光の中が去ると、そこは一面白砂の地。
起伏のない、荒涼とした砂漠に降り立った
―――これが……
思い出すのは、いつか父が見せてくれたある動画の風景。砂を敷き詰めた箱庭を通じ、患者の心を読み解いていく箱庭療法を指差して、彼は言った。
“エデンは、持ち主の心を描き出す。エデンズブリンガーが真に望む世界をだ”
“カードのテキストだけでなく、相手の姿やエデン全体に目を向けなさい”
“対戦を通して相手を知り、己を知る。私がエデンズに込めた、ちょっとした郷愁だ”
だが、死神のエデンには、何ひとつとして存在しない。白い大地と黒い空。そして向き合う自分と敵だけ。掬った砂は微細な角砂糖のような立方体。そこに命や、何かの意思は感じられない。ただ虚しいだけだ。
流鯉はようやく、あの死神が超常的な存在なのだと理解した。自分の哲学ではおよそ測りようもない、恐ろしい何かだと。
―――これが、
首筋を冷やす汗にハンカチをあてがいながら、流鯉は決闘者たちに向き直る。
無味乾燥な砂漠に埋まる、あまりにも場違いなオブジェクト。ブロックで作り上げられたステージの上に立つ
殺風景な砂漠にあって、彼女のエデンはあまりに小さい。くすんだ光のステージは、
「……負けるつもりはないのでしょう?
自身の恐れを押し込めて呟くと同時、鍵玻璃が動いた。
「私のターン」
視線を死神から引き剥がし、手札に向ける。
“ミーティアライダー・デネボラ”、2枚の“なぞり紡ぐ
―――もし、あなたが私と同じ気持ちなら。
―――力を貸して、メリー・シャイン。私と一緒に戦って。
メリー・シャインは動かず、語りかけてくることも無い。それでも、光に照らされた闇のように恐怖が退いていくのを感じて、鍵玻璃は動いた。
―――行こう。
メリー・シャインから手を離し、別のカードを素早く呼び出す。
「“ミーティアライダー・デネボラ”! さらに誓願成就、“なぞり紡ぐ
「ドロー。“オブリビオンハッカー・ヒューノス”、“ラベノスワーム・ドローン”、“
死神の前に3つの黒い穴が空き、それぞれ
記憶を手繰るより早く、三方向に開いた“ラベノスワーム・ドローン”の頭部が赤い光で鍵玻璃を照らす。
鍵玻璃が目くらましに怯むまいとする一方、死神の前に3枚のカードのヴィジョンが現れる。死神は黙考するような沈黙の末、そのうち1枚に触れた。
「“導かれし未来・デネブ”を自身のデッキの一番下へ。残りの2枚は持ち主のデッキの一番上へ」
沈黙だけが周囲に圧力をかける中、
相手のカードを奪うレギオンで構築されたデッキ。
レギオンは生き物の形をしているが、余分な動きを一切しない。何もない時はピタリと止まり、彫像のよう。砂漠にあって虫がモチーフというのも違和感がある。
―――ちぐはぐですわね。人物像……というのも変ですが、そういうものが。
―――こんな人間味の無いエデンの持ち主が、他者から何を奪おうと?
―――自分の空虚を他人で埋めたいが、埋まらない。そんな具合でしょうか?
―――いや、そもそもあの死神の正体は? これが夢でないなら、あれは一体。
考察を続けている間に、死神は大鎌を前へ突き出した。
「続いて、“オブリビオンハッカー・ヒューノス”のレギオンスキル」
百足型の機械が砂を蹴立てて、
一陣の風の如く迫り、身を守ろうとする少女の真横を掠めて鎌首をもたげる。その口元には、1枚のカードが捕らわれていた。
鍵玻璃の止まりかけた心臓を、メリー・シャインの微笑みがキックする。
奪われたのは誓願カード、“なぞり紡ぐ
「相手の手札をランダムに1枚、自分のデッキの1番上に」
死神の宣言とともに、百足がカードを噛み砕く。そしてそれは首を引き、
「“オブリビオンハッカー・ヒューノス”で、デネボラを攻撃」
ぎごごごご、と不気味な音を立て、百足が頭部を展開した。
上下左右に広がるトゲまみれの
ヒューノスのパワーはデネボラより低い。自爆特攻だ。
このタイミングで?
