「エリオット、木を切って、ペコと一緒に切株を引き抜いて欲しいの」
サラは畑のすぐそばの木を指さした。普段は畑仕事の合間に、その木陰で休んでいる木だが、その一本を取り除くと、飛躍的に畑の大きさを広げられるのだ。
しかし、なかなかサラの細腕では木を切ることも、そのあとの切株を取り除くことも困難だった。そのうち、村の人の男衆にお願いしようと考えていたのだが、村人といまだ信頼関係が築けていないサラはその作業自体、まだまだ先になると思っていた。
エリックが力自慢だと言うのならば、その力を存分に発揮していただこう。
そうは言っても、エリックひとりで切るには相当の時間がかかるだろう。
その間にこっそりと、堆肥を発酵させようと、サラはそこまで考えていた。
そんなエリックは斧を手にして、木の周りをまわって、様子を見た後、サラに尋ねた。
「これは、向こうに倒せばいいのだよな」
「ええ、間違っても畑側に倒さないでね」
「大丈夫だ。畑側から切りつければ、木は向こう側に倒れるはず! おりゃーーーー!」
「ちょっと! 待って!」
サラの言葉を待たずに、エリオットは畑側から思いっきり木に切りつけた。
普通であれば、倒したい方に切り込みを入れ、何度も切りつけて切り込み側に倒すのだが、エリオットがただ一撃、切りつけただけで、木はゆっくりと倒れた。
サラの畑の方向に。
「きゃー! 止めて!」
「危ない!」
畑に倒れようとする木を受け止めようとサラを、エリオットは抱きかかえた、安全な場所まで移動した。
「何をしている! 危ないだろう」
「何をしているって、こっちのセリフよ。畑の方に倒さないでって、言ったじゃない!」
「うっ! それは申し訳ない。しかし、畑はまたやり直せばいいが、君に怪我でもあれば、取り返しがつかないだろう」
「それでも、大事な畑がダメになったら、生活ができないの。ただでさえ、ぎりぎりの生活なのに。あー、もう、こんなにしちゃって」
畑の半分ほどを覆いつくした大木を見て、ため息交じりに文句を吐く。
畑を増やそうとして、今の畑を台無しにされては本末転倒である。しかし、起こってしまったものはしょうがない。
サラは気持ちを切り替えた。
「エリオット、さっきは助けてくれてありがとう。怪我は無い?」
「大丈夫だ、鍛えているからな!」
「はいはい、二人とも危ないからちょっとどいて~」
「ハンナちゃん、何を……って、え! ペコに乗って何しているの!?」
サラは後ろを振り返ると、そこには黒牛の背に乗って、楽しそうにしているハンナがいた。
いつの間にか牛舎からペコを連れ出したのだ。
いくら大人しいペコとはいえ、所詮は牛。小さなハンナが振り落とされては怪我をしてしまう。
サラは慌てて、ハンナの元に駆け寄った。
「ハンナちゃん、危ないから、ペコから降りて」
「大丈夫よ。ペコとは仲良しだもの。ねー。ペコ」
「モー」
ペコは背中にいるハンナに声をかけられて、嬉しそうに声を上げる。
ハンナとペコが仲良くなるのは嬉しいことだが、ペコはハンナのおもちゃではなく、家族であり、労働力である。
サラはペコの手綱を取ろうと近づくと、ハンナに注意される。
「危ないよ、サラ。パパ、このロープで、その木を縛ってちょうだい」
「分かった」
ハンナの意図を汲み取ったエリオットは、素直に指示に従い、ロープを木に縛り付ける。そのロープはペコにつながっており、ハンナの指示でペコは引っ張り始めた。
「頑張って、ペコ」
「モー」
「ほら、パパも頑張って、押してちょうだい。パパがやらかしたのだから」
「はいはい、分かったよ」
倒れた大木をペコが引っ張り、エリオットが木を押し、ゆっくりと木が動き始めた。しかし、二人がかりでも重すぎる。
「私も手伝います」
「いや、サラは怪我をしているだろう。これは、俺のミスだ。任せてくれ」
「いえ、ここは私の畑です。私もやります」
「いや、俺たちに任せておけ」
「任せておけません」
「もー、パパもサラも、子供の前でイチャイチャしないの!」
「モー」
サラとペコにたしなめられて、サラとエリオットは冷静になり、顔を見合わせた。すると、なぜか笑いが込み上げ、二人は顔を見合わせたまま笑い合った。
今日一日だけでどれだけ笑っただろうか。もしかしたら、物心ついてから今日まで以上に笑ったかもしれない。貴族令嬢として愛想笑いは、山ほどしてきた。それこそジェラール王子の婚約者になってから、冷えた心のまま笑いの仮面を張り付けていた。
一人暮らしになり、仮面は脱ぎ捨てたが、笑い合える人がいなかった。
元貴族の犯罪者であるサラに、村人は冷たい。必要以上にかかわろうとしない。
物言わぬペコだけが家族だった。