雅親の小説が原作になっている舞台の主役に恋が選ばれた。
そのことは雅親にも情報が届いていた。
舞台のポスター撮影が終わって、着物を着た恋が少女の花嫁役と寄り添う写真に、雅親はすでに恋が役に入り込んでいることを悟る。
伏し目がちの睫毛の長い黒い目、何もかもを諦めたような穏やかな微笑み。これは少女と出会ったときの蔵の中に閉じ込められた神の表情だ。
ライト文芸というジャンルで和風のファンタジーとして書いたその作品は、派手ではなかったが一定層にうけて、重版もかかった。
ありがちともいえる設定が売れたのは、ラストのせいだと評論家は言っていた。
閉じ込められた神は長く蔵の中にいすぎて、死ぬこともできず、永遠に捕らえ続けられている。それを解放しようとする少女に神は躊躇う。
蔵から出てしまうと神はひとの姿を保っていられなくて、大気の中に霧散してしまうのだ。
しかし、神にとっては閉じ込められた姿よりも、大気の中に霧散して自分の意思もなく世界の一部として生きることが、元々の姿だった。
蔵から解放されれば少女を守ることはできなくなる。少女は虐げられて生贄のように蔵に捧げられてきたのに、蔵から神を解放すれば酷い罰を受けることは間違いなかった。
それでも、霧散して大気の中に消える姿が神の本来の姿ならば構わないと少女は告げる。
自分がこれからどれだけ虐げられようとも構わない。愛する神を解放したいと言う。
神の方も少女を愛していたから、そばで抱き締めることも守ることも叶わなくなる現実を受け入れるのには時間がかかった。
最終的に、少女は神を蔵から解放して、そのまま少女も遠くの町に逃げる。
見上げた空に、咲く花に、吹く風に、神の存在を感じて、少女は新しい町で暮らし始めるのだ。
そんな少女の元には、常に幸運が訪れて、少女は町で男性と出会い結婚する。
ハッピーエンドかは分からないが、雅親の書いた作品に感動してくれたひとがいた。それでその作品が舞台になろうとしている。
脚本の草稿にチェックを終えて、雅親は舞台にするために多少変えられた設定や台詞を了承して、気になるところだけ修正を入れて脚本を返した。
これまでは自分の作品を映画化されるときも、舞台化されるときも、アニメ化されるときも、ドラマ化されるときも、それほどじっくりと脚本を読んでこなかった。脚本家の仕事を信頼していたし、何より、雅親の信念は、作品は読んだ相手に解釈を委ねるということだった。
脚本家がそのように読んだのであれば、そうなのだろうと思っていたが、今回は少しだけ訂正を入れさせてもらった。
送り返した脚本がどう変わるかは分からない。
雅親の意図が伝わるかも分からない。
雅親は小説を書くときに自分の意図など一割も伝わらないものだと理解して書いている。そんなことよりも小説はエンターテイメントだ。空想の中に心を遊ばせる体験だ。それを雅親は大事にしたかった。
仕事をしていると、雅親の元に編集からのメッセージが届く。
打ち合わせをしたいということで、雅親は書いていた小説を保存して、パソコンをテレビ通話モードに切り替えた。
『笠井先生、続刊の原稿読みました。主人公が新たな目標に向かっていくというのはとてもよかったのですが、ヒロインの扱いについてです』
「あの作品はヒロインを決めたつもりはないのですが」
『読者は主人公を支えてきた技術者の女性とのロマンスを望む声もあります。笠井先生の書かれた作品は素晴らしいですが、読者の声も一応お伝えしておきます』
「私はあの作品を恋愛ものとして書くつもりはありません。主人公には恋人はできません」
伝えると編集は画面の向こうでため息をつく。
『恋愛に関しては笠井先生は頑ななところがありますね。SNSでは主人公と技術者の女性のファンアートが溢れていますよ』
「そういうものは私は見ていません。元々あの作品は男女のバディもので恋愛を絡めるつもりはなかったはずです」
