「……ふう」
トレーニングウェアを着た
ここ最近ですっかり顔なじみとなった仲間たち。彼女たちの笑顔は絶えず、練習も楽しそうにこなし続けている一方で、休憩を言い渡されたメンバーは真剣に、仲間の動きやトレーナーのアドバイスに聞き耳を立てている。
トレーナーの手拍子に合わせて体を動かす同級生たちを眺めながら、解恵はスポーツドリンクを呷る。
体が重い。心も重い。精一杯動いた後の疲労が、心地よいと感じられない。
自分も一緒に楽しみたいのに。
「……はぁ……」
急に寂しくなって天井を仰いだ。トレーナーの厳しくも丁寧な指導の声が、次第に遠くなっていく。
―――お姉ちゃん、今日もアメフト部にいるのかなあ。
退院した次の日、姉は妙にアクティブになった。
朝は
悪いことではないはずだ。少なくとも、引きこもるよりずっといいはず。
それでも不安がぬぐえないのは、彼女が倒れたあの夜のことがあるからだ。
堪え切れずに寮を飛び出た際の危機感。無残な姉を見つけた時の、冷や水を浴びたような冷たさ。昏々と眠り続ける姉の横顔。そればっかりが頭に浮かんで、練習にも身が入らない。
―――お姉ちゃん、大丈夫かな?
―――あたしの知らないところで、苦しんでたりしないかな?
―――どうして何も言ってくれないの? あたし、そんなに頼りない……?
両手の中で、ペットボトルがくしゃっと潰れる。
悔しい。そんな想いが胸を焼く。
昔から、
それに比べて解恵はダメな子供だったが、努力の末ここまで来れた。遠かった姉の背に、指が触れるぐらいにはなったはず。
―――なのに、なのに……なんでこんな遠く感じるの……?
―――ねえ、どうして? お姉ちゃん……!
俯き、目を潤ませる解恵のうなじに、湿った冷たさがあてがわれた。
「ひゃんっ!?」
その手をつかみ、引き戻したのはハニーであった。
「お疲れ、かなえん。隣、いい?」
「ハニー! い、いいけど……」
「よっと!」
微笑んで、ハニーは隣に腰を下ろす。
火照った体にスポーツドリンクを入れて冷やすと、ハニーは指で頬を突っつく。
「ま~たきはりんのこと考えてたでしょ。まあ、ムリも無いけどさ」
「うん……。ハニーは?」
「そりゃあ、ね」
そう言って、ハニーは肩をすくめてみせた。
気まずい沈黙。きっと思っていることは、ふたり一緒だ。
授業に出て、部活に励む。もっと共通の友人を作って、休みの日は出かけたりして。そんな当たり前の生活を、
でも、一向に上手く行かないばかりか、悪化しているような気がする。
ハニーは飲みさしのスポーツドリンクを額にあてがいながら呟く。
「きはりん、今なにしてるのかなぁ。ありすちゃんといるのかな」
「多分。……わかんないけど」
そんな答えが、ひどく情けないと思ってしまった。
生まれてからずっと一緒。そのはずなのに、距離がどんどん開いていく。
姉についていけない自分が、どうしようもなく惨めに感じられた。
ハニーの顔にも、元気がない。
「かなえんさ、きはりんがなんで、ありすちゃんのこと心配してるか、知ってる?」
「えっ? ええっと……。……ごめん、わかんない」
「だよね、わたしも。おっかしいな、なんか……あった気がするんだけど」
ハニーはペットボトルを額に何度も打ち付ける。
変化したのは、
元々表情変化に乏しい少女ではあった。だが、ここのところはクールというより、どこか虚ろだ。
何もない場所を見つめたり、自分の
鍵玻璃が心配するのもわかる。わかるが―――。
「……わかんないよ」
ハニーには、解恵に教えていないことがひとつある。
内容は思い出せない。しかし、ありすのすすり泣く声が、今もまだ鼓膜にこびりついている。同じ声を、病院でも聞いた気がする。鍵玻璃がアメフト部に仮入部すると言い出したのは、その翌日だ。
ありすの身にも、何かが起こった。その何かとは、なんだ?
