死神と邂逅してから、あっという間に四日が過ぎた。
だが、その甲斐はあった。自分の行いがまた無駄になるんじゃないかという不安も、昨夜のうちに払拭された。
暖かな風が、長い髪をなびかせる。
昼休みは生徒の憩いの場となるテラスも、放課後になれば寂しいものだ。
けれど、見下ろす景色は悪くない。走り込みをするアメフト部の姿が見える。
屈強な男子たちの後ろを小柄な少女がついていく。
―――あの子にも、苦労をかけたわね。
退院した日の翌日に、
ありすの様子を見守るという名目でハニーを説得し、マネージャー業を手伝う傍ら、ありすの兄について色々調べた。
他にも図書館、生徒会室にも足を向け、“証拠”を集めた。
フェンスに背中を預け、胸元に触れる。心にかかった黒い煙は未だに晴れず、狂気はニタニタ笑う悪魔のように、鍵玻璃の体を暴力的な衝動で満たそうとする。
鍵玻璃は胸元を掻いて意識を逸らした。待ち人はまだ来ない。
宛てが外れたのかと考えかけたところで、テラスの扉が開かれた。
硬い足音を立てて、新たな客がやってくる。銀の髪の待ち人が。
「こんな場所に呼び出してふたりっきりだなんて。案外ロマンチストなのですわね」
憎たらしい台詞を吐くのは、気品あるお嬢様。
煌めくそのヘアスタイルに、
ひとつは歌い踊る
肋骨の裏側をヤスリがけされるような感覚がした。硬く腕を組み、トゲトゲしく言い返す。
「告白されるとでも思った? なら悪いわね。私、恋愛には興味ないから」
「それならむしろ有難く思いますわね。わたくしには既に
そう言って、
黄金色の瞳は、周囲の光を跳ね除けるほど爛々とした敵意で満たされていた。
胸ポケットに差した羽根ペン型の
「あなたと対面してから、どれだけ経ちましたか……。時間を忘れる程度には忙しかったのですけれど、あの時の屈辱と怒りはずっと覚えておりますわ」
「そう。なら、話は早く済みそうね」
もっとも、彼女とて通過点に過ぎないのだが。
流鯉は
「解恵さんを通じてというのは少々気に食わないところですが、それはこの際構いません。あなたからの果たし状ですもの、受けない道理はありませんわ!」
「それなら良かった。変にごねられるよりはずっとマシだもの」
「ごねませんわよ。ですが、ひとつ聞かせて頂いてもよろしいですか?」
「……どうぞ」
これ見よがしな挑発のポーズに、
「わたくしの記憶では、あなたはこう言いましたわね。あなたのなんとかいうカードのことを思い出せば、わたくしの挑戦を受ける、と。それを撤回し、こうして仕掛けて来た理由はなんですの?」
「……複雑な話になるから、要求だけ言わせてもらうわ」
「へえ?」
金の瞳が好奇心に煌めいた。
さて、ここが正念場。これを突っぱねられたら、
「あんたと戦ってあげる。私が勝ったら、私をあんたの父親に紹介して」
「は……」
数秒を経て口の端がひくつき、だらんと下がった両手が拳を握る。
驚きのあまりゾンビのようなポーズを取ったお嬢様は、床を踏みにじるようにして一歩近づいてきた。
「失礼、今なんと? わたくしの聞き間違いかしら。お父様に取り次いでほしいと聞こえたのですけれど?」
「そう言ったのよ」
冷淡に返すと、唖然としていた
鼻を大きく膨らませて呼吸をし、努めて冷静さを保とうとはしているが―――吐き出す息は、まるで火竜の息吹のようだ。
「……お待ちなさい。わたくしの父がどのような立場か、ご存知で?」
「もちろん。
ヴェルテックス・インダストリーズ―――現代テクノロジーとエンタメを支配する、世界的な
エデンズはヴェルテックスの主力商品。ならば才原辰薙は、エデンズブリンガーの死神の真相に最も近いはず。協力を仰ぐのに、これ以上の相手はいない。
それに、会えば話を聞いてくれるという強い根拠が、もうひとつ。
鍵玻璃の内面など知らない流鯉は、怒りのボルテージを上げて語気を荒らげる。
「わかっているのであれば結構! では、そんな人になんの用がありますの? 市井の方にはおよそ縁のないお方だと思いますけれど!」
「あんたに言う必要はない」
「必要ないって……」
「人に要求しておいて、その理由も言わないなんて、そんなことが罷り通るとでも? 零点ですわ、社会常識を学んでから出直しなさい!」
―――まあ、そうなるか。
これですんなり行くとは思っていない。全面的に
では、素直に死神のことを語るか? これまでの調査でわかった情報と一緒に?
