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第11話 雲散霧消/略奪の揺卵

 始めのうちは、いつも自分の悲鳴で目を覚ましていた。


 隣の部屋で眠る解恵かなえが起きるほどの声量。なのに、自分が叫んでいたと気づくのは、決まって指摘されてから。


 解恵が大慌てでノックしてきて、やっと自覚するのだ。


 妹にあやしてもらい、約束をして、また眠る。


 あの頃は、まだ一夜の悪夢に過ぎなかった死神の夢。しかしある日を境に、それは現実を侵食してきた。


 ふとした時に重なる景色。目に映るすべての人に、あの異様なローブ姿が重なって、やがて誰も直視できなくなってしまった。


 昼と夜は境を失い、悪夢もうつつも混じり合い、自分すらも見失う。


 その果てに、悪夢は実存を主張してきた。幻とは思えないほど、強く。


「はあっ、あ゛……っ」


 鍵玻璃きはりは胃の中にあったものをボタボタと垂らしながら、卵を見上げる。


 全身が石のように固まって、内臓が沸騰しているかのようだ。


 一度心臓が脈打つごとに、脳がはち切れそうになる。頭がマグマのように溶け落ち、ずっと抑えていた何かが顔を出そうとする。


 吐瀉物の酸味、砂やカードが手に触れる感触。激しい苦しみ。実感が、鍵玻璃の自我を磨り潰していく。


「“パーセノジェネシス・パスファインダー”を召喚。レギオンスキル」


 死神は冷徹にプレイを続ける。傍らに出現した蜘蛛型ロボットが腹部を展開し、大鎌の刃に2枚のカードを送り込む。


「自身と同名のカード2枚をデッキに加え、誓願カードを1枚手札に。誓願成就、“輪廻試行索りんねしこうさく”。手札のカードを任意の枚数デッキに戻し、同じ枚数分ドロー」


 獣のように荒い呼吸を繰り返しながら、鍵玻璃きはりは砂地に指を突き刺す。


 肌は冷たい。なのに体の中は燃えるように熱い。涙が止まらない。


 血走り、理性を失いかけた瞳で死神を睨みつける。視界が赤い光で眩んだ。


 巨大な芋虫型のドローンが再び現れ、鍵玻璃を照らし出したのだ。


「“ラベノスワーム・ドローン”のレギオンスキル。そして誓願成就、“計画通りの未来”。相手のデッキの上から3枚のカードをめくり、同名カードが相手の場にある場合、それらを自分のデッキの1番下へ」


