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第27話 神鍵反撃/悪夢再び

「“楽園を這いずりし者エデンズクロウラー”……」


 流鯉りゅうりは鳥肌の立った腕を擦りながら、死神の言葉を復唱する。


 その名の意味を考察するより早く、蝸牛カタツムリの殻が風船のように膨らみ始めた。


 大きく大きく、白と黒が絶えず混じり合う渦巻きが巨大化していく。


「“エデンズクロウラー・タヴロイド=ペイント”、第1のスキル。“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”を自分の場に出す」


「……え……?」


 鍵玻璃きはりが茫然と聞き返す。次の瞬間、膨張していた殻が粘っこく弾け飛んだ。


 べしゃりと砂地に広がる殻の残骸。だが鍵玻璃の視線は、その遥か上に釘付けとなる。何もなかった虚空、強いて言えば巨大化した殻があった場所に、巨大な卵が浮かんでいる。


 悪夢の卵、“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”が。


 口からか細い声があふれた。舌が喉に張り付いて、上手く話すことができない。


 いや、それどころか何を言おうとしていたのかさえ、自分でもわからなかった。


 驚愕に凍り付く憤怒の足を、影のような恐怖が絡めとっていく。


 そんな鍵玻璃を嘲笑うように、虫の玉がくちゅくちゅと音を立てながら三方向に虫の群れを伸ばし始めた。触手の形となったそれらが鍵玻璃の場に襲い掛かった。


「“エデンズクロウラー・サミフル=リグル”、第1のスキル。“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”がある場合、相手のレギオンかレリックを合計3枚、それに融合させる」


「!」


 虫の群れが2体のデネボラ、そしてブロックで形作られた採掘トンネルの幻影を飲み込み、空中へと振り上げた。


 虫の触手は自分たちごと、獲物を悪夢の卵に叩きつける。卵の殻はとぷんと虫触手の先端を自分の中へと招き入れ、貪り食らう。


 先端を食い千切られた虫の触手が、本体へと戻っていく。その寒気をする光景を見て、流鯉りゅうりは驚愕を隠しきれずに立ち竦む。


 ―――相手のカードを、自分に融合するスキル……ですって!?


 有り得なくはない。エデンズカードは、エデンズブリンガーそれぞれで異なる能力を持つ者も多い。歴が長く、経験豊富であればあるほど多様化するのだ。


 だが、それにしてもだ。相手のカードを奪う戦術といい、融合する能力といい、まるで相手を……その理想エデンごと捕食するかの如き戦法に、寒気を禁じ得ない。


 死神は、さらに奪ったカードを投げ放つ。


 誓願成就、“なぞり紡ぐ星絵ゾディアック”。先ほど鍵玻璃から奪ったカードだ。


「タヴロイド=ペイントのパワーを+1000、これと同じ奮戦レベル3のカードをランダムに1枚、手札に加える」


「奮戦レベル3……まさか……」


 鍵玻璃きはりがもつれた舌をどうにか動かす。


 悪夢の卵が現れたことにより、心臓は痛いほどに早鐘を打ち、全身が冷たい汗を噴き出している。衝撃と恐怖が麻痺を強いる中、みたび空がしずくを落とした。


 3体目のエデンズクロウラーが産み落とされる。砂漠に落下してきた白と黒のしずくから6本脚が生え、細長い角状の器官を持った甲虫へと姿を変える。


 象の鼻を思わせる角が、音もなく口を開いた。


「“エデンズクロウラー・ペリス=マンチ”。第1のスキルを発動。お互いのデッキの下から3枚ずつ、“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”に融合させる」


 角が鎗のように伸び、鍵玻璃きはりの鳩尾を突いた。


 勢いのまま宙吊りにされた少女は、異様な異物感に身を竦ませる。ぬめぬめとした、巨大な蚯蚓ミミズめいた質感の口吻が体内に潜り込んでくる。


 直後、全身の熱を、血を吸い取られるような感覚が全身を蝕んだ。


「あ……ああああああああああああっ!?」


 鍵玻璃きはりの体がうっすらと銀色に発光し、同じ色の光が角に吸い上げられていく。


 角から逃れようと暴れる少女からひとしきり何かを吸い上げた角は、素早く先端を引き抜いた。鍵玻璃をステージの床に投げ出し、元の長さまで戻る。


 鍵玻璃がドサリと地に伏す一方、流鯉りゅうりは死神の真意を悟っていた。


 奪ったカードをデッキの1番下に置いていたのは、卵の餌を補充するため。


 ―――そして、同じシステムを使っている、わたくしだからこそわかります。


 ―――融合は目的ではなく、パワーアップの下準備に過ぎないのだと。


 ―――真の切り札に、最高のパフォーマンスを発揮させるための!


