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第16話 因縁相殺/王冠への道

  死神と邂逅してから、あっという間に四日が過ぎた。


 鍵玻璃きはりは学院の屋外テラスで、これまでのことを思い返す。


 界雷かいづちマテリア総合学院入学から、まだ一か月も経っていない。なのに、随分と色々なことが起こったものだ。妹に負け、死神と遭い、ルームメイトとひと悶着演じたりして。


 だが、その甲斐はあった。自分の行いがまた無駄になるんじゃないかという不安も、昨夜のうちに払拭された。


 暖かな風が、長い髪をなびかせる。


 昼休みは生徒の憩いの場となるテラスも、放課後になれば寂しいものだ。


 けれど、見下ろす景色は悪くない。走り込みをするアメフト部の姿が見える。


 屈強な男子たちの後ろを小柄な少女がついていく。D・AR・Tダアトを下ろし、望遠機能を使えば、メガホンを持って声出しをするありすの顔がハッキリ見えた。


 ―――あの子にも、苦労をかけたわね。


 退院した日の翌日に、鍵玻璃きはりはアメフト部に仮入部した。


 ありすの様子を見守るという名目でハニーを説得し、マネージャー業を手伝う傍ら、ありすの兄について色々調べた。


 他にも図書館、生徒会室にも足を向け、“証拠”を集めた。


 フェンスに背中を預け、胸元に触れる。心にかかった黒い煙は未だに晴れず、狂気はニタニタ笑う悪魔のように、鍵玻璃の体を暴力的な衝動で満たそうとする。


 鍵玻璃は胸元を掻いて意識を逸らした。待ち人はまだ来ない。


 宛てが外れたのかと考えかけたところで、テラスの扉が開かれた。


 硬い足音を立てて、新たな客がやってくる。銀の髪の待ち人が。


「こんな場所に呼び出してふたりっきりだなんて。案外ロマンチストなのですわね」


 憎たらしい台詞を吐くのは、気品あるお嬢様。


 煌めくそのヘアスタイルに、鍵玻璃きはりは同時にふたつの面影を見た。


 ひとつは歌い踊る彩亜あーや、もうひとつはメリー・シャイン。


 肋骨の裏側をヤスリがけされるような感覚がした。硬く腕を組み、トゲトゲしく言い返す。


「告白されるとでも思った? なら悪いわね。私、恋愛には興味ないから」


「それならむしろ有難く思いますわね。わたくしには既に婚約者フィアンセがおりますので。立派な方ですわ、あなたと違ってね」


 そう言って、鍵玻璃きはりの待ち人―――才原さいはら流鯉りゅうりは生徒会役員用のタブレット型D・AR・Tダアトをポケットに収める。


 黄金色の瞳は、周囲の光を跳ね除けるほど爛々とした敵意で満たされていた。


 胸ポケットに差した羽根ペン型のD・AR・Tダアトを取り出し、指の中でくるくる回す。


「あなたと対面してから、どれだけ経ちましたか……。時間を忘れる程度には忙しかったのですけれど、あの時の屈辱と怒りはずっと覚えておりますわ」


「そう。なら、話は早く済みそうね」


 鍵玻璃きはりはスッと目を閉じ、D・AR・Tダアトをつまむ。


 才原さいはら流鯉りゅうり。世界的な企業を牛耳る財閥の令嬢。


 解恵かなえを通じて彼女を呼びつけたのは、他でもない。彼女が、あの死神の情報に通じていると考えたからだ。


 もっとも、彼女とて通過点に過ぎないのだが。


 流鯉はD・AR・Tダアトの回転を止め、その先端を突きつけてくる。


「解恵さんを通じてというのは少々気に食わないところですが、それはこの際構いません。あなたからの果たし状ですもの、受けない道理はありませんわ!」


「それなら良かった。変にごねられるよりはずっとマシだもの」


「ごねませんわよ。ですが、ひとつ聞かせて頂いてもよろしいですか?」


「……どうぞ」


 流鯉りゅうりは緩く腕を組み、こめかみを指で突っつく。


 これ見よがしな挑発のポーズに、鍵玻璃きはりは唇を曲げた。


「わたくしの記憶では、あなたはこう言いましたわね。あなたのなんとかいうカードのことを思い出せば、わたくしの挑戦を受ける、と。それを撤回し、こうして仕掛けて来た理由はなんですの?」


