一通り笑ったサラは、涙を拭きながら、ふてぶてしく横たわる大木を見た。
「しかし、このままでは、木が動かせないわね」
「そうだな。重いなら、軽くすればいい。少し、下がっていて」
そう言うと、エリオットは踊るように斧を振るうと、枝を落としていった。
幹を切ればもっと軽くなるだろうが、無駄に畑を傷つけてしまうだろう。
「パパ、ナイス! ペコ、引くよ」
「よし、これならいけるな」
先ほどより軽くなり、枝の抵抗なくなり、木は動き始めた。
邪魔物が取り除かれた畑は、無残な姿になっていた。その上、エリオットの切り落とした枝も散乱している。
「ありがとう。ハンナちゃんはペコを牛舎に戻して、休ませてあげて」
「でも、ペコ。お腹空いてるって、言ってるから、その辺の草を食べさせてもいい?」
「そうね。じゃあ、お願いわ。さて、やりますか」
「やるって、何をするんだ?」
ひと仕事終え、水を飲みながら汗を拭いているエリオットは、不思議そうに尋ねた。
ちょっと抜けているところはあるが、黙ってこうしていると、まるで絵画から抜け出たようだ。
思わずサラが見惚れていると、エリオットが顔を近づけてきた。
「なに、ぼーっとしてるんだ?」
「あ、ごめんなさい。葉を落として、枝は乾燥させて薪にするの。葉も大事な堆肥の材料になるの」
「そうか、じゃあ、葉を落とすか」
「大丈夫よ。これくらい私でもできるから、それよりもエリオットも疲れたでしょう。休んでいて」
「だから、自分がケガをしているのを忘れていないか?」
「あ!」
「そこの切株にでも座って、見ていてくれ」
「でも……」
「……」
じっと見据える、真っ赤な瞳に押されるように、サラは切り株に腰を下ろした。
手際よく、枝を拾いあげ、葉を落として行くエリオット。元々、ただの貴族令嬢であるサラよりも何倍も仕事が早い。
明るく降り注ぐ、陽の光。楽しそうなハンナの声とペコの鳴き声が、そよ風に乗ってやってくる。エリオットの小気味よい作業音。
サラは、その心地よい空間に心をゆだねる。
人々の悪意も妬みも嫉妬もない。ただ自然と生き、自然とともにある生活。
サラは貴族向きの性格ではない。元々の性格なのか、これまでの生活がそうさせたのか分からないが、自分が着飾り、恋愛レースに参加するよりも、誰かのために働き、誰かの笑顔を見て、その笑顔に喜びを覚える。
そして、人の悪意に弱い。
だから、愛憎渦巻く貴族社会のど真ん中に放りこまれた、あの婚約期間はサラにとって地獄な時間だった。
それならば、ひとりで居た方が良い。
そう思っていたが、思いがけず、この時間が愛おしく感じてしまう。
ただ、ほんのひと時の出会い。
明日には、いなくなる二人。
それでも、この時間がなかったことになるわけではない。
いつまでも、楽しい思い出のひとつとして、サラの心に残り続けるはずだ。
「サ……サラ。起きてよ、サラ」
甘いミルクのような声に、優しく肩を揺らせれる。
自分が眠っていたことに気が付いたサラは、ハッと目を開く。
いつの間にか、日陰の柔らかな草の上で横になっていた。
あたりを見回すと、日が傾き始めている。ハンナたちのせいで、昼食に時間がかかったとはいえ、結構な時間眠っていたことに気が付いた
「え! 私、寝ていた?」
「ああ、座ってしばらくすると、舟をこぎ始めたから、移動させたけど、全く起きる気配がなかったぞ」
「ぐっすりだったよ」
エリオットに続いて、声をかけたハンナは楽しそうに、サラに抱きついた。
ハンナを抱っこしながら、サラは畑を見ると、木が倒れる前、同様とまでは行かないが、かなり綺麗になっていた。これならば、収穫に大きな影響はないだろう。
そして、ここまでのことをエリオット一人に任せてしまったおことを恥じたサラは、エリオットに頭を下げた。
「ごめんなさい、エリオット。一人で、作業させてしまって」
「気にするな。それより、こんなもんで良かったのか?」
「ええ、十分よ。ありがとう。そうだ! お礼に晩御飯も食べて行ってちょうだい」
もう、夕方だ。このまま帰してはファーメン家の名が廃る。とは言っても、もうすでにファーメンの名を名乗ることは、無いのだけれど。
そんな家名のことではない。ただ、二人にお礼がしたく、二人と一緒にいたいだけなのかもしれない。
そんなサラの申し出に、エリオットとハンナは顔を見合わせて、申し訳なさそうに言った。
「そのことなんだけど……」
「ああ、もしかして、宿で夕食をお願いしていたの? それなら、もったいないわよね。ああ、気にしなくていいわ」
「いや、そうじゃないんだ。実は……俺たち今日、この村にやって来たところでな。泊まるところも無いんだ」
エリオットは、やっちまったと言う顔でそう言った。
村にやって来たとたん、ハンナが行方不明になり、大慌てで探し、サラと出会ったのだ。そのため、宿の準備も何も出来ていないらしい。
「だったら、ウチ泊まって行ってよ」
「本当か?」
「待ってました! そう言ってくれるのを。よかったね、パパ」
「ええ、二人なら大歓迎よ。一緒にお風呂に入りましょうね、ハンナちゃん」
こうして、エリオットとハンナはサラの家に泊まることになったのだ。