冬の始めに雅親の誕生日が来た。
恋は初夏の生まれなので、来年まで年を取らないが、雅親は恋との年の差が少しの間六歳になる。
年の差なんて意識したことはないし、雅親は雅親なので構わないのだが、恋は雅親の誕生日を祝いたいと思っていた。
恋は自分の誕生日というものがほぼない生活をしていた。
誕生日はファンに祝ってもらう日であり、ファンにお礼を言う日であり、自分のものという感覚がなかった。それだけに雅親のお誕生日をどう祝えばいいのか分からない。
その時期に一緒に舞台の稽古をしていた明日香に、恋は聞いてみた。
「お誕生日ってどうやって祝うものだと思う?」
「笠井先生、お誕生日なの?」
「そうなんだけど、僕はお誕生日の祝い方が分からなくて」
これまで分からないことは雅親に聞いていたが、さすがに本人の誕生日の祝い方を聞くわけにはいかない。
「一般的にケーキを用意するんじゃないかな。恋さんも現場で誕生日だったときには、ケーキが用意されてたでしょう?」
「それだけでいいと思う?」
「ご馳走も用意してあげるといいんじゃないかな。好きなものとか聞いてみて」
明日香のアドバイスに従って、恋は雅親に好きなものをリサーチすることにした。
「雅親さん、好きな食べ物ってある?」
「好きな食べ物……昔は竜田揚げが好きだったけれど、そんなに食べられなくなってきましたね。ピザも好きだけど、作ると結構量ができるから食べきるのが大変になりますね」
「他に好きなものは? 作れないものでも構わないんだけど」
「作れないものでもいいんですか? それなら、中華おこげが好きですね。後、クラゲの酢の物も」
中華おこげは作ろうと思ってもお店の味は絶対に出せないので、ずっと食べていないと聞いて、恋はそれにしようと決めた。
中華を食べに行くなら、天音と充希も誘った方がいいかもしれない。人数がいた方が中華はたくさん注文できるし、雅親は天音と充希にも祝ってもらえることを望むだろう。
「天音さん、雅親さんのお誕生日、予定空いてますか?」
「空いてますけど、なにか?」
「雅親さんのお誕生日を祝いたいんです。できれば充希くんも一緒に。中華のお店を予約して」
「二人で祝わなくていいんですか?」
「二人でよりも、みんなでの方が楽しくないですか? 雅親さんもそれを望んでいると思いますし」
天音にお願いすれば、「それなら、雅親が小さいころに好きだった中華の店を予約します」と言ってくれた。
誕生日当日、恋は舞台の稽古を終えると、天音の車で中華料理店に行った。
雅親も充希も予約の時間通りに集合していた。
「雅親、誕生日おめでとう。バイト先からケーキ買ってきたんだ」
「ありがとうございます、みっくん」
「帰ってから逆島恋サン……じゃない、馨さんと食べてくれよな」
「充希くん、ありがとう」
充希にも恋は本名で呼ばれていることに少しくすぐったさを感じる。どうやら充希も恋を家族の一員として認めてくれているようだ。
「まずは飲み物を頼んで乾杯しましょう。生ビールのひと?」
「はい!」
元気よく充希が手を上げて、「二十歳なのにやるわね」と天音に言われてる。
「恋さん……じゃなくて、この場ではプライベートなので馨さんと呼ばせてもらいますね。馨さんとまさくんは?」
「僕は今日はお酒はやめておきます。ウーロン茶で」
「私もウーロン茶でお願いします」
運転しているので当然天音も飲めなくて、雅親と恋と天音がウーロン茶、充希だけが生ビールを頼んでいた。
飲み物を注文して運ばれてくる間にメニューを見て天音が注文を決めている。
「前菜はクラゲの酢の物で、中華おこげは絶対頼むとして、チンジャオロースと酢豚と八宝菜はどうする?」
「どれも食べたいかな」
「唐揚げは? みっくん、ここの唐揚げ好きだったでしょ?」
「唐揚げは私も食べたいです。馨さん、ここの唐揚げは美味しいんですよ。結構大きいですけど、一個なら食べられると思います」
「それじゃ、僕も唐揚げお願いします」
飲み物が運ばれてくると、天音がてきぱきと注文している。
