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第13話 幻界生誕/途絶えた悪夢の続きの顕現

 機械の爆発する音が、鍵玻璃きはりを回想から引っ張り戻した。


 顔を上げると、ポラリスに殴られたノイマンが、煙と炎を上げて墜落する光景が飛び込んでくる。


 地面に激突し、爆散。炎が死神を覆い隠すが、大鎌に浮かんだ15の文字ははっきりと確認できた。ハザードカウンター15。これで死神はレベルアップ可能。ローブの影が、煙の中から進み出てくる。


 冷たい空気が、鍵玻璃の粘膜をヤスリがけした。


 五年前、彩亜あーやが消える直前に、初めて見た夢。それこそが、あの死神に殺される悪夢。やがて日常をも浸し始めた幻覚は、鍵玻璃にしか見えないものだ。


 もしかして、と思ってはいた。別の恐ろしい可能性と拮抗し、否定できずにいた推論が、たった今確信に変わる。彩亜はあの死神に消されたのだと。


 彼女からもらったカードを奪われ、ようやく飲み込むに至って。訪れたのは、流砂に呑まれていくような、底なしの絶望。溺れそうになり、無我夢中で藻掻く感覚。


 彩亜あーやも、こんな気分だったのだろうか。心臓の血が煮えたぎって、逆流するかのような。


 重い腕を持ち上げ、首を引っかく。


 ―――どうして、誰も彩亜あーやさんのことを覚えていないの?


 中学生になった鍵玻璃きはりは、閉め切った部屋の中で考え続けた。


 繰り返し見たMVも、エデンズ公式大会の記録も、正しい災害支援を促す広告も、何もない。誰に聞いても、彼女を知らない。


 彼女の存在全てが、世界から丸ごと削り取られる。鍵玻璃はその異常事態の中で、たったひとり全てを覚えていた。


 ―――なんで私は、ずっと彩亜さんのことを覚えているの?