「デネボラ!」
足元から噴水のように突き出した星明かりに乗り、デネボラが百足に突き進む。
勢いよく閉じる顎を宙返りで回避。星明かりに食らいついた百足は、口内を爆破されて大きく仰け反る。その下あごへ、デネボラが跳び蹴りを叩き込んだ。
頭部を破壊された百足の体躯が大きく吹っ飛び、死神の傍で仰向けに倒れる。その爆発が白い砂を巻き上げた。
横殴りの砂嵐をまともに喰らいながらも、死神は不動。むしろ既定路線だとばかりに、カードを放った。
「誓願成就、“リバーサル・バース”。破壊された奮戦レベル1のレギオンの同名カードを3枚生成、デッキの1番下に置く。ターンエンド」
「私のターン!」
死神に気付かれないように息を吸い、吐く。まったく、心臓に悪い。
こうなるかもしれないと、リムジンの中でなんとなく思ってはいた。その場合の動きをどうするかまで考えた上で、このデッキを調整したのだ。
手札をできる限り多く抱えて、メリー・シャインが奪われる確率を低く維持する。
そしてあの卵が出てくる前に押し切り、決着をつける!
「レリック配置、“メグレズの採掘場”! デネボラで“ラベノスワーム・ドローン”を攻撃! 打ち砕け、スターリィ・フロウ!」
砂地を突き破って現れた流星の光に飛び乗って、デネボラが虚空を駆ける。
“ミーティアライダー・デネボラ”:パワー2000
“ラベノスワーム・ドローン”:パワー1500
真っ暗な空を斜めに降下し、流星をシュート。光り輝く星は芋虫型のドローンの頭部を粉砕し、全身を爆発させた。
死神に動きは無し。少なくとも、先の“リバーサル・バース”のような破壊をトリガーとするカードは持ち合わせていないらしい。
ならば、このまま攻めるのみ。
「誓願成就、“流星並走”! デネボラにパワー+500して、新たなデネボラを場に出す! デネボラのスキルで“流星並走”を手札に加える!」
「これは……まさか!」
己との戦いで
―――デネボラループ! それを今度は攻撃に!?
そんな場合じゃないと思いながらも、胸の高鳴りを抑えきれない。
数時間前に見せた時以上の力を発揮しているのだとわかる。その事実が悔しさと高揚をどうしようもなく湧き上がらせた。
やはり、自分と戦った時の彼女は本気とは程遠かったのだ。最初から全力の彼女とやり合っていたら、惨敗していたかもしれない。
流鯉が強く
「“メグレズの採掘場”のレリックスキル! レギオンが強化された時、“グリッターモール・メグレズ”を手札に加える。そして“流星並走”! 3体目のデネボラを出し、2体目のデネボラを強化する! 攻撃!」
2体目のデネボラが天高く飛び上がった。狙うは
砂地に突き立つ枯れ木のように細いドローンが擬態をやめて足を伸ばした。蹴り飛ばされた流星に向かって8本ある足の先をミサイルのように発射する。
死神の宣言が、ジェット噴射の音に重なった。
「“
「攻撃に反応して奪うレギオン、そんなものまでいるの……! そこまでして……」
ラメ入りの爆煙が晴れた先では、ファスマトディアの本体が傘のように開いていた。レーザービームで作ったネットを展開し、デネボラを捕縛して丸ごと消える。
度重なる略奪が、鍵玻璃の怒りに油を注いだ。その憤激を乗せて、がら空きになった死神の場に3体目のデネボラをけしかける。
「そこまでして、人から奪って……最後には何もかも消して! それになんの意味があるのよ! デネボラでダイレクトアタック!」
オーバーヘッドキックで撃ち出された閃光が、死神に直撃して爆発する。
これで死神のハザードカウンターは7。しかし、デネボラループは止まらない。
3体目のデネボラが“流星並走”で強化され、4体目が現れる。続けて攻撃。
「なんとか言いなさい! あんたが消した人たちはどこに行ったの!? なんでそんなことをするの! どうして……私からも奪おうとするのよ―――っ!」
二度目のダイレクトアタックが直撃した。沈黙の砂漠が爆発音に揺らぎ始める。
爆風に晒された砂は枯山水のような波紋模様を描き出し、ざらざらとした風の音が虚しく響き渡っていく。もうもうと立ち込める煙は、白く、そして煌びやかだ。
その煙を縦に引き裂いて、死神が開幕した舞台の役者のように現れた。
答えはない。ただただ機械的な動作で、ノイズのかかった声で静かに告げる。
「―――奮戦、レベル2。レベルアップボーナス獲得」
それを聞いた
だが、砂漠に変化はない。何かのオブジェクトが現れるでも、黒塗りの空に月が出るでも、死神自身にすら変化はない。それこそがあるべき姿だと言うが如くだ。
狂っている、と流鯉は思った。父の作ったゲームを超常存在が悪用し、人を消して回っている。大昔のホラー映画じゃあるまいし、そんなことがあってたまるか、と。