「クラゲの酢の物と、中華おこげ。中華おこげはでき次第持ってきてください。チンジャオロースと、酢豚と、八宝菜に、空心菜の炒め物も食べるひといる?」
「食べたいです」
「空心菜ってなに?」
「空心菜はつる性で茎が空洞になっている青物の一種です。茎が空洞になっているので、食感が面白くて美味しいんです」
「それ、僕も食べてみたいです」
「それじゃ、空心菜の炒め物も一つ。それに唐揚げを四つお願いします」
店員が注文を繰り返して、天音が確認して注文は終わった。
運ばれてきたグラスを持ち上げて、乾杯をする。
「まさくん、お誕生日おめでとう」
「雅親、おめでとう!」
「雅親さん、おめでとう」
「ありがとうございます」
クラゲの酢の物から料理が運ばれてくる。
クラゲを食べるのは恋は初めてだったが、ぷりぷりとした食感が美味しい。
「もしかして、雅親さん、海老は嫌い?」
「気付きました?」
「これまで食事に出てこなかったし、天音さんが海老チリを頼まなかったなと思って」
「あまり好きではないですけど、馨さんが好きなら、海老の料理も作りますよ」
「僕のために雅親さんが嫌いなものを我慢することはないよ。これから、雅親さんの好き嫌いをもっと教えて」
できる限りは雅親に無理をさせたくなかったし、大人になってまで嫌いなものを食べて生きることはない。
恋の言葉に雅親は「ありがとうございます」と微笑んでいた。
頼んだ料理が次々と来るが、皿はそれほど大きくなくて、一人ずつが食べる分を取ればなくなってしまうくらいだった。
唐揚げは大きかったが熱々の揚げたてで、意外と食べられてしまった。
空心菜の炒め物も初めて食べたが、シャキシャキとした歯ごたえが楽しく、美味しく食べられた。
中華おこげが来たときには、恋は少し驚いてしまった。
揚げたての米のブロックのようなものの上に、熱々のあんかけを目の前でかける。じゅうじゅうという音が熱さを示しているようだ。
中華おこげは雅親が取り分けてくれて、全員分分けられたところで恋は食べてみた。
あんかけに浸かっていないところはさくさくで、浸かっているところはとろとろの揚げたお米がとても美味しい。あんかけには八宝菜と似た具が入っていて、それも味が染みてとても美味しい。
全部食べ終えて、恋は自分のカードを取り出していた。
「今日は僕に払わせてください。雅親さんの誕生日なので!」
「それじゃ、御馳走になります」
「ありがとうございます」
「ご馳走様」
天音も雅親も充希も、誰もそれに対して文句は言わなかった。
カードで支払って店を出ると、天音が車で雅親と恋と充希を送ってくれる。
先に雅親のマンションについたので、恋は充希と天音にお礼を言って車から降りる。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ、御馳走様でした」
「雅親とケーキ、食べてくれよな」
「ありがたくいただくよ」
雅親も二人にお礼を言って車から降りて、エレベーターで雅親の部屋がある階まで上がる。
リビングに入ると、上着を脱いで、手を洗って、恋がお茶のセットの前に立った。
「僕が紅茶を入れるから、雅親さんは座ってて」
「全部してもらって申し訳ないですね」
「お誕生日なんだから」
開いている紅茶の中で白桃のフレーバーティーを選んで、恋は紅茶を入れる。
手順通りにして、三分ぴったりでマグカップに紅茶を注ぐと、雅親がケーキをお皿に出してくれている。
「私の二杯目の紅茶を飲んでくれるひとが、私に紅茶を入れてくれるひとになりました」
「雅親さん、僕のことそういう風に思ってくれてたの?」
「これからもよろしくお願いしますね」
紅茶のマグカップを持ち上げた雅親に、恋は大きく頷く。
「僕の誕生日には雅親さんが紅茶を入れて? そうやって、ずっと過ごしていけたらいいね」
充希がくれたケーキは苺が乗っているものと、林檎が薔薇のように飾られているもので、雅親と恋はお互いに一口ずつ交換してケーキを食べた。