恋の芸能事務所と、雅親の所属する出版社から、声明が出されたのは秋が深まってからだった。
恋の書いた声明と、雅親の書いた声明が同時に出された。
『笠井先生の舞台を終えてから、私、逆島恋は正式に笠井先生と交際をすることになりました。舞台二日目の記事が出たときには、皆様にお伝えした通り、私と笠井先生は恋愛関係にはありませんでした。今回の舞台を通して笠井先生への尊敬の気持ちが高まり、舞台千秋楽後に二人で気持ちを確かめました。笠井先生とは今後、よきパートナーとして共に暮らしていきたいと思っています。今後とも皆様に応援していただける逆島恋でありますよう、努力していきます』
『私、笠井雅親は、この度逆島恋さんと交際をさせていただくことになりました。以前に記事で書かれたときのように、今後とも私は自分の作品がメディア化されるどんなオーディションにも関わることはありません。逆島恋さんが私と交際していることによって役を獲得するようなことはありません。逆島恋さんとはお互いを尊重して、高め合う存在として共に生きていきたいと思います。今後とも、応援をよろしくお願いいたします』
二つの声明が出た後で、恋は記者会見にも臨んだ。
雅親は顔出しをしていないので記者会見に参加できないことを申し訳なく思っているようだが、こういうことは恋に任せておいてほしかった。
「この度は私と笠井先生の交際宣言に伴ってお集まりいただきありがとうございます。笠井先生のことは作家としても、年上の男性としても、ずっと尊敬していました。笠井先生の原作の舞台が終わって、私は笠井先生に気持ちを伝えて、笠井先生はそれを受け入れてくれました。笠井先生の声明にあったように、今後とも笠井先生はいかなるオーディションにも関与しないし、私は笠井先生と恋愛関係にあっても平等にオーディションに参加させていただきます。笠井先生とはいずれ、何らかの形で関係を確かなものにしようと約束しています。そのときにはまたお伝えすると思います」
結婚会見ではないのだが、ほとんどそのようなものになっている自覚はあった。
隣りに雅親はいないが、恋は雅親のことも誠実に話したつもりだった。
集まっている記者から質問が出る。
「普段は笠井先生のことを何て読んでいるんですか?」
「雅親さんと呼ばせていただいています」
「このことについて、ご両親の逆島愛さんと橘伊月さんはどう仰っているんですか?」
「両親も理解してくれました」
「笠井先生のご家族の反応はどうだったんですか?」
「温かく迎え入れてもらえました」
何枚も写真を撮られて、その質問は必要なのかと思うようなことも聞かれたが、恋は終始笑顔で対応することができた。
雅親の前でなければ恋は完璧に演技することができるのだ。
記者会見が終わって控室に戻ってネクタイを緩めていると、天音がスケジュールを伝えてくる。
「ドラマとCMのオファーが入っています。ドラマは医療系のもので、主演の若手の医者の役をお願いされています。CMはシューズのもので、歌って踊ってほしいという要望が来ています」
「他のオファーは来てない?」
「今のところ来ていませんが、逆島さんが受けたいオーディションがあるのならばそちらを優先しますが」
「舞台のオーディションがあったら受けたいです。舞台もドラマも映画も受けていましたが、僕はどちらかと言えば母と同じ、舞台が一番合うのではないかと思い始めています」
これまでは仕事を選んだことはなかった。来た仕事は全部受けていたような状態だった。
雅親が原作の舞台で復帰してから恋は少し考えることがあった。
自分は舞台に向いているのではないだろうか。
歌って踊って、毎回が一発勝負で、毎日舞台の上を駆け抜けるのはものすごく苦しいし、大変だ。それを駆け抜けられたら、物凄い達成感がある。
「雅親さんの原作の舞台で主演を演じて、僕は舞台の方をやりたいと思うようになりました」
