「これってパンなの? パンって、ぺっちゃんこなものじゃないの?」
「これもパンよ。ちゃんと小麦粉を練って焼いているのだから」
サラの説明にも一向に納得しない様子のハンナ。
それもそうだろう。サラが改良に改良を重ねたふわふわ食パンである。普通のパンはもっと平らか硬いものだ。そう言ったパンしか見たことのないハンナには、何か別の物に見えるのだろう。
一向に手をつける様子の無いハンナを見て、サラは仕方なくパンをひとつちぎって食べて見せた。綿のようにふわふわなパンは香ばしい香りを食卓に広げる。
うん、いい出来。
サラは会心の出来に、思わず笑みを浮かべる。
それを見て、初めてハンナはパンを口にした。
「ふわふわで美味しい~」
「そうでしょう。特にこれは今朝焼いたばかりだから、特に柔らかくて美味しいわよ」
(これよ、これ。ここの生活で唯一不満だったもの。私の料理を食べてくれる人がいないってことよ。あー夢中になって、美味しそうに食べてくれている。なんて幸せ~。ほっぺにシチュー付けて、なんて可愛いの)
ハンナが食事に夢中でサラの表情に気が付いていないことが、幸いだった。
完全に弛緩しきったその顔は、元貴族令嬢と思えないほどデレデレしていた。
テーブルに並べられたパンとシチューを綺麗に食べ終えたハンナを見て、気をよくしたサラはデザートまで出したのだった。
それはヨーグルトにイチゴのジャムを垂らしたものである。
「ミルクが固まってる。これって腐ってるんじゃないの? ジャムがもったいないよ」
「大丈夫、これはヨーグルトって言ってミルクから作った物よ」
ハンナは不思議そうに白い部分だけ少しすくって、舌の先で味見をした。
「酸っぱい。やっぱり、腐ってるよ」
「腐っていないから、大丈夫。でも、そのままだとちょっと酸っぱいから、ジャムを混ぜながら食べてみて、甘酸っぱくなって美味しいから」
ハンナは言われるままに、ヨーグルトだけで無くジャムもスプーンに乗せて味見をすると、パッと明るい表情になった。
「本当だ。甘酸っぱい」
初めて食べるヨーグルトも綺麗に平らげたハンナは、やっと落ち着きを取り戻した。
そうして、食事をしながら疑問に思っていたことをサラにぶつけた。
「ねえ、サラって魔法使いなの?」
その言葉を聞いて、サラは思わず、持っていた食器を落としそうになったが、なんとか気を持ち直して、作り笑いを浮かべてハンナの方を振り返る。
「魔法使いが、こんなところにわけがないわよ。おかしなことを言うわね」
「だって、ハンナ、サラが出してくれたシチュー以外の料理って見たことも聞いたことがないもの。こんな美味しい物を作れるなんて、魔法使いでなければ、なんなの?」
キラキラとした瞳でサラを見る少女を見て、どう言い訳をしようかとサラは悩んでいた。
サラは魔法使いである。
二十歳の誕生日に料理の本と間違えて魔導書を開き、微生物を操る能力と、その知識を手に入れたのだった。
誰も「微生物」と言う物を知らないこの世界で、唯一サラは微生物の力を自由に操れる発酵令嬢になったのだった。
しかし、この力はサラの感情に左右される部分があり、負の感情を抱いてしまうと、いつの間にか人の健康に悪い菌を発生させてしまうのだった。
ジェラール王子の婚約者となり、料理が出来なくなってからこの力が嫌いだったのだが、ここランドールに追放されてからは、発酵食品の開発に目覚めて、楽しい生活を送っている。
子どもだから大丈夫だろうと、発酵食品を振る舞ったのが、まさか魔法使いだと見破られるとは思わなかった。サラの油断が招いた、当然の結果なのかもしれない。
しかし、それは仕方が無い事だった。
頑張って作った品々を誰かに食べてもらいたいと思っていた。しかし、こんな所に追放されたサラを、誰が訪ねてくれるというのだろうか? 村に行き、買い物をしても、遠巻きで噂話をされるだけで腫れ物扱いされて、友人どころか、話し相手もいない。
そんなときに、可愛い女の子がお腹をすかせて、倒れていたのだ。
そもそもサラは、妹のアリスの世話をして生活していたのだった。
小さな女の子の世話が大好きなのだ。世話好き女子なのだ。もしかしたらこれを機に、ハンナが毎日遊びに来てくれないかと、期待するほどに。
サラはハンナが怯えないように、かつ、納得いく説明を、頭をフル回転させながら考えていたが、駄目だった。
素直に魔法使いだと言うことを認めてしまおうか。良い魔女だと言えば信じてくれるだろうか?
悩んだサラは、話題を逸らそうと決めた。
「そういえば、ハンナちゃん。パパとママはどうしたの?」
「ママはいないよ。パパは置いて来ちゃった」
「置いてきた?」
サラが、驚いてそう言った時、玄関のドアが乱暴に開け放たれた。