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18.差し入れのフルーツサンド

 舞台の写真撮影で凝った着物風の布が何枚も重なったずっしりと思い衣装を着せられた。

 これで演技ができるのかと普通の人は思うのかもしれないが、恋は慣れていた。この重さをないようなものとして演技しなければ役者ではない。

 少女の花嫁役の女優は、明日香あすかという名前で、恋より二歳年下だが実力派だと有名だった。

 舞台にはミュージカル要素もあって、恋も明日香も歌わなければいけない。

 最後はまだできあがっていなくて、途中までの脚本を渡されて、続きは今修正しているとかいう恐ろしいことを言われるのも、舞台ではよくあることだ。

 途中までの脚本が渡されているだけまだましだと言えるだろう。

 酷いときには公開一週間前にラストまでの脚本を追加で渡されたこともある。そのときにも恋は動揺せずにその役をやりきった。


「お相手が逆島さんだと安心します」

「僕も、お相手が明日香さんでよかったと思います」

「敬語、やめてくださいよ。子役のころからの仲じゃないですか」

「それじゃ、明日香さんも敬語やめてよ」


 明日香とは子役のころから同じドラマに出たり、映画に出たり、舞台に立ったりしている。

 歌声がとても素晴らしく、今回の舞台もそれで選ばれたのではないかと恋は思っている。


「逆島さんは私の旦那様なんだから、よそ見しないでね」

「分かってる。可愛い僕のお嫁さん」


 お互いに恋愛感情は持ったことはないが、恋人役はよくやらされてきた。不倫騒動のことを笑って茶化す明日香に、恋も軽口を返す。

 寄り添う二人の写真を、カメラマンが何枚も撮っていく。


「次は逆島さん単体でお願いします」

「はい! よろしくお願いします」


 明日香が一時抜けて、恋一人での写真も撮られる。役の表情で恋は写真に写る。


 穏やかだが、長年閉じ込められ続けたことで全てを諦めている神の美しい姿。

 恋の姿が美しく写れば写るほど、観客は閉じ込められた神の哀れさを感じてくれる。


「次、明日香さんお願いします」

「はい!」


 恋から明日香に被写体が変わって、恋は滲んできた汗を拭ってペットボトルの水で水分補給をした。時間を見てみるともうすぐ午後二時に近くなっている。雅親はマンションで紅茶を飲んでいるころだろう。

 今までは水で十分だったのに、恋は雅親の美味しい紅茶の味を知ってしまった。


 雅親のマンションを出てから、恋は一人で自分の部屋で暮らし始めた。洗濯はできるようになっていたし、米も炊けるようになっていた。朝ご飯は卵かけご飯にすることが多いが、トマトソースをケチャップで代用して、ピザトーストを作ることもある。単純にトーストとカップスープということもある。

 昼食はお弁当を買って食べて、夕食は雅親から貰ったレシピ本を見て作ることもあれば、米だけ炊いてお惣菜を買ってくることもある。

 雅親の紅茶が恋しくて、一度ペットボトルの紅茶を買ったのだが、よく分かっていなくて加糖のものを買ってしまって甘さで飲めなかった。

 甘くないすっきりとした雅親の紅茶が恋しかった。


 少しずつでも自分で生活をしていることについて、天音は恋を高く評価してくれた。


「自分の食事を自分で作る、自分の生活を自分で支える、それは自分を大事にすることだから、とてもいい傾向だと思いますよ」


 ただし、無理はしすぎないように。

 天音に言われた通り、難しいときには料理は買っているが、洗濯は続けられていた。掃除もネットで調べて、掃除用具を買ってなんとなくしている。

 掃除をすると、雅親が同居中にどれだけ細やかに掃除をしてくれていたのかを思い知った。排水溝に溜まる長い黒髪など、気にしていなかったが、掃除してみたらとてもホラーな気分になって、雅親にこれを全部させていたのだと恋は反省した。


