく汗を拭きながら、水を飲んでいた。
「大丈夫?」
「ああ、これくらい、訓練だと思えば軽いものだ」
「そ、そう。でも、疲れたでしょう。少し休んでちょうだい。あ、そうだ。タオルを濡らしてきてあげるわね」
「そうか、じゃあお願いする」
そう言って、エリオットは先ほどまで汗を拭いていたタオルを差し出した。
サラはそれを受け取ると、小走りで小川に向かった。タオルを冷やすのと同時に自分の頭を冷やすために。
サラは自分が男性に対して免疫がないことに、今更ながら気が付いた。
ジェラール王子という婚約者がいたのだが、彼のアピール一つ一つが芝居かかって嘘っぽく、サラの気持ちを冷めた第三者のような気持で見ていた。
ただ、家のため。
ジェラール王子に婚約破棄の時に言われたように、サラは彼に対して恋愛感情を抱けなかった。それどころか、男性としてさえ見ていなかったのかもしれない。
だから、エリオットを意識しても仕方がない。
背が高く、引き締まった身体。それでいて甘いマスク。性格も優しく、少し抜けているようで、飾らず話しやすい。柔も剛も持ち合わせたイケメンである。どこに行っても、女性が寄ってくるだろう。
唯一の欠点と言えば、子持ちということだけだろう。しかし、サラにとってはハンナは好ましい存在だ。明るく、可愛らしい。
そう言えば、ハンナの母親は、どんな人だったのだろうか?
あのエリオットを射止めるくらいなのだから、絶世の美女で、あのハンナの母親なのだから聡明で明るい性格だったのだろう。
サラは、小川に写る自分の顔を見てため息をつく。
白百合と言われた妹と似ても似つかぬ地味な顔は、田舎暮らしで余計に女性としての魅力が無くなっているように見える。
(何を考えているのよ。エリオットもハンナも、しばらく居たらいなくなるのだから)
そんなことを取りとめもなく考えていたため、サラは自分の身に迫る危険に気が付くのが遅れたのだった。