フルーツサンドは喜んでもらえたようだ。
SNSに投稿されている写真を見て雅親はそう判断した。
演技をする人間なのに、恋は意外と分かりやすい。根が素直なのだろう。
その点に関しては雅親も恋のことが嫌いではなかった。
恋を思い出すときに充希と重なってしまうのは、恋が充希以上に無邪気なところがあったからかもしれない。無邪気であるというのは芸能界においては欠点でもあるのかもしれないが、その素直さは雅親が恋になんでも教えてやろうと思うくらいには雅親の気持ちを動かした。
静かに過ぎていった同居の二週間。
あの日々が戻ることはないだろうが、雅親は恋の記事をチェックするようにはなった。
恋の好きなものが鰻で、嫌いなものがピータンだとか、インタビュー記事で知った。
――中華料理屋に連れて行ってもらったことがあって、そこはピータンが美味しいって店で、食べてみたんですが、大人の味だったんでしょうね、私には口に合わなくて。
――お幾つのときに食べたんですか?
――あの映画の収録の終わった日だから、中学二年生くらいだったと思いますよ。
――それなら、大人の味は分からなくても仕方がなかったかもしれませんね。今食べたら変わるかもしれませんよ?
――今食べても苦手な気持ちが残っているので変わらない気がします。
その後で好きなものを聞かれて、恋は答えていた。
――鰻が好きです。小さなころ、両親と日帰りの小旅行に行って、そのときに初めて食べました。小旅行の思い出と一緒になって、忘れられません。
――今でも鰻を食べることがありますか?
――特別なときにしか食べませんね。毎日食べてたら飽きるし、特別感がなくなります。
鰻が有名な地方への小旅行の思い出を語っている恋の言葉は、読んでいるだけなのに喜びが伝わってくるようだった。
恋がいなくなって、恋の作品をBlu-rayで見て、雑誌の記事を読んで、雅親は恋の名残を集めているような気がする。集めたところで何も変わらないのだが、それでも自然と体は動く。
雑誌のインタビュー記事では恋が意外と家族について語っていることが多いのが気になった。恋の中には家族との思い出がしっかりとあるようだった。忙しい中でも両親は時間を合わせて恋と過ごしたり、旅行に行ったりしていたようだ。
ハウルキーパーに初恋をしたというのも、両親が恋に対しては正常な振る舞いをしていた証なのではないだろうか。
映画やドラマや舞台のBlu-rayを見て、雑誌の記事を見て、雅親は気付いたことがあった。
恋がとても整った顔立ちをしているということだ。これまでも思っていたが、見れば見るほど目を奪われる美しさがある。
恋はとても美しい男性だ。それは日本中のみならず世界も認めていることなのだが、今更ながらに雅親は実感していた。
舞台のゲネプロの日、雅親は襟付きのシャツにカーディガン姿で劇場まで行った。
作家として雅親は自分の顔を公表していなかったので、目立つことはなかった。雑誌社に追いかけられるのも、道端でサインをお願いされるのも嫌なので、書影のところにも雅親は写真を上げたことはないし、SNSは時間の無駄なので登録しない主義だった。
劇場で編集と合流して劇場の担当者に席に案内される。
劇場は広く、二階席、三階席とあったが、全部の席のチケットが売り切れていると聞いている。
一階席の前から五番目くらいの中央に座って雅親はゲネプロを見た。
幕が上がって恋が蔵の中でただ一人歌うところから始まって、神託を書いて蔵の扉に付けられた小窓から出して屋敷の者に渡す恋。最近の信託は当たっているが、もっと大きな当たりを引きたいと欲を出した屋敷の者が、両親が亡くなって親戚に虐げられていた少女を買って、花嫁にすることを思い付く。
綺麗に着飾らされても少女は痩せて小さいことは明らかで、それを隠すように布を被せて蔵の中に押し込む。
『お許しください……私は花嫁に相応しい人間ではないのです』
