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第25話 決起臨戦/星無き夜を照らし出す

「旦那様。お嬢様方がお出になられたと」


「そうか……。わかった、ご苦労」


 辰薙たつなぎは使用人の報告を聞き、書斎の椅子に深くもたれた。


 深く長い息を吐く。彼に煙草を吸う習慣はないものの、なんとなく紫煙を吹かし、吐き出したい気分であった。


 人の心は複雑だ。喜怒哀楽では不十分。様々な感情が、複雑に結びついている。時には、正反対のものがペアを組むことさえもある。


 あの夜色の髪をした少女は、複雑に絡まり合った心の中から何を取り出したのだろう。ここを飛び出して行ったのだから、少なくとも前向きな感情なのは確かだ。


 大人として、止めるべきだった。それでも、彼女が進むというのなら、辰薙にはきっと止められないのだ。人は結局、行きつく場所にしか辿り着けないものだから。結局、信じる以外に道はない。


 ―――だからといって、放っておいていいはずもない。


 辰薙はメールアプリを呼び出し、複数の宛名を選んで文章を打つ。


 あの少女たちも死神も、このままにしておくつもりはない。自ら戦いに出向いたとなればなおさらだ。彼女たちはまだ幼く、未熟で、先もある。困難を乗り越えた先に明るい未来があると示す。それもまた、大人の役目だ。


 ―――だが、あまり無茶はしてくれるなよ。


 娘たちの身を案じながら、辰薙はメッセージを打ち込んでいく。


 横目で、卓上の鏡を見やる。長らく付き合ってきたこの面貌で、いつまで生きていられるか。できれば娘の晴れ姿を見るまでは生きたいものだが。


「こうなっては、贅沢な願い……か」


 苦笑しながら鍵玻璃の持ってきたファイルを添付し、エデンズブリンガーの死神について詳しく説明。今後の行動方針を書いたのち、最後に付け加える。


 以降、情報漏洩を避けるため、エデンズブリンガーの死神についてはコードネームで呼ぶものとする。


 コードネーム、“収穫者ハーヴェスター”。くれぐれも内密に。


 メールを送信。窓の外に視線を向けると、一台のリムジンが正門へ向かって進んでいくのがかすかに見えた。


 闇に溶け込む黒い車体が、ライトで道を切り拓いていく。


⁂   ⁂   ⁂


時空膜を破る者グラビティライザー・アステラ=メモリア”

レギオン:奮戦レベル3

パワー:3000

レギオンスキル①:『相手のターン』このレギオンを手札から場に出し、パワーを倍にする(永続)。相手はこのターン中、攻撃可能なレギオン全てでこのレギオンを攻撃しなければならない。