 写真撮影が終わると、衣装さんが衣装を脱がせてくれる。まだ出来上がっていない衣装なので、縫って止めているところが何か所かあって、解かなくてはいけなかったのだ。

 着替えた後はインタビューが待っている。


 インタビューは明日香も一緒だった。


「この舞台に出ると決めたきっかけはなんでしたか?」

「原作に惹かれていたからですね。最初はよくある設定だと思って読んでいたのですが、中盤から蔵に閉じ込められた神と少女の花嫁の二人の苦悩が細かく書かれていて、ラストで強く心を揺さぶられました」

「私も同じです。笠井雅親先生の原作を何度も読みました」


 明日香も原作に惹かれてこの舞台に立とうと思ったと言っている。

 雅親の舞台ならば雅親も見てくれると分かっていて、応募した恋は自分の浅ましさを心の中で反省した。


「逆島さんも明日香さんも、笠井先生の原作の映画やドラマに出演されてますよね。一度は恋人役でした。お二人がまた笠井先生の舞台で夫婦を演じるというのはどういう気持ちですか?」

「明日香さんは、私にとっては子役時代から知っている戦友のようなものです。私の役を安心して任せられる相手だと思っています」

「逆島さんは私より二つ上で、海外でも名前の売れている実力派俳優です。逆島さんの相手役として選ばれたからには、気合を入れて臨もうと思っています」


 二人並んで椅子に座っている写真も撮られたが、恋は明日香のことは意識していなかったし、子役のころから知っていて、明日香が気が強くて恋の好みではないことも知っていたので、それほど気にしてはいなかった。


 インタビュー記事が広まると、恋の不倫を叩いていた記者たちが、「逆島恋、次のお相手は明日香か?」などと書き立てる。

 舞台で共演しているだけなのに書かれる明日香も迷惑だろうと思うのだが、明日香の方はそれを笑い飛ばしていた。


「逆島さんが私と熱愛とか、ないわー」

「僕も明日香さんとは絶対にないと思ってる」

「気が合うわね」

「お互いにね」


 明日香との関係はこの通りなのだが、この記事を見た雅親が何を思うか恋は一瞬だけ心配になる。

 雅親に限ってこんな馬鹿げた記事を鵜吞みにしないだろうが、舞台では夫婦役を演じる恋と明日香は、どちらとも写真撮影から役に入り込み始めているので、仲睦まじく写ることはどうしようもないのだ。

 役に憑りつかれたようになる憑依型の俳優である恋と同じように、明日香も憑依型の女優だ。

 役を離れているときでも、舞台の期間はずっと心のどこかに役の感情を抱えている。


 舞台が終わって完全に役を離れたら、雅親に今度こそ向き合いたい。

 雅親に伝えたいことがある。


 それに関して、役から離れられない今の期間はとても無理だった。


 雅親に会いたいと思っていると、舞台稽古のときに雅親から差し入れが来た。

 有名店のフルーツサンドだそうだ。

 柔らかそうな白いパンにぎっしりとフルーツと生クリームが入っていて、とても美味しそうだ。

 休憩時間にもらいに行くと、保冷バッグに入れられていた。


「苺……キウイ……ミカン……」


 三種類あるらしくて、恋はどれを食べるか悩んでしまう。


「私、キウイ! よかった、水筒に紅茶を入れてきて」


 稽古用の衣装のままで明日香が保冷バッグを開けてキウイのフルーツサンドを取っている。パッケージを開けて、後ろを見て明日香が嬉しい悲鳴を上げた。


「これ、後ろまでキウイがぎっしり入ってる! 美味しそう!」


 その声を聞きながら、恋は苺の保冷バッグを開けて、パッケージを取り出した。パッケージを開けると、後ろまでぎっしりと苺が入っている。


「明日香さん、写真撮ろう!」

「いいね! 撮ろう」


 大口を開けてフルーツサンドにかぶりつく写真を明日香に撮ってもらって、明日香の写真も恋が撮る。

 二人してその写真はSNSに投稿した。


『笠井先生からの差し入れのフルーツサンド! ごちそうさまでした!』

『笠井先生から差し入れ、いただきました! ありがとうございます』


 このSNSの投稿を雅親は見てくれるだろうか。舞台にも恋にも興味がないので見てくれないだろうか。


 ぎっしりと苺の詰まったフルーツサンドは生クリームの甘さが控えめで、白いパンもふわふわでとても美味しかった。


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