サラ・ファーメンは、小さき頃から幸薄い女性であった。
田舎貴族ファーメン家の長女として生まれたにも関わらず、商売で忙しい両親の代わりに、五才離れた妹の世話をして過ごした幼少時代。
年頃になっても、漆黒の髪に地味な顔つきの上、背の高いサラに言い寄る男性はおらず、サラが手塩にかけた可愛らしい妹アリスばかり、社交界では有名になっていた。
そのため、ファーメン家のアリス(白百合)でない方の娘と言われる始末である。そんなサラに第二とは言え、王子から婚約を打診されたのだ。王家とつながりが持て、ますます商売に幅ができると込んだ両親は、サラの気持ちなど確認せず、二つ返事で了承したのだった。
それまで、白百合のお世話係と言う役目から、急にジェラール王子の婚約者となったサラは、戸惑いの連続であった。
アリスに付き添い、夜会などに出ていたが、壁の花となりアリスを見守っているだけの自分が、今や王子とともにダンスホールのど真ん中にいるのである。
これまでの立場の変化はもちろん、なぜジェラール王子が自分などを婚約者に決めたのか。彼の気持ちが見えないのが、サラが戸惑う一番の要因だった。
ジェラール王子に聞いても、「そのうちわかるさ」と言ってはぐらかされていた。
とはいえ、婚約者としての扱いをぞんざいにされているわけではなかった。
ただ、サラを悩ませたのは、「自分で料理ができない」ことだった。
忙しく、ケチな両親のおかげでサラは、アリスはもちろん、両親の料理を作っていた。初めは失敗することが多かったが、今や胸を張って「ファーメン家の料理長」を名乗れるほど、料理が上手くなっており、好きになっていた。
ジェラール王子の「未来の王妃が料理などするものではない」との一言で、料理を禁止させられてしまったのだった。
そして、もう一つサラを悩ませることがあった……
今日はサラとジェラール王子の婚約日から、ちょうど一年目の記念日の夜会であった。
美しく盛り付けられた新鮮な果物、山のように盛り付けられた平パンのチャパティ、美しいきつね色に焦げ目の付いた肉、絞りたてのジュースにお酒、そして参加者の色とりどりの華やかな衣装。
結婚発表があっても、おかしくない豪華なパーティー。
その真ん中にジェラール王子が立っていた。
ルビーのような赤い髪を綺麗にセットし、そのサファイアの瞳には決意と怒りが入り混じっていた。
そんなジェラール王子は、サラの目の前で婚約破棄を言い渡したのだった。
「サラ・ファーレン、お前には愛想を尽かせた。この場で婚約を破棄する」
突然、婚約発表を発表したジェラール王子に対しサラは、驚きの表情を見せた後、じっと何かを抑えている。
この一年間サラは、両親の期待に答えるように、王子の好みに合わせ、控えめで、従順な女性を演じていた。
そんなサラにジェラール王子は、初めの半年ほどの間、上機嫌に接していた。
変わったのは王子の腕にしがみついて、こちらを睨んでいるピンクのゆるふわ髪の女性マーガレットが現れてからだった。
平民出身のマーガレットは自由奔放で、明るく、同性のサラから見ても魅力的な女性だ。
サラの目にも、ジェラールがマーガレットに惹かれて行っているのが分かった。
そんなジェラールの姿を見ると、サラの心に薄暗い感情が湧き上がるのだった。
その心が、自分の能力を暴走させてしまうと分かっているだけに、必死でこらえていた。
「なぜですか。この一年、私はあなたの最良な婚約者としてなのも落ち度はなかったはずです」
「ああ、そうだ。しかし、お前は“僕の婚約者”であって、“僕を愛する者”ではない」
そう言われてしまえば、その通りだった。サラは、ジェラール王子のことを愛しているかと言われれば、そうではない。そうかと言って嫌っているわけでもなく、自分のような女性に興味を持つ珍しい人だと言う感情しかなかった。貴族令嬢として生まれてきたのだから、自分自身の恋愛感情とは関係なく結婚することも想定していた。そのため、嫌悪感を持たない相手で良かったと思っていた。
しかし、ジェラール王子の考えは違っていたようだった。ジェラール王子は自分に酔ったように言葉を続けた。
「僕は、真実の愛に目覚めたのだ」
「真実の……愛ですか?」
「そうだ、真実の愛だ」
「はあ、そうですか」
「僕は、お前に真実の愛を見つけられなかった。今は真実の愛を、真に愛する人を見つけたのだ」
そう言ってジェラール王子は、美しく彩ったマーガレットをその胸に引き寄せた。やわらかな髪をふわりとなびかせ、ジェラール王子の胸にジャストフィットで収まる。
ジェラール王子より背の高いサラが同じことをされると、すごく中途半端な体制になるなと冷静にサラが考えていると、ジェラール王子は言葉を続けた。
「そして、お前を殺人未遂の罪で告訴する。僕に対して毒殺をたくらんでいるだろう」
「そんなことはありません」
「じゃあ、なぜ、お前と会ったあと、必ず体調が悪くなるのだ?」
「わ、分かりません。分かりませんが、ここで失礼します」
これ以上ここにいては、取り返しのつかないことになる。だから、サラはこの場から逃げ出すことにした。
今ならまだ、ただ婚約を破棄された可哀想な女が一人残るだけ。誰にも被害を出さず。
そんな思いで夜会から逃げ出したサラは、大慌てで人気のない広場に逃げ出し、必死で心を落ち着かせた。
(大丈夫、大丈夫なはず。明日からは、昔に戻るだけ。でも、真実の愛か……本当に好きな人と愛し合えるなんて、ちょっと羨ましいかも)
ジェラール王子の婚約破棄には衝撃を受けたが、初恋らしい初恋を知らないまま、ジェラール王子の婚約者になったサラは、大勢の前であのように言い切れる二人が少しうらやましかった。
(恋どころか、出会いすらないのだから、しょうがないよね。出会いと言えば、アリスちゃんが生まれる前に、少しの間遊んでいたあの子は、今はどうしているだろう)
サラの妹のアリスが生まれる前に連れていかれた、どこかの屋敷。そこで出会ったヤンチャな男の子と意気投合したのだった。
一度きりの、唯一の男の子との出会いだった。
サラはふと、そんなことを思い出しながら、自分の家へと戻った。
そして翌朝、ファーメン家には王子の使いが数人の騎士を連れて現れたのだった。
『サラ・ファーメンは王族殺人未遂として、サラ・ファーメンを僻地ランドールへ追放する。そして王族の許可なく、ランドールを出ることを禁ずる。これを破った場合は、死刑に処す』
ジェラールの主張するサラの毒は見つからず、ただ、ジェラール本人の証言のみであったため、通常は死罪であるところを流刑のみで済んだ。
しかし、ランドールは荒れ地で、普通の貴族令嬢が一人で生活すれば、一年も持たずに死んでしまうだろう。そんなところへ家族はもちろん、付き人一人つけずに追放させられてしまったのだった。
サラには幾ばくかの金と、空き家、そして荒れた畑が与えられただけで。