「それなら、他の作家さんの原作の舞台ですが、オーディションを受けてみますか?」
「よろしくお願いします」
できることならば舞台一本に絞りたいのだが、しばらくは難しいだろう。ドラマや映画やCMの仕事も受けつつ、舞台のオーディションを狙うしかない。
「私も逆島さんは舞台向きなんじゃないかと思っていました」
「そう思いますか?」
「歌とダンスと演技がお好きでしょう?」
「そうなんです」
歌とダンスと演技が一緒にできるのは舞台くらいしかない。スキャンダルで休んでいた間に、恋は自分の歌を雅親に聞かせたことがあった。女性の声を出しての歌だったが、雅親はそれを褒めてくれた。
ドラマや映画では無理かもしれないが、舞台なら恋が色んな声を出して、色んな歌を歌って、色んなダンスを踊れるのではないだろうか。舞台の可能性に改めて気付いた恋は、舞台に惹かれていた。
CMのオファーは受けたが、ドラマのオファーは断って、恋は舞台のオーディションに出た。有名俳優とはいえ、必ず役がもらえるとは限らない。主演でなくてもいいから、端役でも舞台に立ちたいと臨んだオーディションで、恋は無事に主役の座を掴んだ。
正確にはW主演だった。
日替わりで恋ともう一人の俳優が主役を務める。
オーディションに受かった報告をしに雅親の元に帰ると、雅親は恋をお祝いしてくれた。
「よかったですね。馨さんは舞台をやりたいんですね」
「雅親さんの原作の舞台に立って、歌って踊って、演技しているうちに、これがもしかして僕の一番やりたかったことじゃないかと思い始めたんだ。小さなころから、声楽もバレエもダンスも日舞も好きだった。それが活かせるのは、舞台だったんじゃないかと思い始めたんだ」
「ドラマ俳優と映画俳優としての逆島恋は廃業ですか?」
「雅親さんの原作でやるならやりたいけど、それ以外はいいかな。舞台に集中したい」
それまでは演技ができるならドラマでも映画でも構わないと思っていたが、舞台というものがドラマとも映画とも全く違うことに今更ながらに気付いて、恋はその魅力に目覚めていた。
雅親との日々があって、雅親の原作の舞台で復帰しなければ分からないことだった。
「雅親さんの原作の舞台で主演をやり遂げられたから、気付けたことだよ。雅親さんのおかげかな」
「私は何もしていません」
そうは言いながらも、雅親も嬉しそうにしてくれているのが恋には嬉しかった。
その日は雅親は揚げ茄子のみぞれ煮を作ってくれた。
揚げた茄子を、解した貝柱と大根おろしを入れた熱々のお出汁の中に入れて、食べるのだ。
お出汁を吸った揚げ茄子がとろとろで、解した貝柱と大根おろしがアクセントになってとても美味しい。
「何これ。こんな美味しい茄子初めて食べた」
「馨さんは気に入ると思っていました。私が小さいころに母が作っていて、母が亡くなってから、どうしてもこれが作りたくて色んなレシピを探しました。母の味にはならなかったけど、私の味で得意料理にはなりましたね」
「本当に美味しい! 雅親さん、揚げ茄子のみぞれ煮も今度教えて」
「これは本当に面倒くさいですよ。覚える気があるなら教えます」
「その面倒くさいのを作ってくれちゃうのが雅親さんの愛だよね」
雅親の愛情を感じて嬉しい恋に、雅親は特に何も答えなかったけれど、否定はしなかったのでこれは愛なのだと思っておく。
炊き立てのご飯も、マグロの漬けも美味しかった。
「雅親さん、出版社から書影が出てたね。新刊、出るんでしょう?」
「献本が来ますから、一冊差し上げますよ」
「ちゃんと書店で買って来るよ。新刊が出る日、一緒に書店に行かない?」
デートのお誘いをする恋に雅親が答える。
「いいですよ。書店にどんな風に並べられているかも見たいですからね」
「よし、その日は休みにしてもらわないと」
関係は公にしているので、堂々と一緒に外に出ていける。
気合を入れる恋に雅親が小さく微笑んでいた。