何から生まれた存在だ? まさか、本当にオカルトめいた存在というわけではあるまい。かといって、ただのウィルスプログラムやチートツールでもなかろう。あれは一体なんなのだ。
「“流星並走”! 4体目のデネボラをパワーアップして5体目を場に……攻撃!」
みたび、流星が死神をめがける。今まで攻撃を喰らうばかりだった死神は、鎌の一閃で星を断つ。
死神のハザードカウンターはこれで17。しかもまだ、レベルアップボーナスで手に入れたカードを使っていない。
死神は大鎌を回転させて再度宣言した。相変わらず、砂漠にはなんの変化もない。
「奮戦、レベル3。レベルアップボーナス獲得」
「“流星並走”! 最後のデネボラ―――っ!」
残ったひと枠を埋めたデネボラが、攻撃を繰り出した。
だが一方で、それが正しいのかと問う自分もいるのだ。普通なら、敢えて攻撃を喰らい、奮戦レベルを上げていると考える。だがあの死神は普通じゃない。
もしかしたら、このままあっけなく勝ててしまうのではないか、死神の件はこれにてあっさりと解決するのでは、なんて楽観的な考えも確かにあった。
流鯉はぐっと喉を鳴らした。どのみち、攻撃せねば勝利はない。
「最後のデネボラでダイレクトアタック! これで終わりよ!」
「“ドミナリング・クロウフィッシュ”のレギオンスキル。手札から場に出し、相手レギオン1体を自分のデッキの1番下へ」
ドウ、と砂の中から白いハサミが飛び出した。
それは飛翔したデネボラの足首を捉え、接続されたワイヤーに引っ張られるまま砂中に引き込む。代わりに砂を噴き上げて現れたのは、ザリガニ型のロボットだ。
“ドミナリング・クロウフィッシュ”。奮戦レベル2、パワー2000。
残されたのは攻撃を終え、スキルも使い終わったデネボラが4体。あとちょっとのところで阻まれた。
―――パワー2000の迎撃用レギオン……!
心の中で猛る怒りが地団太を踏む中、手札を見つめて考える。
“なぞり紡ぐ
手札を尽くせばザリガニは倒せるが、トドメはさせない。それに、メリー・シャイン奪取の確率まで上がってしまう。それだけはなんとしても避けなければ。
―――焦るな、落ち着け……まだあの卵は出ていない。引ける確率も、低い。
―――ここは手札を温存するべきタイミングなのよ。
今にも飛び掛かろうとする怒りを、
「……ターンエンド!」
鍵玻璃:ハザードカウンター0
手札6枚、レギオン4体、レリック1枚
死神:ハザードカウンター17
手札3枚、レギオン1体
優位だ。ふたりの少女から見ても、この局面は圧倒的に
これがどう転ぶかは、決着が着くその時までわからないのだ。
だが少なくとも、死神はまったく動じていない。ただ感情がないだけか、それとも計算通りなのかも伺い知れない。それがひどく、流鯉を不安にさせた。
―――あなたの感じている不安や恐怖は、きっとこんなものではない。
―――何より、わたくしには苦言を呈する資格もない。
―――ハンデありきで戦い、負けたわたくしに、何が言えるというのです。
だから、信じるしかない。そう言い聞かせて鍵玻璃を見つめる。
鍵玻璃は荒い息を吐きながら、死神と向き合い続ける。
トドメを刺せなかったことについての自責。次のターンで死神が行う行動への恐れ。ヒステリックに喚こうとする恐怖の感情を、怒りの一声で黙らせた。
まだだ、まだ。あの卵だって出てきていない。死神の主戦術にして、主力を呼び出すはずのあのカード。
向こうの手札は3枚、ドローは2枚。うち1枚は奪った“なぞり紡ぐ
それにデネボラループも再始動は簡単だ。流鯉の時のように攻撃を抑えることも、自爆特攻を繰り返して奮戦レベルを上げることだってできる。アステラ=メモリアなり、“
行ける。押し切れる。打ち倒し、この悪夢に別れを告げる。
死神は、窮地にあっても淡々と立つ。その手札には、奮戦レベル3のカードが2枚握られていた。1枚はレベルアップボーナスで得たもの。もう1枚は、初期手札にあったもの。
それを以って、彼の戦術は完成していた。
追い風が砂を蹴立てて、死神のローブを揺らす。
死神は静かにカードをドローする。
4ターン目にして最終局面。死神はローブの奥で、少し昏い空色の瞳を光らせた。
「失楽園を這いずる餓鬼よ。汝、真なる世界へ贄を捧げよ」
死神が大鎌を掲げると、空が汚泥のようにドロリと溶けた。
耳を溶解させるような異音を立てながら垂れ下がる、漆黒の雫がふたつ。徐々に巨大化していくそれに、白い縞模様が走り、黒と複雑に混じりながら蠢き始める。
やがて切り離されたそれは砂地に落下し、2体の巨大なレギオンと化した。
片方は、
「降臨―――“エデンズクロウラー”」
死神が、2体に共通する名を呟く。
砂漠に現れた巨大な虫たちは、緩慢な動きで鍵玻璃を吟味し出した。