―――どうしたらいいかな。何をしたら、綺麗に丸く収まるのかな……。
ハニーが奥歯を噛み締めていると、強い拍手の音がした。
ふたりはそろってビクッとし、
解恵たちのグループを監督するトレーナーである。
「アータたち、な~に暗い顔しちゃってんの! 入部する時に教えたでしょう? アイドルは?」
「「笑顔が大事っ!」」
「よくできました」
ピンと跳ねるように立ち上がったふたりの声を聞き、トレーナーは破顔した。
女性的な口調の彼は、直立したふたりの顔をじっと眺めまわすと、鏡張りの壁に並んだ他の部員たちに呼びかける。
「先にやっていてちょうだい! アタシの教えたリズムと関節ひとつひとつの動きを意識して! はい、復習!」
よく響く拍手の音に従って、部員たちが動きを揃えて踊り始める。
練習が始まったことに内心焦りを感じつつ、
やや怯えるふたりに対し、トレーナーの声は思いのほか優しいものだった。
「そんな身構えないでちょうだい。別に叱りつけたりしないわよ! ただ……何か悩みがあるんじゃないかと思ってね」
彼の表情が、優しい微笑みから真剣なものへと移り変わる。両手で解恵とハニーの顎をそれぞれつかみ、上を向かせると、静かに囁きかけてくる。
「
「え……」
ハニーもややぎょっとしたようだった。トレーナーは苦笑する。
「そんな驚くことないじゃない。あの子は有名人だし、何があったかは病院側から聞いてるわ。退院したって聞いたけど、何か問題でもあるの?」
「……はい」
本当は、軽々に言うべきではないのかもしれない。それでも、正直限界だった。
行き詰っている。どうすればいいかわからない。放置はできないが、良いアイデアも浮かばないのだ。
全身を小さく固めて震える解恵の姿を横目に、ハニーがかいつまんで説明をする。あくまで最低限、自分たちが確実に話せる程度まで。
それを聞いたトレーナーは腕を組み、顎に手を当てて考え始めた。
「なるほど、そういうコト」
ふーむ、と鼻を鳴らすトレーナー。ハニーは両手の指を合わせながら、ポツリと呟く。いつの間にか、偽らざる本音を口にしてしまっていた。
「……だから、あの子たちが何考えてるのかわからなくって。それが心配で……」
「ま、それはそうよね。アタシたちとしても、見過ごせないわ」
トレーナーはそう言うと、ふたりの耳元に顔を近づけ、囁いた。
「いい、アータたち。もしその子が何を思ってるのか知りたいのなら……陰からこっそりついて、じっくり観察なさい。独り言の一言も聞き逃しちゃだめよ。決定的な場面に出くわしたら飛び出して、その場で詰めてやりなさい」
「えっと……それって、ストーカーしろってことなんじゃ……」
「そうね。バレたら嫌われるかもしれないわ。でも、考えても御覧なさい。教えてくれないんなら、自力で調べるしかないじゃない。正面からぶつかってダメなら、こっそり行くしかないないのよ。もちろん、無理にとは言わないけどね」
ハニーのぼやきに、トレーナーは至極真剣な表情で言う。
そうかもしれないと
あるいは、ありすに聞いてみるのもいい。こんな単純なことに、どうして気づけなかったのだろう。
―――お姉ちゃん。やっぱりあたし、ダメなカナかも。
ほんのり苦笑していると、トレーナーが強く肩を叩いてきた。びくっとして顔を上げると、真摯な瞳と視線がぶつかる。
「気になるんでしょ、その子のこと。練習に集中できなくなるぐらい。大切で、大好きで、だから死ぬほど心配してる。違う?」
「……はい」
嫌われてでも、という注釈は、あまり心に響いていない。そんなことより、姉の心がどうなっているのかの方が重要だった。
―――教えてくれないんなら、自力で調べるしかない……。
―――そうだよね。うん、そうだよ。
ハニーは何か言いたげだったが、
彼女は、完全にやる気だった。その鼻先を、トレーナーの人差し指が押す。
「たーだーし! 本当に危ないことをしてるとかだったら、誰でもいいわ。アタシでも他の教師でも、110番でもなんでもして助けを求めなさい。解決するまではお休みあげるから」
「お、お休み? でも……むきゅっ!?」
口答えしかかる
ちょっとしたスキンシップをとりつつも、トレーナーは真剣だった。
「アイドルは笑顔が大事って言ったでしょ? 作り笑いじゃだめなのよ。心から笑えないなら、とてもやっていけないわ。だから、これはアタシからの特別レッスン。悩み事を解決しなさい。心の底から笑うためによ! いいわね? 返事!」
「「は、はいっ!」」
「なら良し。ほら、今すぐ行く! ……何かあったら、いつでも連絡しなさいね」
活動中に突然走り去っていったふたりを、他の部員たちが怪訝そうに見送る中、トレーナーは手を叩いて発破をかける。
「はい、そこで止まらない! “
はい、と威勢のいい返事とともに、少女たちはトレーナーの手拍子に乗った。