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23.告白の後で

 逆島恋は長身で体付きもしっかりしていて、体格がいい。

 雅親とは身長差が二十センチ近くあるので、抱き締められると腕の中にすっぽりと納まってしまう。それはちょっと不本意だったので、恋の胸を押して抗議した雅親だったが、触れた手を見詰めて固まってしまった。


「今のは、もしかして、セクハラだったでしょうか?」

「え!? セクハラって嫌がるのを無理やりに触ることじゃないの? それだったら、僕が抱き締めた方がセクハラじゃない?」

「抱き締められて驚いただけで、セクハラとは思いませんでしたが……あなたの胸が……その、予想外に柔らかかったので」


 女性の胸など触った記憶はない。幼いころに母の胸に触っていたのかもしれないが、その記憶は雅親にはなかった。恋の胸は女性のものとは違うと分かっているのに、その感触に驚いている雅親に、恋が笑う。


「筋肉は力を抜くと柔らかいんだよ」

「筋肉……」

「僕、鍛えてるから」


 鍛えていなければ二時間半も舞台に出っぱなしで、歌いっぱなし、踊りっぱなしなどできないと分かっているが、それと手に触れた柔らかさの繋がりが分からずに、首を傾げる雅親に恋が両腕を広げる。


「セクハラじゃないし、好きなひとならどこを触られても嬉しいよ。触っていいよ」

「遠慮します」

「それじゃ、僕が抱き締めるのもダメ?」

「ハグくらいならいいですけど、今はやめておきましょう」

「あ、そうだね。僕、汗臭いし」


 そのことを気にしていたわけではないが、恋があっさりと引いてくれたので雅親は安堵していた。

 このまま泊って行くとか言われないかと警戒していると、恋は雅親に手を出して握手をする。


「これからよろしく」

「こちらこそ」


 握手をした手を放すと、恋はあっさりと玄関の方に歩き始めた。

 自分の方が意識しすぎていることに気付いて、雅親は少し恥ずかしかった。


「次は雅親さんが好きなものを食べよう。また来るね」

「馨さん」


 思わず呼び止めてしまったのは、雅親が恋に対して確認しておきたいことがあったからだった。


「もし、このままお付き合いをするとなったら、あなたは関係を公表するつもりですか?」


 関係を公表しないでまた会っていると、雑誌記者に妙な憶測を書き立てられるかもしれない。それくらいならば、交際していることを明らかにした方がいいのではないかというのが雅親の考えだった。

 恋にはファンがいるし、交際している相手がいるというのはファンを逃すことになってしまうかもしれないが、内緒にしていて後から分かる方が、舞台二日目のような混乱を起こしやすい。


「雅親さんは、どう思うの?」

「私は……」


 逆に問い返されて雅親は答えを用意していない自分に気付いていた。

 男性同士ということはあまり問題にはならないが、恋がこれから仕事を受けるかもしれないドラマや映画や舞台の原作となる作家と交際していたということが、後で発覚するのはやはりよくない。

 「お友達」という言葉を使って交際を断るようなことをしておきながらも、雅親はこれから先のことを自然と考えている自分に気付いた。


「私は、交際をしていることで、あなたが贔屓をされているとか思われることが嫌です。あなたは実力のある俳優で、それを舞台でも見せてくれました」


 舞台二日目に流れたデマのスキャンダルに周囲がそれほど惑わされなかったのは、マネージャーの弟のマンションに俳優が逃げ込むなんてよくある話で、何より、恋がコネを使って役をもらわなくてもいいだけの実力を備えた俳優だったからだろう。雅親が関与していなくても、恋は実力で役を勝ち取ったと理解させるだけの演技をしていた。


 しかし、雅親との関係が本当になってくると世間の目も変わると思うのだ。

 そのときに恋に傷付いてほしくない。


「舞台二日目の記事が出たとき、私は怒っていたのだと思います。あなたが実力のある俳優で、絶対に私と関係を持つようなことで役を獲得したりしないと思っていたから」

「雅親さん、僕のために怒ってくれたの?」

「自分が怒るのは久しぶりすぎて、あれが怒りだったのか、確信はないですが」

「ありがとう、僕のために怒ってくれて」


 お礼を言われて、雅親は何か違うと思いつつ、それを指摘できなかった。恋が喜んでいるのならばそれでいいのではないかと思い始めたのだ。


 最初は恋は家事もできなくて、世話が焼けて、面倒で、どうしようもない男性だと思っていた。それが、素直に雅親の話を聞いて、雅親の言う通りに家事を覚えようとして、少しずつ印象が変わってきた。