「……複雑な話になるから、要求だけ言わせてもらうわ」


「へえ?」


 金の瞳が好奇心に煌めいた。


 さて、ここが正念場。これを突っぱねられたら、鍵玻璃きはりの王手はかなり遠のく。息を吸って、思い切る。


「あんたと戦ってあげる。私が勝ったら、私をあんたの父親に紹介して」


「は……」


 流鯉りゅうりはカクンと顎を落とした。


 数秒を経て口の端がひくつき、だらんと下がった両手が拳を握る。


 驚きのあまりゾンビのようなポーズを取ったお嬢様は、床を踏みにじるようにして一歩近づいてきた。


「失礼、今なんと? わたくしの聞き間違いかしら。お父様に取り次いでほしいと聞こえたのですけれど?」


「そう言ったのよ」


 冷淡に返すと、唖然としていた流鯉りゅうりの顔がみるみるうちに赤くなった。


 鼻を大きく膨らませて呼吸をし、努めて冷静さを保とうとはしているが―――吐き出す息は、まるで火竜の息吹のようだ。


「……お待ちなさい。わたくしの父がどのような立場か、ご存知で?」


「もちろん。才原さいはら辰薙たつなぎ、ヴェルテックス・インダストリーズCEO」


 ヴェルテックス・インダストリーズ―――現代テクノロジーとエンタメを支配する、世界的な複合企業コングロマリット。エデンズフォーム・ディザスターズの開発と運営を一手に担い、界雷かいづちマテリア総合学院もかの会社が運営している。


 流鯉りゅうりの父は、そんな会社を親子二代で育て上げた男である。


 エデンズはヴェルテックスの主力商品。ならば才原辰薙は、エデンズブリンガーの死神の真相に最も近いはず。協力を仰ぐのに、これ以上の相手はいない。


 それに、会えば話を聞いてくれるという強い根拠が、もうひとつ。


 鍵玻璃の内面など知らない流鯉は、怒りのボルテージを上げて語気を荒らげる。


「わかっているのであれば結構! では、そんな人になんの用がありますの? 市井の方にはおよそ縁のないお方だと思いますけれど!」


「あんたに言う必要はない」


「必要ないって……」


 流鯉りゅうりのこめかみに青筋が浮いた。


「人に要求しておいて、その理由も言わないなんて、そんなことが罷り通るとでも? 零点ですわ、社会常識を学んでから出直しなさい!」


 ―――まあ、そうなるか。


 鍵玻璃きはりは密かに溜息を吐く。


 これですんなり行くとは思っていない。全面的に流鯉りゅうりが正しい。


 では、素直に死神のことを語るか? これまでの調査でわかった情報と一緒に?


 ナンセンス。オカルトと一蹴されておしまいだ。それは五年前の一件で、絶望するほどしっかり学習させられた。


 だから、ここで押すしかない。流鯉を経由し、直接会って話を聞いてもらう。それが、逆立ちしたって会えない相手に会うための、最後の手段と言ってもいい。


 鍵玻璃はD・AR・Tダアトを装着し、内なる狂気に力を求めた。


 痺れるような痛みと、焼け付くような衝動が骨の髄に染み渡る。恐怖を押しのけ、血に飢えさせる諸刃の剣。それを以って、戦いへの恐れを断ち切る。


「言っておくけど、私をやり込めたいなら、これが最初で最後の機会になるわよ。今日を逃せば、あんたは一生、私の下でいることになる。わかったら……戦うかどうか、三十秒で決めなさい」


 それを聞き、流鯉りゅうりは苦り切った顔をする。


 四日前、鍵玻璃きはりに見せつけられた“救世きゅうせい女傑スターメリー・シャイン”。その謎めいたカードのことを、流鯉は手を尽くして調査していた。


 解恵かなえやハニーに近づき、エデンズの公式大会の記録も調べ、思いつく限りのデータベースを漁り尽くした。


 しかし、どこにもメリー・シャインの記録はなかった。


“知ってるでしょ、そのカードのこと。見たことあるはずだけど”


“このカードのこと、思い出せたら戦ってあげる”


 鍵玻璃きはりは確かにそう言った。知ってて当然と思っていながら、絶対に思い出せないと確信しているような口ぶりで。


 厄介払いのための無理難題。それだけではないのはわかった。何か、裏がある。


 ―――しかし今、彼女はその条件を取り下げてまで挑んで来ている。


 ―――そうまでしてお父様に会いたい理由は? 数日で考えを変えたのは何故?