 名前を言っても伝わらない。誰に何度聞いたって、知らないや初めて聞いたの一点張りが返ってくるだけ。


 世界トップクラスのアイドル、エデンズブリンガー、慈善家としてあらゆる喧伝をされてきて、大勢の注目を集めて来たのに、知らないなんてことはない。


 でもその広告や活動記録は、いくら探しても見つからないのだ。一夜にして何もかも、忽然と消え去った。


 けれど鍵玻璃は、はっきりと記憶している。それはきっと、メリー・シャインをもらったからではないか、と。


 今までずっと消せずに、抱え込んでいた。日々を悪夢に侵蝕されても、捨てれば楽になれるかもと思っても、手放せなかった。


 あの人の暗い表情を、笑顔を、約束を忘れられなくて。自分まで忘れたらと思うと、あの人があまりに不憫に思えて。


 なのに、この死神はメリー・シャインを奪っていった。


「返、して……」


 鍵玻璃の全身から、トゲのような狂気が突き出す。砂地に拳を振り下ろし、金切声を叩きつける。


「返してよ……メリー・シャインを返しなさいよ!」


「奮戦レベル3。レベルアップボーナス獲得」


 死神は砂地を焼く炎を大鎌で掬い上げる。炎は消えてカードに変わり、死神の手札に加わった。


 鍵玻璃きはりは獣のように叫んだ。真っ暗な空に吸い込まれていく咆哮を、彼女自身が聞くことは無い。


 抑えきれなくなった狂気が耳を塞いで、恐怖が視界を塗りつぶしていく。それをどこか他人事のように感じていると、鳩尾にドスッ、と強い衝撃が走った。


「あ゛……っ?」


 鍵玻璃きはりは崩れるように視線を落とす。腹に白黒のトゲが突き刺さり、背中まで貫通していた。


 大きなレギオンのシルエットが3つ、死神の周囲を囲んでいた。そのうち1体がデネブとポラリスを巨大な触手で飲み込み、吸収していく。


 トゲに体を持ち上げられた鍵玻璃は、とっさに抵抗を試みた。しかし、2本目のトゲに額を射抜かれるとともに、体の感覚が狂い始めた。


 全身を大量の虫が這い回るような痛痒感つうようかん。巨大な鳥か、あるいは蟲か。頭に長い口吻を入れられ、かき混ぜられながらついばまれているような、おぞましい感触。


 鍵玻璃は体中を掻き毟り、身悶えしながら悲鳴を上げた。


「嫌ぁぁぁっ! やめて、入ってこないで!」


 すべての細胞が騒然とする。


 体の奥深くまで暴かれ、形の無い何かを吸い上げられていく。


 拷問じみた感覚に泣き叫んでいると、死神の鎌がバチッ、と銀色の火花を散らした。トゲが抜かれ、鍵玻璃きはりを砂地へ放り出す。


 うつ伏せに倒れ込んだ鍵玻璃は、長虫のように砂の上をのたうち回った。


「うあっ、あ、あああっ!」


 変に軽くなった体が、喪失を訴えてくる。狂気を押しのけ、恐怖が沸き立つ。


 全身に残った余韻を削ぎ落そうと体中を引っかく少女を余所に、死神は大鎌の刃を一瞥。


 流水のように多くのデータが流れるそれに、銀の稲妻が微かにちらつく。謎めいた現象が消え去ると、死神は卵に向かって鎌を掲げた。


「ターン終了。“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”のレリックスキル」


 卵の自転がぴたりと止まり、ひび割れる。殻の欠け落ちる音を聞いた鍵玻璃が顔を上げると、隙間から血のような赤黒い色がちらついた。


 それは血を固めたような双眸。何かの目がカッと見開くとともに、ひび割れた隙間から赤黒い瘴気が噴き出した。


 卵が内側から揺さぶられ、奇怪な鳴き声が周囲を震わす。


 鍵玻璃きはりは直感的に、生まれたものがあの少年を喰らったのだと理解する。それが今度は、自分を喰らうために生まれるのだと。


 砂漠の砂が、嵐の海の如く波打ち、飛び跳ね、荒れ狂う。


 瘴気の嵐は鎌の先へ収束すると、左右へ大きく広がった。全身を引き裂くような甲高い雄叫びが放たれた。


 霞み、視野狭窄を起こした鍵玻璃きはりの目には、具体的な姿は見て取れない。死神が呼ぶ怪物の名だけが、辛うじて意識に滑り込んで来た。


「“幻界雛げんかいすうRedレッドXamサム”」


 悪夢の砂漠を、耳障りな咆哮が力強く揺さぶった。


 触手となった瘴気が伸びて、鍵玻璃きはりの首と四肢に絡みつく。


 宙にはりつけにされた鍵玻璃には、もはや何が何だかわからなかった。


 悪夢に目覚めた孤独の夜より、なお深い闇。発狂し、もがき苦しんだ時期に引き戻されてしまったようだ。