『そうでしたね。出過ぎたことを言いました。すみません。でも、もっと売れるかと思ったのです』
編集は本を売れる方向に持って行くのが仕事だ。雅親の意思に関係なくこのようなことをたまに言って来る。話せば理解してもらえるのだが、雅親も説明するのが疲れることもある。
世間の読者はそんなに恋愛を望んでいるのだろうか。
『舞台になった作品の脚本はどうでしたか?』
「少女が蔵の神に心を残して、生涯独身だったように書き換えられていたので、そこだけは訂正しました」
『純愛の方がうけがいいと判断されたんでしょうね』
「私の意図とは違うので」
『舞台化の脚本に笠井先生がはっきりと口出しされるだなんて珍しいじゃないですか』
「あの部分が変わっては、私が書きたかったものと全く違うようになってしまうので」
その後で新作の打ち合わせもして雅親は編集とのテレビ通話を切った。
理解のある編集だとは思うのだが、仕事としてより良い作品にしなければいけないという使命があるのだ。雅親と意見が食い違っても仕方がない。
蔵に閉じ込められた神と少女の花嫁のポスター画像をパソコンで映し出して雅親はじっくりと見る。
少女役は恋より二歳年下で小柄な女優が選ばれていた。
雅親の脳内で作りだした世界が、形をもって動き出すことになる。
チケットの前売りは始まっていて、もう相当売れているようだ。
雅親は関係者席を用意されるので問題ないが、それ以外にも本番直前の通し稽古であるゲネプロにも誘われていた。
普段ならば断わって、出来上がった舞台だけを見に行くのだが、今回はゲネプロを見てみてもいいかもしれないと思う気持ちが動いていた。
今書いている小説もスケジュールが詰まっているわけではないし、続刊の原稿は締め切りよりもずっと早く出してしまった。
ゲネプロのお誘いのメッセージに、『ぜひ行かせてください』と返事をすると、担当者から『笠井先生のお越しをお待ちしています』と返事が来た。
いつも小説が映画になったり、ドラマになったり、舞台になったりすると、キャストに差し入れを送るのだが、普段は編集に選んでもらって、支払いだけをしてきた。今回もそうしようと思ったのだが、恋が舞台の主役を務めるということで、雅親は恋の好みを思い出していた。
食べ物に好き嫌いはなかった気がする。
雅親が作ったものは何でも「美味しい」と称賛して食べていた。
ネットで調べると、一袋千円近くするフルーツサンドのお店が目に留まった。
評判も良く、普通のフルーツサンドは見栄えのいいように表面しかフルーツが入っていないが、このフルーツサンドは裏側までみっしりとフルーツが入っているという記事が書かれている。
そういえば充希がフルーツサンドが好きで昔はよく作っていた。
生クリームが簡単に手に入らないときには、水きりヨーグルトに缶詰のフルーツで作った。充希は美味しいと言わなかったかもしれないけれど、目を輝かせて食べていたものだ。
充希と恋が重なるような気がして、雅親はそのフルーツサンドを差し入れに送る手はずを整えていた。
裏側までみっしりとフルーツの入ったフルーツサンドを食べたら、恋はどんな顔をするのだろう。
その顔は見られないが、充希がフルーツサンドを頬張る表情が目に浮かぶ。
苺とキウイとミカンの三種類のフルーツサンドを注文して、雅親は舞台のキャストへの差し入れとした。
脚本の見直しと編集との打ち合わせ、フルーツサンドの注文までしていたら、いつの間にか四時四十五分を過ぎていた。
部屋から出た雅親は夕食の準備をしようとしてローテーブルの上を見る。そこには冷えた紅茶が入っているマグカップが置いてあった。
雅親は四種類くらいの茶葉を缶に入れて開けておいて、それがなくなるまで次の茶葉は開けずに飲み続ける。紅茶は紅茶専門店に全部ネットで注文して買っていた。
「アッサム・カルカッタオークション」
紅茶の種類を呟いて、夕食のときにアイスティーとして飲もうと決めて、雅親はマグカップをテーブルに移動させた。