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26.恋の両親への挨拶

 雅親がはっきりとした答えをくれた。

 表情が薄いので分かりにくいが、雅親は既に死ぬまで恋と一緒にいることを考えているし、雅親が持っているものは恋が全部受け取ってもらわなければ困るとまで言ってくれているし、最終的には一緒に暮らすのも嫌ではないと言ってくれた。


 天音の車で実家に変える間、恋は雅親を抱き締めたいし、手も繋ぎたいのに、それができなくてそわそわしていた。

 車の助手席に充希が乗って、天音が運転して、後部座席に雅親と恋が座っている。肩が触れるような距離なのに、意識してしまって手を握ることすらできない。

 恋愛とはこんなにじれったいものだっただろうか。


 これまで付き合いのあった女性は、食事をしたらホテルか恋の部屋に行きたがった。それに応じたこともあるし、応じなかったこともある。年上の有名女優だって、恋との肉体関係を当然のように求めてきた。

 あれが恋愛だったのか恋にはもう分からない。

 彼女たちの前では格好付けることも、演技することも、拒否することも簡単にできた。

 雅親の前では恋は全く演技ができなくなる。

 手に汗をかくし、台詞は噛むし、表情も作れないし、無様で格好悪くなる。

 恋愛とはこんなにみっともなくて無様なものだったのだろうか。


 もっと格好良くスマートに雅親の前で振舞いたいと思うのに、どうしてもうまくいかない。

 雅親の方が恋の人生に対して責任を持とうとしていて、格好よくて惚れ直す始末だ。


「雅親さん、好き」

「知ってます」


 小さく呟くと、同じくらいの音量で返事がある。

 そこは「私も」じゃないのだろうか。

 両親に挨拶に行って、事務所と出版社から付き合っていると公に声明を出す二人にしては、あまりにも甘さが足りていない気がする。

 告白の答えは「友達から」なのに、雅親は言っていることとやっていることがあまりにも違いすぎる。

 それが嬉しくないと言えば嘘になるが、もう少し甘い雰囲気も出してくれれば恋も安心できるのに。


「好きだよ」

「分かってます。ご両親にご挨拶に行くんですからね」

「それはそうだけど」


 形式的にきっちりするのと同じくらい、愛情もきっちり返してほしいと思わずにはいられない恋だった。


 後部座席の声が聞こえているのか、ミラーで確認した充希の表情が険しい気がする。


「姉さん、そこの角、曲がって」

「道、違うんだけど」

「いいから、曲がって。それで、細い路地に入って」


 路地に入って充希が車を止めさせて、お洒落な水色の屋根の店に入って行った。少しして出てくると、手に箱を持っている。


「ご挨拶に行くのに手土産がないとかありえないだろ。ここ、俺がバイトしてるケーキ屋」

「みっくんの?」

「ケーキ屋って、いいことがあった日とか、誕生日とか、お土産とかに使われるから、基本的に機嫌のいいお客が多いんだよ。だからストレスなしにバイトできてる」


 ケーキ屋で働く利点を教えてもらって、恋はそういう考えもあるのだと思う。小さいころから演技しかしてこなかった恋は、アルバイトなどしたことがない。


「ありがとう、充希くん」

「雅親のためだからな! 後、この店のケーキ、物凄く人気なんだからな。予約なしだとめちゃくちゃ並ばないと買えないんだけど、バイトの特権を使わせてもらった」

「本当にありがとう」

「だから、雅親のためだって!」


 お礼を言えば充希を怒らせてしまうと分かっていても恋はお礼を言わずにいられなかった。

 実家につくと、天音が実家の前で雅親と恋と充希を降ろして、コインパーキングに車を停めに行く。天音が揃ったところで、恋は実家の難解なセキュリティのドアを開けた。


 恋の母親と父親はリビングで待っていた。

 充希からケーキの箱を渡された雅親が、両親にケーキを渡している。


「馨の母の亜希子あきこです。逆島愛は芸名でして、本名は亜希子と申します」

「父の隆です」


 両親が本名で挨拶をするところなど、恋も初めて見た。


「馨さんに主演を務めてもらった舞台の原作を書いた笠井雅親と申します」

「マネージャーの笠井天音です」

「雅親と天音の弟の充希です」


 挨拶をしてから、恋の母がゆっくりと雅親に語り掛けた。


「馨がお世話になったようで、私の方からご挨拶に伺わなければいけないと思っていました。本日はそちらから来てくださったのは、馨が何か?」


 天音が電話した時点である程度のことは伝えていたのかと思っていたが、そうではなさそうだ。恋の父も雅親と恋を見て不思議そうにしている。