 ―――それに、彼女の目。


 流鯉りゅうりは唸りながらも、鍵玻璃きはりを見据えた。


 銀の瞳には、混沌とした影が渦巻いている。もはや一言では表せない、負の感情の集合体。図書館の時もそうだったが、あの時とはやや異なる。


 なんと言えばいいのか、流鯉にもよくわからない。


 わかるのは、彼女が闘志を燃やしているということだけだ。


 同じ炎が流鯉のうちにも燃えている。鍵玻璃きはりを乗り越え、成長したいという克己心。彼女の無礼を叩き直して、チャンピオンのなんたるかを教えてやりたいという反感をくべた戦闘意欲が。


「いいでしょう。その勝負、お受けしますわ。ただし!」


「……ただし?」


 流鯉りゅうりはツカツカと鍵玻璃きはりに近づき、彼女の首を鷲掴みにする。


 鍵玻璃が息を呑んだのが、手のひらを通じて伝わってきた。相手の目を至近距離から覗き込み、逃がさないようにじっと見つめる。


 気に入らなかった。怠惰で、勝手で、自分の立場に頓着しない。悲劇のヒロインぶったその態度。そのくせ、実力はあるのだから始末に負えない。


 将来、父の跡を継ぐ者として研鑽を重ねて来た流鯉にとって、これほど癇に障る相手はいない。解恵かなえを始め他の生徒が、栄光と零落の間でどれだけ足掻いているかも知らないのだろう。


 ―――どんな理由があるにせよ、力に見合った心がない。それが許せない。


 ―――だから、みっちりと叩き込んで差し上げます。力ある者の振る舞いを。


 ―――切磋琢磨する相手に相応しい人物として、手ずから教育して差し上げます!


 流鯉は大きく目を見開いて、圧倒するように言い放つ。


「わたくしが勝ったら、あなたには我が家に仕えて頂きますわ!」


「仕える……?」


 鍵玻璃きはりはきょとんと問い返し、瞬時に流鯉りゅうりの手首をつかみ返した。万力のように力を込めて、引き剥がそうとする。


 しかし流鯉も譲らない。一歩進んで鍵玻璃の背中をフェンスに押し付け、逃げられないようにする。


 鍵玻璃は両手を使い、相手の腕の骨を折らんばかりに握りしめた。


「く……っ。仕えるって……何。一生あんたの奴隷になれってこと?」


「おや、そういう趣味がおありで? 安心なさい、メイドか秘書か、どちらかの形で働いて頂くだけですわ。わたくしの三歩後ろで補佐をする。よろしくて?」


 ―――なるほど、そう来たか。


 鍵玻璃きはりは少し考え込む。条件を持ち出してくるのは当然読めていたことではあるが、メイドになれというのは予想外だった。


 ―――でも、案外悪くないかも……。


 一分にも満たない黙考の末、鍵玻璃は流鯉の手を放す。


 フェンスに背を押し付けたまま、平気な顔をして頷いた。


「わかった、その条件でいい」


「成立ですわね」


 流鯉りゅうりは片手で対戦申し込みを受諾し、再び背を向ける。


 いくさの間合いが出来上がる。春が徐々に去りはじめ、熱を帯び始める夕焼けが、向かい合うふたりの影を長く伸ばした。


 フェンスの影が、それぞれの横顔に格子模様を刻み込む。


「始めましょう。刮目して御覧なさい。人の前に立つべき者が何を背負うことになるのか。どのように力を得るのか。そしてどのように立ち振る舞うのか!」


 沈みゆく眩い橙色の中、鍵玻璃きはりは無言でマジックアワーに手を突きあげた。


 同時に、流鯉りゅうりD・AR・Tダアトを握り、己に突き刺すようにして胸にあてがう。


 横殴りの風がふたりの間を撫でると同時、決闘の詩が紡がれる。


「民よ、我が旗を仰ぎ見よ! ひるがえるこの紋章こそ、汝が太陽!」


「夢のカタチ、星のカタチ、光のカタチ。一番星はこの手の中に」


 空に瞬いた星が鍵玻璃きはりめがけて墜落し、流鯉りゅうりの足元が激しい地響きと共に砕け始めた。


 隆起し、亀裂の走る床から噴き出す金色の光が流鯉を飲み込んでいく。


 その中にあってなお、穿つように己を見据える視線を受け止め、鍵玻璃は張り詰めた声で宣言した。


「「―――ジェネレーション・マイ・ディザスター!」」


 ゴッ、 と流鯉の足元が下から突き破られて、鍵玻璃に流れ星が命中。


 黄金色の火山噴火じみた光の奔流と、銀の光芒が捩じれて生まれた竜巻が拡大し、ぶつかり合って混ざり合う。


 金の炎と銀の嵐は半球型を作り上げ、その内側にふたりの世界を編み上げた。

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