 死神が隠し持っているジョーカーがどのような性質を持っているか、想像もつかない。だがそれ以上に不味いのは、鍵玻璃きはりが起き上がってこないこと。


 胎児のように体を丸めた鍵玻璃は、過呼吸に喘いでいた。肉体的なショックにあの日の夜の……死神と最初に対戦した時の恐怖を呼び起こされたのだ。


 胃が縮む。胃酸が喉を焼き、夕食を吐き出そうとする。その感覚すら、あの悪夢の夜とそっくりだった。口を手で塞ぎ、のたうち回ってなんとか押しとどめる。


 体が冷え切って、ごうごうという血流の音が脳を伝って眼球を揺さぶってきた。視界がだんだん捩じれて歪む。指先から分解され、内臓をまさぐられる記憶が生々しく蘇って来た。


「う――――――っ!」


 膝をぎゅっと丸めてえずきを堪える。意識しての行動ではない。鍵玻璃きはりの心は、そんな無様を晒したまま起き上がれない自分を責め立てていた。


 早く立て、戦え、そのために来たはずだろうと理性が怒鳴る。けれど、体を満足に動かせない。


 ―――私の怒りは、覚悟は、その程度のものだったの?


 ―――あとちょっとで勝てるってところで、攻撃もされてないのに……。


 ―――私は……弱い……?


 自分の心の声に向かって首を振る。耳鳴りにキンキンと高い誰かの言葉が入り込む。聞き取れない。誰の声かもわからない。何もできない。


 硬直した鍵玻璃に構わず、死神は2枚目の“均衡支柱きんこうしちゅうファスマトディア”を出し、攻撃を仕掛けて来た。


「バトル。“エデンズクロウラー・タヴロイド=ペイント”でパワーの高いデネボラを攻撃。この瞬間、第2スキル発動。手札を1枚、“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”に融合させ、相手のデッキの上から1枚を自分のデッキの1番下に置く」


 白黒の蝸牛カタツムリが、両目を不気味に膨らませて鎗を作った。


 2本の生物的なスピアが瞬間的に伸長し、2体残ったデネボラの片割れを狙う。


 “エデンズクロウラー・タヴロイド=ペイント”:パワー4000


 “ミーティアライダー・デネボラ”:パワー2500


 目を変形させた鎗が、ライダースーツの胸を交叉する形で貫き、爆発させる。


 鍵玻璃きはりは頭の中を支配する轟音が何倍にも強くなったような錯覚に襲われ、耳を塞いだ。


 視覚も聴覚も不具合を起こし、折角の憤怒も恐怖の沼に沈んでいく。辛うじてパニックを起こさないようにするのが限界だった。


「“エデンズクロウラー・サミフル=リグル”でデネボラを攻撃」


 虫の球がばらけて、雲霞の如き大群と化した。


 白と黒が絶えず変化する虫の嵐は最後のデネボラへと津波のように押し寄せる。


 “エデンズクロウラー・サミフル=リグル”:パワー3000


 “ミーティアライダー・デネボラ”:パワー1500


肌理咲きめざき鍵玻璃きはり―――っ!」


 流鯉りゅうりが声を張り上げて叫ぶが、鍵玻璃には届かない。


 デネボラはたちまち虫に集られ、抵抗も虚しく飲み込まれていった。虫が球状に再結集し、再び散って死神への下へと戻ったその時、デネボラの姿はどこにもない。


 鍵玻璃の場は一瞬にしてがら空きとなった。3体目のエデンズクロウラーが翅を広げる。流鯉は居ても立ってもいられなくなり、鍵玻璃めがけて走り出す。


 しかし、数メートルと走らぬうちに見えない壁に道を阻まれ、跳ね返された。


 砂地に尻餅を突きながら、今更のように思い出す。観客は、対戦中のブリンガーには干渉できない。鍵玻璃は今、己の力で戦う他に方法は無いのだ。


 それでも流鯉は立ち上がり、不可思議な感触の壁を必死で叩いた。


肌理咲きめざき鍵玻璃きはり、しっかりなさい! わたくしに向かって切った啖呵はなんだったのですか!? 戦うために来たんでしょう!? 心の底から怒っていたのでしょう!? なら早く立ちなさい! このまま敗北なんて許しませんわよ、肌理咲鍵玻璃!!」