レギオンスキル②:『自分のターン』このレギオンは相手のレギオン全てを無視して相手プレイヤーに攻撃できる。


 宇宙の果てすら突き抜けて、もっと遠くへ。次元の彼方へ。

 すべて、撃ち破って見せる。


⁂   ⁂   ⁂


 出発からいくらか経って、鍵玻璃きはりD・AR・Tダアトを持ち上げる。


 リムジンの中は、まるで部屋の中のように明るい。L字型の大型ソファや、備え付けのワイングラスなどを眺めていると、どこかのバーにいるような気さえしてくる。


 才原邸に招かれた時も乗っていたのだが、その時はあまり気にしている余裕がなかった。覚えていることと言えば、流鯉りゅうりに融合について尋ねたぐらいか。


 約半年前に新実装された能力。それが彼女の回答だったが。


 ―――半年前。じゃあ、あの卵は一体……。


 物思いに耽りかけたところで、その流鯉が声をかけてくる。


「準備はもうよろしいのですか? 何か、対策などは?」


「……色々考えてみたけど、特に」


「思いつかなかった? それとも、考え無しですか? あなたという人は」


 流鯉りゅうりはしかめっ面をして、腕を組んだ。


 彼女が軽く身を乗り出したあたりで、大体何を言われるのかを察して顔を背ける。ドライヤーをかけたばかりで、微かに熱を帯びた髪から花の匂いがした。


「あなた、自分で言ったことを忘れたわけではありませんわよね? 敗北すれば消されるのでしょう? 一度戦ったのなら、対策カードを積んだりとか……」


「下手に入れても、デッキは上手く機能しないわ。向こうが対策の対策を持っていないとも限らないし、付け焼刃では戦えない」


「それはそうですが……。いや、そもそもわたくしと戦ったあのデッキでやるおつもりで? メリー・シャインを入れたデッキで」


「そのつもり」


 はぁ――――――……、とやけに長い溜め息を吐き、流鯉はソファに背中を埋めた。信じられないという顔で腕を広げ、首を振る。


「ここに来て、わたくしの信用を下げるような真似をしないでくださいます? 万が一とか考えませんの?」


「私にも、思うところがあるのよ」


 鍵玻璃きはりは流れる夜景をじっと眺める。


 死神に敗北した者は消される。ただの噂話ではない。自分でその瞬間を目撃したから、確実だ。


 だが一方で、疑問もある。どうして鍵玻璃は消されてないのか? どうして鍵玻璃だけが、彩亜あーやのことを覚えているのか?


 その答えとして最も有力な説が、メリー・シャイン。このカードが鍵玻璃を守ってくれたのではないか、というものだ。あくまでも推測に過ぎないが、それを説明された流鯉りゅうりは、口元に手を当てた。


「なるほど。…………まあ、そうでもなければ、あなたが無事でいられるわけもありませんわね。ですがデッキは新しく作成した方が良いと思いますわ。試運転、付き合いますわよ?」


「遠慮しておく。相手のカード、全部わかってるわけじゃないし。大体、あんたとやってもそんな意味ないでしょ」


「そうですか。なら、せいぜい奪われないように祈りなさいな。大事なカードなんでしょう? わたくしにも預けられないぐらいには」


「ええ、そうね」


 会話がちょうど途切れると、運転手を務める男が到着を告げる。


 礼を言い、リムジンを下りる。一緒に下りた流鯉が警備用の詰め所へ赴き、合鍵を用いてゲートを抜けた。ギリギリ消灯時間ではないためか、あちこちに街灯が灯されていた。


 解恵かなえはもう眠った頃か。そんなことを考えていると、羽根ペン型のD・AR・Tダアトを抜いた流鯉が硬い声で問い質してくる。


「で、ここからの予定は? 死神が出る場所に心当たりはありますの?」


「前に私が襲われたところに行くつもり。そこにいなかったら……ぐるっと一周してみるしかないわね」


「もしや徒歩で? 明日になってしまいますわよ?」


「見つからなければ、明日も明後日も探すわよ。そのために来たんだから」


 手袋を嵌めた手で、前髪をかき上げる。


 不思議な気分だ。恐怖は未だ消えていないが、それでも前よりずいぶん大人しい。狂気から引きずり出された怒りが、睨みを利かせているようだ。


 爆発的な衝動ではない。闇雲に誰かを傷つけるようなものでもない。だが、それは鋭い爪を持っていて、いつでも敵を引き裂かんと身構えている。


 戦って、取り戻そう。そう言って、肩を叩かれている気がする。暴走する狂気でも、過去に蹴り立てられた衝動でもない。悪くない気分だ。


 夜の空気を吸い込みながら、隣を歩くお嬢様を皮肉ってやる。


「あんたこそ、肝試しが嫌なら戻っていいわよ。今更だけど、そもそもなんでついてきてるの?」


「あなただけの問題ありませんから。例えば……」


 流鯉りゅうりは周囲に呼び出した撮影用のウィンドウを確かめる。


 録画モードにしたそれらは、文字通りの小さな窓だ。辺りの景色をリアルタイムで保存し、パノラマ撮影すら可能にする代物。


 まるでホラー映画のカメラマンだな、それも最終的に映像だけが見つかるタイプの。鍵玻璃きはりが愚物を見るような目をする一方、流鯉は首を振った。


「いえ、やめましょう。片手の指では足りないぐらい理由は多くありますので」


「私が負けたら、意味ないと思うけど?」


「あら。あなたの方こそ、怖気づいたようですわね?」


「……ふん」


 意地悪く挑発的な笑みを浮かべる流鯉りゅうりにそっぽを向いて早く歩いた。目覚めたばかりの怒りを焚きつけ、低く低く唸らせる。


 やがて、閉店したファミリーレストランの隣を過ぎた。明かりの落とされた店内はシンと静まり返っていて、それが逆に何か得体の知れないものが潜んでいるのでは、という猜疑心を与えて来た。