震える少女に神が話しかける。
『あ……あぁ……ずっと声を出していないから、出し方を忘れてしまった気がします。私の声は、怖くありませんか?』
最初の咳き込むような詰まった声から、凛と響く声に変わっていく様子が、恋に視線を集中させる。
『あなたをどうにかして、逃がしてあげないと……』
『逃げるところなどありません。外に出ても私を守ってくれるひとはいない』
互いに孤独であることを知った神と花嫁は、鏡のようにお互いを映し合う。
食事が運ばれてきて、神はそれを花嫁と一緒に食べる。
『私に食事など必要ないのに、あなたと食べると胸が暖かくなる気がする』
『こんな豪華な食事をいただくのは初めてです。あなたと食べていなかったら、味が分からなかった気がします』
打ち解けていく二人だが、神託を求める声は日に日に強くなる。
『私が幸運をもたらしているのではない。ただ起きることを伝えているだけなのに、こんなに頻繁に来られても書くことがなくなってしまう』
苦悩する神に、少女が言う。
『あなたこそ、この蔵から解放されるべきではないですか』
『この蔵から出たら、私はこの姿を失います。大気に紛れて霧散してしまう。それではあなたを守れません』
『私を守ることなど考えなくていいのです。あなたが自由になってほしい』
意見が対立した神と少女は蔵の隅と隅に離れて、自分たちの気持ちを歌う。
例え霧散するとしてもそれが自然な形ならば神に自由になってほしいと願う少女と、霧散してしまっては少女を守ることもできないし少女に触れることもできないと嘆く神。
『私はどうなってもいい! あなたが自由になってほしい!』
少女に説得されて神は蔵を出る決意をする。
『出ようと思えばいつでも出ることができたのです。私にはその勇気がなかった。あなたが私に勇気をくれた』
抱き締め合って気持ちを確かめ合う少女と神に、蔵が崩れていく。
崩れる蔵の中で神は霧散して行って、少女だけが無傷で残される。
『大丈夫。あの方が私にくれた勇気がある。私は走れる!』
少女は蔵を出て走り始める。
血まみれの脚で山を越えて、少女は違う町に辿り着く。
そこで倒れた少女を青年が助ける。
青年と少女はいつしか心を通わせて、少女は新しい町で幸せを掴むのだった。
雅親が書いた小説が原作なのだが、舞台にするとこんなにも違うのかと実感する。
脚本家は雅親がこだわったラストについても修正してくれていた。
手が痛くなるくらいまで拍手をした雅親に、ゲネプロを終えた役者たちが舞台から降りてくる。
「笠井先生見ててくれたんですね」
「どうでしたか?」
恋と少女役の明日香という女優に聞かれて雅親は短く答えた。
「素晴らしかったと思います」
その言葉を聞いて恋と明日香が花が咲きこぼれるように笑う。
「笠井先生、フルーツサンド美味しかったです。あれ、有名店のだったんでしょう?」
「とても美味しくいただきました。ありがとうございました」
「おかげでやる気も出て、いい舞台になったと思います」
他のキャストたちも話しかけてくる。
「笠井先生、フルーツサンドが好きなんですか?」
恋の問いかけに雅親は少し考えて答えた。
「弟が好きだったので、年下のひとたちが何を好きかよく分からなくて、フルーツサンドにしました」
「笠井先生はお好きじゃない?」
「嫌いじゃないですよ」
恋と話していると他のキャストたちは休憩に行ってしまった。人気がなくなったところで、恋は雅親に小声で耳打ちした。
「舞台が終わったら、伝えたいことがある。雅親さん、千秋楽の後、あいてる?」
「予定をあけることはできますよ」
「千秋楽の後、僕の控室に来て」
密かに告げる恋の耳が赤いような気がする。
何の話か分からないが、言われた通りにするというつもりで「分かりました」と答えると、恋はにっこりと微笑んで頷いた。
その顔立ちがやはり美しいと雅親は思った。