 死神は大鎌を2度振るい、斬撃を飛ばす。


 目に見えない巨大な斬撃を喰らったルクバーとカノープスが消滅。彼らの成れの果てである光の粒子が、死神の刃に吸収された。


 奪われていく。かつて、ずっと共に戦っていたカードが次々と。


 あの少年もそうだったのか。あの人もそうだったのか。


 同じように、すべてを奪って消し去ったのか。


 鍵玻璃きはりの視界は真っ赤なままだ。芋虫型ロボットによるものではない。恐怖と一緒に爆発した感情、鍵玻璃が最も恐れるものが、ついに体を奪い取ったのだ。


 即ち、狂気が。


「奪うな……っ、奪うなぁぁぁぁぁぁっ!」


「“星集めの商人・ベーミン”を召喚」


「……!!!」


 相手の場に出る、自分のレギオン。その姿が鍵玻璃きはりを一瞬黙らせる。


 死神の場にたくさんの宝物が詰まった戸棚の幻影が現れ、膨れ上がったバックパックを背負った少女が得意げに胸を張った。


 自分のカードが牙を剥く。


「“星集めの商人・ベーミン”で“クラフトアプレンティス・ポラリス”を攻撃」


 ベーミンは巨大なバックパックを持ち上げ、跳躍する。


 鍵玻璃きはりは獣じみた叫びを上げた。砂地を殴って立ち上がり、カードを手にする。


 閾値に達した恐怖と狂気。身に染みついた経験が反抗を促した。


「があああああっ!」


 鍵玻璃きはりは腕をしならせ、乱暴にカードを放った。


 誓願成就、“なぞり紡ぐ星絵ゾディアック”。星座のマークを浮かべた魔法陣が、光の粒を吹き出してポラリスに力を与える。


 ポラリスにパワー+1000。さらにカードを1枚手札に。


 ベーミンが肩ひもをつかんでリュックを振り回し、力いっぱい投げつけて来た。


「ポラリス―――ッ!」


 光を浴びたポラリスは、ベーミンのバックパックをフルスイングで打ち返す。


 ピッチャー返しに驚愕するベーミンは、彼女の数倍膨らんだバックパックの爆発によって消し飛んだ。


 花火のような色とりどりの閃光が、砂漠を照らす。


 死神は淡々と、次の攻撃を宣言した。


「“ラベノスワーム・ドローン”の攻撃」


「ポラリス、そいつも壊しなさい! 誓願成就、“星超極閃せいちょうきょくせん”!」


 ポラリスのパワー+500、さらに追加で1枚ドロー。


 全身をさらに輝かせたポラリスは、ジグザグに地を蹴って駆け、芋虫型ロボットのビームを回避しながら肉薄していく。


 アッパーカットのような木槌の振り上げが、機械の頭部を打ち砕く。“ラベノスワーム・ドローン”はバチバチと電光を散らし、爆発して消え去った。


 死神:ハザードカウンター7→8


 これで死神の場にいるレギオンは、“パーセノジェネシス・パスファインダー”1体。死神はそれ以上の攻撃をしなかった。


「ターンエンド。“満杯の宝棚”のレリックスキル、誓願カード“あたたかな贈り物”を手札に加える」


 頭を抱えた鍵玻璃きはりは、ふらつきながらうわ言を繰り返す。


 赤く染まった視界に焼き付く炎と、輝くポラリス。反撃の成功が、狂気に溺れかけた理性を僅かに引き上げたのだ。


 思考を蝕む狂気と、体を支配する恐怖の間で板挟みになりながら、顔や喉を激しく引っかく。


「ううっ、ううううう……っ! はあっ、だめ……っ! うぁぁっ!」


 狂った舞いを披露しながら、焼け付く体を抱きしめる。


 意識が過去に戻されかかる。五年前、初めてこの狂気が生まれたあの日。解恵かなえを傷つけたはずの日に。


 その時の記憶が、限界まで飢えた獣のように猛る狂気を傷つけた。


 ―――だから、呑まれたらダメ……!


 きつく瞑った目尻に涙が浮いて、視界を洗う。再び目を開いたとき、滲んだ己の手札が再確認できた。


 手札は6枚。“星に願いを”、“導かれし未来・デネブ”、“憧憬の望遠鏡”、“スカイハイ・タッチ”、“煌めく服飾”。それと、“救世きゅうせい女傑スターメリー・シャイン”。