「……負ける気はない……」


「へえ?」


 聞き返してくる流鯉りゅうりを無視する。


 こんな気分は初めてだった。入学時からずっと、自分の意思で戦ったことはない。


 解恵かなえの時も、死神の時も、流鯉の時も、ただ強制されていただけ。逃げ場を失くした恐怖と狂気が、やけっぱちの抵抗を強いたに過ぎない。


 だが、今度は違う。狂気の中に隠されていた自分の本音が、名前と目的を得て共に立つ。追い詰められたからではない。失わないためでもない。すべてを奪い返すための力となってくれている。


 そして、鍵玻璃きはりは戻って来た。あの日の場所に。


 急に立ち止まった鍵玻璃の隣で、流鯉は周囲を警戒し始める。


 冷たい風が街路樹の翅を揺らして、ふたりの膝をするりと撫でる。震えそうになる足を抑え、鍵玻璃はD・AR・Tダアトを身に着けた。


 ドクンと心臓が脈打ち、周囲の景色が一瞬だけ砂漠に変わった。


「う……っ!」


 頭痛を感じ、半歩ふらつく。発作的な幻覚ではないらしい。流鯉も同じように頭を押さえ、眉間に皺をよせていた。


「頭が……っ! この感覚は……!?」



 鍵玻璃きはりは短く呟くと、一歩前に踏み出した。


 目の前に、音もなく明滅する街灯がひとつ。頭を振って痛みを払い、その奥へ声を投げかける。


「ずっとここで待ってたってわけ? 案外、しつけがなってるじゃない。……出てきなさい、死神! あんたを……倒しに来た!」


 言葉が夜に吸い込まれていく。しばしの沈黙が下りたのち、街灯の下で空間が裂けた。


 ジッパーを開く音を不気味にひずませたような、虚空の悲鳴。光が苦しげに点滅する中、それはだんだん大きく傷をつけていく。


 驚いた流鯉りゅうりがそちらへカメラを向ける中、裂け目から灰色の大鎌が突き出した。


 鎌の柄と不気味な左腕が裂け目を広げ、気味の悪いローブ姿がずるりと這い出す。鍵玻璃は体の内側がどよめくのを感じつつ、奥歯を噛み締めた。


 口の中に苦い味。酸に喉を焼かれる感覚。白いライトの下に、あの死神が再び姿を現す。芋虫か何かのように地面を舐めて、不気味な挙動で身を起こす。


 超常的な光景を前に、さすがの流鯉も言葉を失った。鍵玻璃きはりは両手を握りしめ、全身をきつく硬直させて死神を睨みつける。


 恐怖がパニックに陥った群衆のように叫んで、腹の奥底を走り回った。臓腑が捩じれる。怒りに脈打つ心臓が恐怖と争い、体内が爆裂してしまいそうだった。


 ―――耐えろ! 私は……戦いに来たんだッ!


 鍵玻璃は噛み千切らんばかりに唇に歯を立て、前のめりになった。


 相手が動く前に意を決し、腕を動かす。虎が獲物を襲うが如き早業でエデンズを起動。相手に挑戦状を叩きつける。


「勝負だ、死神。あんたが奪った人たちを、返してもらう……!」


 死神は何も言わずに鎌を掲げる。頭上の空間が殴られたゼリーのようにドプンと波打ち、波紋がふたりの真上を抜けていく。


 返される、対戦受諾のメッセージ。鍵玻璃きはりは星無き夜空に手を突き上げた。


 死神がざらついた声で詠唱をする。


「アカシアの墓、そら審眼しんがん。汝を喰らうは叡智のひつぎ


「夢のカタチ、星のカタチ、光のカタチ! 一番星は……この手の中に!」


 真っ暗な空に一番星が光り輝き、サテライトレーザーのように墜落してきた。


 急いで距離を取る流鯉りゅうりの前で、鍵玻璃きはりが光の柱に飲み込まれる。一方で死神は足元から吹き上がった白い砂嵐に包まれた。


 捩じれる光の柱と立方体の砂で作られた竜巻が互いに膨張。接触し、混じり合いながらバトルフィールドを形成していく。


 真っ白い閃光が、真夜中の敷地を昼のように明るく照らした。


「「ジェネレーション・マイ・ディザスター―――!」」


 開戦を告げる言葉が、エデンへ導いていく。

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