「先に言っておくけど、あの時点では僕と雅親さんの間には何もなかった。記事に書かれたことは事実無根で、雅親さんは行く場所のない僕を避難させてくれていただけだった」


 恋が言えば、両親も「そうだとは思っていた」と答える。

 ここからどういえばいいのか恋が躊躇っていると、雅親が恋の手を自然に握った。


「舞台の千秋楽の日、馨さんからお付き合いを申し込まれました。私はこの通り、作品がドラマや映画、舞台になっている原作者ですし、馨さんが今後私の原作のドラマや映画、舞台に立つこともあるでしょう。そのときにあのときのような記事が書かれないように、関係を公にしておくことを望みました」

「それは、つまり、馨とお付き合いをしているということですか?」

「正確には、今後そうなるであろうということですが、私としては馨さんとの付き合いを真剣に考えていて、いずれは私の持つものは全部馨さんに受け継がれるようにしたいと思っています」

「まだこの国では同性婚は認められていませんよね」

「はい。ですから、養子縁組か、パートナー制度か、公正証書の作成かを考えています」


 雅親の言葉に両親は驚いているようだがその顔に嫌悪感や拒否はないように見て取れた。


「馨は私と夫が演技に関すること以外何もさせずに育ててきました。笠井先生にはご迷惑をおかけしたと思います」

「正直、最初は手に負えないと思っていました。でも、馨さんはとても素直で、できないことを自分で認めて、できるようになりたいという姿勢を見せてくれました。それだけでなく、馨さんの俳優としての生き方にも私は感銘を受けています。私は恋愛というものに縁がなくて、これがそうなのかと言われてもよく分からないのですが、馨さんを家族としてなら愛せると思っています」


 家族になりたい。

 恋に対する雅親の答えはそれだったのだ。

 一足飛びに家族になってしまうのに抵抗がないわけではないが、雅親の閉じた世界の中に入る方法がそれしかないのだったら、恋はそれでもいいと思う。


「笠井先生が書かれている作品は私も読んでいます。とても素晴らしいと思っていますし、舞台に出演もさせてもらいました」

「私も、笠井先生のドラマに出演させてもらいました」

「笠井先生の馨を思う気持ち、とてもありがたく思います。私が言えた義理ではないけれど、このままだと、本当に好きな相手とは巡り会えずに、ずっと一人でいるのではないかと思っていました」

「亜希子さん、それは……」

「馨の恋愛遍歴を考えたら、そうとしか思えないのよ」


 両親にすら恋はこのように思われていたのだ。

 それだけ恋が恋愛というものを分かっていなかったし、本当に愛したい相手に出会っていなかったのだと実感する。


「父さん、母さん、僕は雅親さんのことを本当に想っているんだ。雅親さんと僕のこと、認めてほしい」

「認めるも何も、あなたはもう二十五歳なのよ。自分の意思で決められる年齢でしょう?」

「それでも、雅親さんのためにも、認めると言ってほしい」

「認められなければ諦められるほどの想いなのか?」

「そうじゃないけど……そうじゃないよ。認められなくても、僕は雅親さんと生きていく」


 一緒に暮らす約束をした。

 これからのことがどうなるか分からないけれど、関係を公にする約束もした。

 恋にとってはこれは初めての真剣な恋愛だし、雅親にとっては最初で最後の感情なのかもしれない。


 未来がどうなるかなんて誰にも分からない。

 男女の恋愛でも結婚して別れるひとたちは大勢いるのだから、これから雅親と死ぬまで一緒にいられるという保証はない。

 それでも、恋は雅親を選んだし、雅親も恋を選んでくれた。


「亜希子さん、隆さん、馨さんとのことを認めてください」

「馨をよろしくお願いします」

「どうか、馨のことをお願いします」


 挨拶が済んだところで、ソファに座って静かに聞いていた充希と天音が大きく息をついたのが分かった。恋の両親は充希と天音に視線を向ける。


「おもたせで失礼ですが、ケーキをいただきましょうか」

「コーヒーでいいですか? うちはコーヒーメーカーしかないので」


 両親が動き出す気配に恋は雅親の紅茶を思い出していた。

 雅親の紅茶はいつも美味しい。

 カプセル式のコーヒーメーカーは使い方を覚えてコーヒーを入れられるようになったのだが、雅親の紅茶が恋にとっては一番美味しいと感じられた。


 充希がアルバイトしている店のケーキはフルーツがたくさん乗っていて、豪華で美しく、とても美味しかった。


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