 振りほどきたいが、体に力が入らない。それどころか自分がどんどん薄れていくような気がする。狂った夢うつつの中に幻視するのは、あの人の笑顔と約束。


「あーや、さ……ぁ゛……っ!」


 喪失に打ちひしがれる鍵玻璃を、幾本もの瘴気が貫く。


 体に異様な感触が滑り込み、貫かれた場所から肉体が失われていく。


 痛みはない。瘴気が胴体、そして手足から広がり、鍵玻璃きはり蚕食さんしょくする。


 溶けるような、細かく刻まれるような。解体されていく恐怖に、鍵玻璃きはりはたまらず悲鳴を上げた。


「あ、ああああああああああああ―――――――っ!」


 気持ち悪い。意識が体から切り離される感覚の中、他人事めいた感想が浮かぶ。


 やがて、断末魔を放つ唇も、瘴気によって塞がれた。


 歯が、舌が、分解されていく。もう嗚咽も上げられない。


 一歩踏み出した死神は、足元に滑り込んだ瘴気に乗って浮かび上がる。


 大鎌をゆっくり振りかぶって目指す先は、鍵玻璃を包み込んだ瘴気のまゆだ。それを刈り取らんと刃を振るったその瞬間、灰色の刃が真っ白に染め上げられた。


 切っ先が繭に食い込む寸前で止められ、瘴気を追い払っていく。


 死神は両手で鎌の柄をつかみ、振動し始める得物を抑え込もうとした。


 しかし意に反して大鎌はその力と光をどんどん強めていき、周囲を真っ白に染め上げる。その輝きが臨界に達した瞬間、 衝撃が死神と瘴気をまとめて吹き飛ばした。


 繭から解放され、落下しかかる鍵玻璃の体を、誰かが優しく抱きとめる。


 薄目を開けた鍵玻璃は、眩しさに目を閉じてしまう。ほんの微かに見えたのは、銀色の髪だ。


 ―――だ……れ…………?


 弱々しい誰何すいかの言葉は、声にもならずに溶け消える。


 いつの間にか、奇妙な砂漠の風景も消え、夜の街路が戻ってきていた。そこに降り立ったのは、銀の髪をなびかせる少女のようなシルエット。


 背中からアスファルトに叩きつけられた死神の頭上で、収束した赤黒い影が苦痛と屈辱の叫びを上げた。


 輝く少女の影は鍵玻璃を足元に横たえて跳ぶ。


 銀髪の少女は拳を握り、瘴気の触手をパンチやキックで破壊しながら、その胸を流星のように貫いた。


 風穴を開けられ、爆散する影を背に着地。今度は死神へ回し蹴りを繰り出す。


 死神は大鎌を振り回して反撃するも、少女は刃を掻い潜って懐に飛び込んできた。


 光の拳が死神の腹に突き刺さる。空気が震え、ノイズと稲妻が迸る。


 くの字に曲がったローブがノイズに覆われ、大鎌にでたらめな文字が駆け巡る。


 銀髪の少女は死神を何度も何度も殴りつけ、裏拳で背後に吹き飛ばす。


 バウンドする死神の手中で刃が火花を散らし、エラーメッセージを表示。


 空中でなんとか体勢を立て直した死神は、石突を突き立てて勢いを削いだ。


 全身に断続的なノイズを走らせるその姿から、大ダメージを受けたのは明白。


 しかし銀の髪の少女は油断なく拳を構えて死神と対峙した。


 ERROR、ERROR、ERROR。大鎌がアラートを響かせる。


 死神は虚空を裂くと、黒い亀裂の中へと身を躍らせる。


 隙間が閉じて静かになった。逃走を確かめた少女は構えを解いて、鍵玻璃きはりのそばに腰を下ろす。


 鍵玻璃は気を失っていた。乱れた服は反吐へ汚れてひどい有様。呼吸も穏やかとは言えないが、生きている。


 少女の影は肩の緊張を緩めると、手に光の球を作って鍵玻璃の胸に押し入れる。


 すると鍵玻璃は眉をしかめて、苦しそうに首を振った。


「う……っ!」


 弱々しい、本能的な拒絶の反応。しかし光の球は吸い込まれ、鍵玻璃きはりの中に溶け込んだ。


 鍵玻璃が薄く目を開く。光を失った瞳で輝く少女を捉えると、震える手を伸ばそうとする。


 朦朧とした彼女には、何が見えているのかもわからない。


 感じるのは不思議な温もり。そして、小さく揺れる銀の髪。


 懐かしい。ふとそんな言葉が頭に浮かぶ。この暖かさに、覚えがあった。


「あ……や、さん……?」


 枯れた声でそれだけ言うと、今度こそ意識を失った。


 鍵玻璃きはりを優しく地面に置いた少女の影は、光の粒となって散り、ひとつ残らず鍵玻璃のD・AR・Tダアトに吸い込まれていく。


 残されたのは、街頭に照らし出された鍵玻璃のみ。


 それから昏々と眠る彼女が発見されるまで、十五分ほど時間を要した。

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