 壁を殴りつけ叫ぶ流鯉の瞳に、空高く飛び立つ象虫ゾウムシ型のレギオンの姿が映った。


 ペリス=マンチは長く伸ばした口吻で鍵玻璃を貫き、空中へと引き上げる。そして抵抗できなくなった少女を、頭から白砂の大地に叩き伏せた。


 噴水のように白い砂が巻き上げられる。


 鍵玻璃は、押さえつけていた吐瀉物が微かに口から溢れるのを感じ取った。


「あ……」


 黒い手袋を汚す白。砂が雨のように降り注ぐ中、鍵玻璃きはりは自分を奮い立たせようとする。これじゃあ、なんのためにここまで来たのかわからないだろう、と。


 硬直した体をよじる鍵玻璃に、竹節虫ナナフシが足先をミサイルにして放つ。鍵玻璃の周囲に突き刺さるそれらが次々と爆発した。


 砂と一緒に弾き飛ばされ、仰向けにひっくり返される。


 真っ黒な空だ。星も無ければ、月もない。


 だが、それだけではない。もう少し顎を上げれば、ネオンライトブロックで構築されたステージが辛うじて目に入る。


 ―――私のステージ、私の世界エデン


 世界というにはひどく小ぢんまりとしたそれは、五年前から何も変わらない。彩亜あーやさんに憧れて、あの人になりたいと願った時と。


 稚気じみた夢の結晶。もはや叶わぬ約束の果て、その残骸。


「…………い、や……っ!」


 鍵玻璃きはりは体中の力を振り絞ってうつ伏せになり、ステージへと手を伸ばす。


 アイドルも、エデンズも、捨て去りたいと思っていた。そうすれば、悪夢から解放されると思っていたから。


 彩亜あーやの記憶もメリー・シャインも、忘れ去ればきっと楽だと考えていた。


 でも、出来なかった。どんなに狂い果てても、それだけは。


 ―――だって、世界で一番憧れた人だもん。忘れられるわけないよ。


 ―――それに私まで忘れちゃったら……彩亜さんが可哀想だ。


 ―――泣いていたあの人が、浮かばれないじゃないか。


 ―――ぜんぶ忘れるなんて出来っこないんだ!


 砂を握って、不格好に手を伸ばす。ザリガニ型のロボットが、その真後ろにせまって来ていた。


「“ドミナリング・クロウフィッシュ”でダイレクトアタック」


肌理咲きめざき鍵玻璃きはり! 来ますわよ! 早く立ちなさい! 早く!」


 流鯉りゅうりが声を枯らして叫ぶ。まるでKO寸前のボクサーを鼓舞するセコンドだ。


 この攻撃を喰らっても、ハザードカウンターは17止まり。負けということは無く、むしろ奮戦レベル3になれることを考えれば受けてもいい。


 しかし、流鯉はそれをあまり好ましいとは思えなかった。戦略やプレイングだけでなく、鍵玻璃の心が折れてしまわないかが心配だった。


 流鯉は不可視の壁に両手を突く。父と自分が面倒を見て、ようやく奮い立ったと思えばこれだ。寸前で臆病風に吹かれて、砂に塗れて這っている。


 ―――あなたは強いのに! わたくしよりもずっと強いはずなのに!


 父だって、協力できないと言いつつも、彼女のことを認めていたはず。でなければ、わざわざ車を出したりするものか。危険から守ると言っておきながら、鍵玻璃の意思を尊重したりするものか。


 実際、序盤に見せた彼女の猛攻は凄まじいものだった。同じことをされた時、自分は果たして勝てるだろうか。そう考えた時点で、敗北を喫したような気分になる。


 流鯉は不可視の壁を引っかくように拳を握り、思い切り声を張り上げた。


「わたくしを……何度失望させれば気が済むのです! あなたが立ち向かうと決めたのですから、とっとと勝って見せなさい! 肌理咲きめざき鍵玻璃きはり―――っ!」


 流鯉りゅうりが叫ぶと同時に、ザリガニ型のロボットがハサミを発射した。


 ステージに手を突き、なんとか身を起こした鍵玻璃が振り返る。ワイヤーを引きながら飛来した大きなハサミが開き、標的をステージ下に縫い留める。


 獲物の動きを封じたザリガニは、その巨体からは想像もつかない大ジャンプで距離を詰める。残ったハサミを振り上げる姿を見ながら、鍵玻璃は己を捉えるハサミをつかみ、力を込めた。