 恋の出演していた映画を見直したときには、こんなに素晴らしい演技をする俳優だったのかと改めて恋を尊敬した。

 それと同時に、こんなに美しい男性だったのかとも思った。


 恋に告白されたから雅親は恋のことを意識しているのではなくて、それ以前から恋のことは気になっていたのではないかと思えてくる。


 舞台二日目に恋を侮辱するような記事が出たときには、雅親は自分でも柄ではないと思っているのに怒りなど覚えて、出版社に声明を出してくれるように頼んでいた。


「僕は雅親さんさえよければ、公表してもいいと思う。男性同士でパートナーになれる時代なんだし、僕は雅親さんと将来的にはそうなりたい」


 パートナー制度がそれほど確かなものかについては、雅親が懐疑的な面もあったが、恋が望むのならばやぶさかではないとは思っていた。

 むしろ、恋愛的なことを考えるよりも、一足飛びに家族になってしまった方が、雅親にとっては理解がしやすい。

 愛だの恋だの言われても、雅親にはよく分からないが、家族というのなら理解ができる。


「まずは、天音さんに話をしないとだけどね。僕、天音さんには雅親さんとのこと反対されてる気がするんだ」

「姉はそうでしょうね。私と交際すると、あなたが今後私の原作の作品に出られなくなる可能性がありますからね」

「そっちじゃないと思うんだよね。天音さんは、雅親さんのことが大事で、僕には渡せないみたいな感じ?」

「それはないでしょう。私はいい年した大人ですし、自分のことは自分で決められます」


 はっきりと雅親が言えば、恋が言いにくそうに口を開く。


「天音さんは雅親さんは恋愛をしたくないんじゃないかって言ってた。僕が告白しても答えは『友達』だったよね」

「恋愛はよく分からないんです。私にとっては、好意とか、愛とか、恋とか、そういうものが全部遠い出来事のようで」

「僕の好きは分かる?」

「なんとなく分かります。でも、それに今全部お応えするのは難しい状態です」


 恋の言う「好き」にはキスとか肉体関係も関わってくるだろう。

 それを雅親が望むかといえば、今は答えが出せなかった。


「いいよ。僕、どれだけでも待つ。雅親さんの心の準備ができるまで」

「それにしたって、交際するつもりなら公表した方が、あなたにとって不利にならないと思うんです」


 二度と恋が雅親のコネで役をもらったなどと言われないためには、はっきりと公表して、その上で今後ともオーディションには雅親は全く関わらないこと、恋がオーディションに出ても雅親はそれに関して何も働き掛けないことをはっきりと示しておかなければいけない。


「公表はする。雅親さんがそのつもりならね。それより先に天音さんだとは思うんだけどね」


 「恋のような奴に弟はやらない!」とちゃぶ台をひっくり返されたらどうしよう。


 そんなことを口にする恋に、雅親は苦笑してしまう。

 天音に限ってそんなことはないと思っているが、恋に見せる顔と雅親に見せる顔が違うのかもしれない。


「次の休みはいつですか?」

「明日、舞台の反省会があって、その後は休み」

「それなら、明日、姉に話してみますか?」

「お友達になったって?」

「友達でも、交際は交際なのではないですか?」


 今は友達であっても、これからはどうなるか分からないわけで、雅親がそのことを言えば恋が嬉しそうに微笑んでいるのが分かる。


「それは、チャンスがあるってことだよね」

「言っておきますけど、私、身持ちは固い方だと思います」

「雅親さん、僕に襲われるとか思ってたの?」


 直接話法で来られて、雅親は咳き込んでしまった。

 襲われるとは思っていないが、襲われたら勝ち目がないのは間違いない。恋の方が体格がいいし、身長もずっと高い。鍛えているし、雅親は普段から運動を心掛けているが、役者の体力には敵うはずもない。


「襲うつもりですか?」

「雅親さんに嫌われたくないから、そういうことはしない。それに、僕はちゃんと順序を踏む男だよ?」

「そうだといいのですが」


 答えた雅親に恋が両手を上げて降参の意を示す。


「恋愛は惚れた方が負けって誰か言ってたよね。僕は雅親さんに弱いんだよ。酷いことは絶対にしない」


 微笑む恋が、素直で正直であることは一緒に暮らした期間で雅親も知っていたが、男性というものは暴走するとどうなるか分からない。

 若干の警戒心は持ちつつ、「また明日」と雅親は恋を見送った。


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