「メリー……シャイン……」


 鍵玻璃きはりは呟き、宙に浮いたカードを握る。


 空中に固定されたそれは、手のひらに収まるサイズでありながら、倒れそうな鍵玻璃を支えた。


 胸元を握りしめ、ひゅう、ひゅう、と掠れ切った呼吸を落ち着かせる。


 恐怖と狂気が、心にかかる闇の中へと後退していく。決して消えたわけではない。すぐそこで、隙あらば鍵玻璃を乗っ取ろうと企んでいる。


 だが、のたうち回るほどの苦痛は、水際でなんとか抑え込む。


 死神、卵、エデンズ。そして先の反撃が、諦観を振り払う。


 戦える。倒せる相手だ。死神を倒せるのだ。それに、メリー・シャインもついている。


「大、丈夫……。私は狂ってない……おかしくなんかない!」


 側頭部を叩き、死神を見据えた。怯懦が忍び足で近寄ってくるのを、全力で首を振って振り払う。


 空中分解寸前の理性と、空虚な腹から込み上げる熱を頼りに、カードを放った。


「“導かれし未来・デネブ”を召喚! レリック、“憧憬の望遠鏡”!」


 鍵玻璃きはりの傍に、簡素な衣服を纏った少女が姿を現す。


 望遠鏡の幻影が揺らめき、隠れる。


 手札を減らし、次のドローの布石を打つ。鍵玻璃は裏返りそうな声で攻撃を宣言した。


「デネブ! “パーセノジェネシス・パスファインダー”を攻撃!」


 黄金剣を携えた少女が、蜘蛛型ロボットに切りかかる。


 カタツムリのように飛び出す八つの機械眼球を薙ぎ払い、前足を切り落としてから、無防備となった頭部に切っ先を突き立てる。


 傷口からシャワーのように火花を吹き出した“パーセノジェネシス・パスファインダー”は、やがて青色の炎を放って爆散した。


「ポラリス、ダイレクトアタック!」


 木槌を両手で握った少女が大ジャンプ。


 回転しながら繰り出された殴打を、死神は掲げた鎌の柄で受け止める。


 ガァァァン、と地を揺るがすような衝撃と金属音が、砂漠の中で乱反射する。


 死神はポラリスを鎌の一振りで追い払ったが、その刃には不気味な数字が浮かび上がっては消えた。


 死神:ハザードカウンター8→14


 奮戦レベル2のラインを超えて、ギリギリ3の手前で留まる。


 鍵玻璃きはりは攻撃を終えて息を切らした。


 ご馳走を見つけた獣の群れのように、攻勢に乗った狂気が騒ぐ。血に飢えた衝動がエスカレートするより早く、手札のメリー・シャインに縋りつき、額を押し当てて深呼吸。


 首から胸元へ爪を引き下ろし、脳を食い千切られるような痛みを必死で堪えながら、なんとか終了を宣言した。


「ターン、エンド……!」


「この瞬間、“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”のレリックスキルが発動する」


「!」


 鍵玻璃きはりが顔を上げると同時に、その頬を砂が引っかいた。


 奇妙な砂が巻き上げられて、卵を中心に大きく渦巻き模様を描く。


 ゆっくり、ゆっくりと回転しながら、強烈な引力を発する卵。砂で銀河を形成するが如き、壮大ながらもどこか寒々しい風景。


 その下で、死神は鍵玻璃の手札を指差した。


「相手のデッキの上から1枚、相手の手札からランダムに1枚、このカードに融合させる」


「融、合……? 私の、手札から? ……!」


 初めて聞く能力のことを考えるよりも早く、手札が抜かれた。


 D・AR・Tダアトから―――デッキから奪われたカードと併せて2枚、自転する卵の殻にトプンとと溶け込む。


 すると卵は回転を止め、不気味に脈打ちながら紋様を激しく動かし始めた。


 鍵玻璃は肺が膨張するのを感じ取った。


 狂気と恐怖を抑え込むのに気を取られ、すっかり頭から抜けていたこと。


 死神は、こちらのカードを奪い取る。


 一度は身を引いていた恐怖が、抑え込まれた反動とばかりに押し寄せてくる。


 手の中にある、シルバーホワイトの髪を輝かせた、煌びやかなアイドルのイラスト。ある意味狂気の根源にして、壊れそうな鍵玻璃の支えとなってきたもの。それが今、失われる瀬戸際にある。


「嫌……」


 か細く拒絶を示した鍵玻璃きはりは、メリー・シャインに胸を押し当て、死神を睨む。危機を感じて威嚇する、子犬のように。


 死神は大鎌を掲げ、レベルアップを宣言した。


「奮戦レベル2、レベルアップボーナス獲得」


 手札を7枚に増やした死神は大鎌で目の前の空間を引き裂いた。黒い裂け目が押し開かれて現れたのは、奇怪な形の鳥型ドローン。


「“メモリーイーター・ノイマン”を召喚。レギオンスキル発動」


「ノイ……マン……」


 鍵玻璃きはりはひゅっ、と息を吸い込んだ。


 フードの闇から放たれる視線が、鍵玻璃の心臓を鷲掴みにする。


 “メモリーイーター・ノイマン”。それは相手の手札を奪う者。


 最悪の予感が、鍵玻璃のみぞおちに突き刺さった。


 一層強くメリー・シャインを抱きしめながら、鍵玻璃は喚いた。


「まさか……やめて、嫌っ! らないで!」 


「相手の手札をランダムに1枚選び、自分のデッキの1番下に置く」


「や……ッ!」


 鍵玻璃きはりの制止をかき消すように、ノイマンは暴力的な吸引を開始した。


 大きく渦を巻く風が、鍵玻璃を捉える。


 手札は4枚。確率は4分の1。鍵玻璃は口から心臓を吐き出すような想いをしながら、メリー・シャインを強く抱く。


 ―――嫌、嫌、嫌っ! 失いたくない……!


 ―――これがなくなったら、私……っ!


 他のカードなら、いくら差し出しても良い。だが、メリー・シャインだけは。


 しかし悪夢は非情であった。


「あ……っ」


 両手の中から、硬い感触が消え失せる。


 “救世きゅうせい女傑スターメリー・シャイン”は、鍵玻璃きはりの手札をすり抜けて急速に離れ始めた。


 急いで手を伸ばし、つかもうとするが、指は虚しく透過する。


 見開いた目から涙をこぼす鍵玻璃の前で、ノイマンは奪ったカードを見通せぬ暗闇の中へと取り込んでいった。


 たった1枚。この世にたった1枚だけ、心を繋ぎ止めていたもの。エデンズから離れた後も捨てるに捨てられなかったカードが、奪い取られた。


 ―――あの人から、もらったカードが。私には、あれしかないのに……。


 心が砂の城のように形を失う。


 白砂が、呆然とへたり込む鍵玻璃の膝を咥えた。


「あ……ぁ……。あ、あ、あぁぁぁ……っ」


 頭の中で現在と過去が渦を巻いて絡み合う。


 胸の奥が騒ぎ始める。恐怖に狭窄していく視界に、血の色が滲み始めた。


 鍵玻璃きはりは頬に両手を触れる。指の隙間から怯懦に震える瞳を晒しながら、記憶を手繰る。ほどけていかないようにと、ひたすらかき集める。


 ずっと心を奪われ続けた、星のようにまたたく記憶を。


 メリー・シャインを渡してくれた、憧れの人との思い出を。

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