 外すためではなく、倒れないために。


「奮戦っ……レベル2ッ!」


 吐き気を飲み下して宣言すると、体を銀の光が包み込む。


 構わず鍵玻璃きはりの脳天をカチ割ろうと振り下ろされたザリガニのハサミを、金色の輝きが受け止めた。


 攻撃を弾き返すは、黄金剣。“導かれし未来・デネブ”の刃だ。


 砂地に着地したザリガニと向かい合いながら、デネブはピンと張ったワイヤーを断つ。ステージ下から外れたハサミに寄らず立つのは、白銀のアイドルだ。


「“スカイハイ・タッチ”、奮戦レベル1のレギオンを呼び出し、パワーを+2000する……! 反撃して、デネブ!」


 銀の髪をなびかせながらの命令に、デネブは即座に従った。力強く地を蹴り、ザリガニへと斬りかかる。


 “ドミナリング・クロウフィッシュ”:パワー2000


 “導かれし未来・デネブ”:パワー4000


 ザリガニが反応するより早く、黄金色の剣閃がその身を貫く。


 掬い上げる斬撃を受けて真っ二つにされたザリガニは、物も言わずに爆散した。


 死神:ハザードカウンター17→18


 流鯉が固唾を飲んで、その様を見つめる。鍵玻璃きはりは軽くふらつき、夥しい汗を掻きながらも、どうにか自力で立ち上がっていた。


 今にも倒れそうな頼りない姿だが、その瞳には鋭い眼光が輝いている。


「前は……はぁ、見せられなかったわよね。この姿……」


 大きく肩で息をしながら、つっかえがちに鍵玻璃きはりは呟く。


 依然は何らかの要因で、奮戦レベルを上げても変身しなかった。恐らく、死神から仕掛けられたからだろう。あるいは、鍵玻璃が逃げようとしていたからか。


 跳び下がって来たデネブの肩を借りながら、鍵玻璃は続ける。


「あんたは知ってるはずよね。今の私と同じ姿をした人のこと……求文女しふめ彩亜あーやっていう、エデンズブリンガーのこと! 知ってるはずよねぇっ!」


 声を荒らげて詰問すると、死神がここに来て反応を見せた。


 僅かに顔を上げ、ローブの奥からこちらにじっと視線を送る。


 流鯉りゅうりは彼女が叫んだ名前を確かに聞いた。そして、彼女の理想エデンの意味も。


 鍵玻璃きはりは、そのアイドルになりたかった。憧れていた。焦がれるほどに。


 それを奪われた怒りが彼女を衝き動かしていたのだと。


「言えっ! あの人をどこにやった! どうしてあの人を消したりしたんだ! どうして……っ! 答えろぉっ!」


 鍵玻璃きはりの問いに、しかし死神は何も答えようとはしない。


 デネブが鍵玻璃を連れてステージの上へ舞い戻る。


 舞台。まるで玩具のようなそこは、確かに自分が夢に見たもの。ゲームの中で作り上げ、いつか本物に生身で立つと、解恵かなえと立つと誓ったその場所。


 ずっとずっと捨てられなかった。それが狂気と悪夢をもたらすのだと知っていながら。呆れるほどに単純な、子供じみた動機のために。


 ―――求文女彩亜わたしのゆめが、奪われた。


 あの死神に、恐怖と怒りの根源に。それが幻覚や妄想でないと知り、戦えるものだと実感したから、今ここにいる。鍵玻璃の夢現むげんを融かした悪夢が、皮肉にも現実を取り戻させた。ありすと、ありすの兄を通じて。