ナンセンス。オカルトと一蹴されておしまいだ。それは五年前の一件で、絶望するほどしっかり学習させられた。
だから、ここで押すしかない。流鯉を経由し、直接会って話を聞いてもらう。それが、逆立ちしたって会えない相手に会うための、最後の手段と言ってもいい。
鍵玻璃は
痺れるような痛みと、焼け付くような衝動が骨の髄に染み渡る。恐怖を押しのけ、血に飢えさせる諸刃の剣。それを以って、戦いへの恐れを断ち切る。
「言っておくけど、私をやり込めたいなら、これが最初で最後の機会になるわよ。今日を逃せば、あんたは一生、私の下でいることになる。わかったら……戦うかどうか、三十秒で決めなさい」
それを聞き、
四日前、
しかし、どこにもメリー・シャインの記録はなかった。
“知ってるでしょ、そのカードのこと。見たことあるはずだけど”
“このカードのこと、思い出せたら戦ってあげる”
厄介払いのための無理難題。それだけではないのはわかった。何か、裏がある。
―――しかし今、彼女はその条件を取り下げてまで挑んで来ている。
―――そうまでしてお父様に会いたい理由は? 数日で考えを変えたのは何故?
―――それに、彼女の目。
銀の瞳には、混沌とした影が渦巻いている。もはや一言では表せない、負の感情の集合体。図書館の時もそうだったが、あの時とはやや異なる。
なんと言えばいいのか、流鯉にもよくわからない。
わかるのは、彼女が闘志を燃やしているということだけだ。
同じ炎が流鯉の
「いいでしょう。その勝負、お受けしますわ。ただし!」
「……ただし?」
鍵玻璃が息を呑んだのが、手のひらを通じて伝わってきた。相手の目を至近距離から覗き込み、逃がさないようにじっと見つめる。
気に入らなかった。怠惰で、勝手で、自分の立場に頓着しない。悲劇のヒロインぶったその態度。そのくせ、実力はあるのだから始末に負えない。
将来、父の跡を継ぐ者として研鑽を重ねて来た流鯉にとって、これほど癇に障る相手はいない。
―――どんな理由があるにせよ、力に見合った心がない。それが許せない。
―――だから、みっちりと叩き込んで差し上げます。力ある者の振る舞いを。
―――切磋琢磨する相手に相応しい人物として、手ずから教育して差し上げます!
流鯉は大きく目を見開いて、圧倒するように言い放つ。
「わたくしが勝ったら、あなたには我が家に仕えて頂きますわ!」
「仕える……?」
しかし流鯉も譲らない。一歩進んで鍵玻璃の背中をフェンスに押し付け、逃げられないようにする。
鍵玻璃は両手を使い、相手の腕の骨を折らんばかりに握りしめた。
「く……っ。仕えるって……何。一生あんたの奴隷になれってこと?」
「おや、そういう趣味がおありで? 安心なさい、メイドか秘書か、どちらかの形で働いて頂くだけですわ。わたくしの三歩後ろで補佐をする。よろしくて?」
―――なるほど、そう来たか。
―――でも、案外悪くないかも……。
一分にも満たない黙考の末、鍵玻璃は流鯉の手を放す。
フェンスに背を押し付けたまま、平気な顔をして頷いた。
「わかった、その条件でいい」
「成立ですわね」
フェンスの影が、それぞれの横顔に格子模様を刻み込む。
「始めましょう。刮目して御覧なさい。人の前に立つべき者が何を背負うことになるのか。どのように力を得るのか。そしてどのように立ち振る舞うのか!」
沈みゆく眩い橙色の中、
同時に、
横殴りの風がふたりの間を撫でると同時、決闘の詩が紡がれる。
「民よ、我が旗を仰ぎ見よ!
「夢のカタチ、星のカタチ、光のカタチ。一番星はこの手の中に」
空に瞬いた星が
隆起し、亀裂の走る床から噴き出す金色の光が流鯉を飲み込んでいく。
その中にあってなお、穿つように己を見据える視線を受け止め、鍵玻璃は張り詰めた声で宣言した。
「「―――ジェネレーション・マイ・ディザスター!」」
ゴッ、 と流鯉の足元が下から突き破られて、鍵玻璃に流れ星が命中。
黄金色の火山噴火じみた光の奔流と、銀の光芒が捩じれて生まれた竜巻が拡大し、ぶつかり合って混ざり合う。
金の炎と銀の嵐は半球型を作り上げ、その内側にふたりの世界を編み上げた。