 心の空白に戸惑うありすに触れたあの時、狂気に手を触れた時、恐怖を乗り越えることを選んだあの時に。止まった時間が動き始めた。


 ありすの兄と死神を追えば、この異常のすべてが明らかになる。


 死神を倒せば彩亜あーやを、自分の夢を取り戻せるかもしれないと、そんな風に希望を抱いた。狂気の中に溶けていた、戦う理由。


「ターンエンド。“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”のレリックスキル発動」


 死神の頭上で卵が自転を停止する。ザリガニの攻撃に合わせ、卵に取りついていた象虫ゾウムシが沈むように飲み込まれていく。


 続いて卵は、強烈な引力で鍵玻璃きはりの手札を吸い寄せ始めた。


 レベルアップボーナスも含め、手札は6枚。そこから“流星並走”が抜き取られ、デッキの1番上にあったカードと一緒に卵の中にとぷんと沈む。


 卵が沸騰するようにボコボコと変形し始めた。


 流鯉りゅうりは息を呑んで卵を見つめる。死神のキーカードが姿を現す。


「融合したカードが5枚以上なら、このカードを破壊し、“幻界雛げんかいすうRedレッドXamサム”1体を場に出す」


 奇怪に膨れ上がった卵が内側から突き破られる。


 白砂の大地を穢す、黒ずんだ赤色の瘴気が拡散。鍵玻璃きはりは腹を揺さぶる恐怖を押さえつけ、デネブの手を握りしめた。


 耳障りな甲高い声で鳴く、瘴気の塊。おぞましい姿の鳥のひな


 恐れおののく自分が、早く逃げようとヒステリックに叫びながら縋りついてくる。


 あの夜は、応えることすらできなかった。絶望の底で貪り食われるのを待つだけだった。今は違う。恐怖を振り払い、震える足で一歩踏み出す。


 死神は黙って鎌を掲げた。


「“幻界雛RedレッドXamサム”のレギオンスキル。自分のデッキの下の1番下から、任意の枚数カードを融合させ、その枚数分パワーアップ」


 大鎌に、瘴気の縄が絡みつく。5本の糸は徐々にその色を赤く、鮮やかに。そして主たるひなの色をも炎のような真紅へ染め上げ始めた。


 雛が育つ。より貪欲な禽獣きんじゅうに。より凶悪な、カラスの姿に。


「融合したカードの枚数が5枚以上で、奮戦レベルが3ならば、“幻界膨鳥げんかいぼうちょうLeadレッドXIイレヴン”に進化変身する」


 成長を終えた大鴉は翼を広げ、砂漠中に瘴気と咆哮をまき散らす。


 暴風が砂を巻き上げながら、外縁の流鯉りゅうりにまで襲い掛かった。


 流鯉は吹き飛ばされないよう前傾姿勢をとりながら、表示された鴉のデータを参照する。奮戦レベル3、パワー4000。破格の力を持つ切り札級のレギオン。


 ―――融合、それに進化変身! 相手のリソースを喰らって成長するデッキ。


 ―――その果てにあるのがあのレギオン! なんて戦略……!


 ―――肌理咲きめざき鍵玻璃きはり、この空気に飲まれていないでしょうね!?


 流鯉は鍵玻璃の様子を伺おうとするが、視界がホワイトアウトする。


 一方で鍵玻璃は、散々刷り込まれてきた恐怖と真新しい記憶に必死で抗い、軽く嘔吐しながらも立ち続けていた。


「それが……あんたの切り札ってわけ? そいつが……ありすのお兄ちゃんを。彩亜あーやさんを……! 吐き出させてやる……絶対に! 私のターン!」


 鍵玻璃:ハザードカウンター12

 手札5枚、レギオン1体、レリック0枚


 死神:ハザードカウンター18

 手札0枚、レギオン4体、レリック0枚


 ―――あと1、2回攻撃すれば、私の勝ちだ。


 逆に鍵玻璃自身も、負けが近い。敗北すれば、ありすの兄のように貪り食われて消えるのだろう。


 恐れる気持ちが無いではない。しかし止まってなどいられない。


 勝って、すべてを取り戻すまで。


「だから応えて、私のデッキ。私のエデン!」


 ゴゴン、と地鳴りのような音を立てて、微かに舞台が浮き上がる。


 すると、周囲の虚空にネオンブロックが次々と現れ、ステージを変形させていく。ひと回り大きくなった舞台の上で、銀の髪とリボンがなびく。


 鍵玻璃はすうっと息を吸い込んだ。


「奮戦……レベル3っ!」


 無言無反応を貫く主に変わって、叫びを上げる大鴉。


 同時に鍵玻璃のエデンが爆発的な閃光を放ち、世界を白く染め上げた。

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