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第10話 感情背反/夜に紛れた簒奪者

 自分の声が聞こえない。


 足は重く、体は鈍く、すべての音はくぐもっていて、視界がぼやける。まるで深海を走っているような気分だった。頭から、意識がボロボロと欠け落ちていく。


 もはや何も考えられない。走ることさえ自分の意思によるものではなかった。


 絹を裂くような悲鳴を上げて逃げていく鍵玻璃きはりを、死神は追いかけたりしない。


 ただ頭上で鎌を回転させて、石突を足元に突き刺すのみだ。


「アカシアの墓、そら審眼しんがん。汝を喰らうは叡智のひつぎ


 腹を圧し潰すような異音と共に、鎌の根本からノイズの波紋が広がった。


 アスファルトが波打って、波紋が鍵玻璃きはりを追い越していく。正気を失いかけていた鍵玻璃に、見えない壁が気付けを行った。


「うあっ!? あ……!?」


 衝撃が、狂気に押し流されかけた意識を引っ張り戻す。


 目を白黒させた鍵玻璃は、数秒ポカンとしてから、目の前に両手を打ち付けた。


 返って来たのは妙な感触。硬い壁をゲル状の何かで覆ったような。拳で叩くが、鈍い音が鳴るばかり。


 つい今しがた通って来た夜道が、何かで塞がれている。


 非現実的な現象を見て、鍵玻璃はふらふらと後ずさった。


「壁っ!? なんで……どうして!? 何が……!」


「―――ジェネレーション・マイ・ディザスター」


 混乱する鍵玻璃きはりの背後で、性別も分からぬ声がした。


 振り向くと、死神は変わらずそこに佇み、大鎌を掲げている。


 灰色の刃に無数の文字列が流れ、輝く。同時に、鍵玻璃のD・AR・Tダアトから通知音がした。


 互いの前に5枚のカードが現れる。


 すべて、鍵玻璃のデッキに入っているカードたち。対戦が始まったのだ。


「なんっ、で……っ」


 鍵玻璃きはりは首を振りながら、ノイズの壁に背中をつけた。


 得体の知れないものに対する恐怖が、心臓をきつく締め上げる。汗が止まらない。頭が茹だって、どうにかなってしまいそうだ。


 死神はフィギュアのように佇んでいる。線虫の群れのように絡み合い、蠢く白黒の紋様が、ローブと両腕を覆っていた。


 ―――どういうこと?


 顎の先から汗が滴る。何が起こっているのか理解できない。


 死神が自分を狩る光景は、これまで幾度となく目にしてきたが、いずれの場合も鎌で鍵玻璃を殺そうとしていた。エデンズでの対戦を仕掛けてきたのは初めてだ。


 なんで、どうして。身の無い疑問が頭の中を駆け巡る。が、思考が先に進まない。


 徐々に喘鳴が早くなる。ごおおおお、と激しい血流の音が脳を満たして、視界がかき混ぜられた絵具のように歪み始めた。


 目蓋が重い。にもかかわらず、まばたきできない。


 苦しい。頬を掻き毟った手が喉を押さえる。目の前が灰色になり、大きく揺らいだところで、カーン、という金属音が鳴り響いた。


 竦んだ鍵玻璃の耳に、ノイズ塗れの声が届く。


「あなたの先攻」


 その言葉を理解するのに、時間がかかった。


 配られた手札、真横に出現するハザードカウンター。それらがエデンズのことを思い出させる。


 溺れる者が藁をもつかむようにして、鍵玻璃きはりは馴染んだプロセスに従った。


「わ、私の……ターン」


 腕が勝手に動いてカードを次々に放る。


 場に現れる2体のレギオン。スキルで呼び出された巨大な棚と、手札に加わる誓願カード。見慣れたそれらも上手く認識できない。


 恐怖と経験が結びつき、とっさの闘争反応としてエデンズを選んだだけだ。


 肩を抱き、膝を震わせる鍵玻璃きはりの脳が、現実逃避気味に戦略を考え始める。


 ターンが死神の手に渡る。


「ドロー。“メモリーイーター・ノイマン”、“ラベノスワーム・ドローン”を召喚」


 死神の両隣に黒い穴が開き、奇形の鳥型ドローンと巨大な芋虫型のロボットが這い出した。


 白と黒の奇妙な紋様を刻んだ無機質な外観。絶えず流動するモノトーンは、生理的な嫌悪感を呼び起こす。


 鍵玻璃きはりは敵の盤面から目を逸らす。頭がエデンズという逃げ道を得て、再起動した。


 こちらの場には“星集めの商人・ベーミン”、“幼天狼ようてんろうアカマル”がいる。手札には迎撃に使える誓願カードも。


 すると死神は大鎌の先で鍵玻璃の手札を指し示す。


「ノイマンのレギオンスキル。相手の手札を1枚、自分のデッキの1番下に置く」


「え……?」


 死神の言葉を理解できずに聞き返したその瞬間、奇形の鳥型ドローンが駆動音を発し始めた。


 大きな円筒形の頭部が、飛行機に空いた風穴の如き強い力で鍵玻璃きはりの手札を吸い込もうとする。


 鍵玻璃は強烈な風に引っ張られないよう足を踏ん張る。その手札の列から、“あたたかな贈り物”が外れてノイマンの口の中に消え去った。


 次に、死神が生気を感じさせない動きで芋虫型のロボットを指す。


「“ラベノスワーム・ドローン”のレギオンスキル。相手のデッキの上から3枚を確認し、1枚を自分のデッキの1番下に」


 機械芋虫の頭部が三方向に開かれた。その中央に露出した無機質な眼球から赤い光で鍵玻璃きはりを照らす。


 D・AR・Tダアトが輝き、頭上にカードのヴィジョンを3枚投映。そのうち1枚が、虫食い状に穴を広げられて消え去った。


 ―――私の、カードを……!


 鍵玻璃きはりは奥歯を噛み締め、両手で二の腕を擦った。


 相手の手札とデッキを奪う戦術。それを認識すると同時に、脳裏にとある映像が流れ出す。


 1枚1枚自分のカードが消えていくたび、自分の体が欠けていく。最後に失われるのは“救世きゅうせい女傑スターメリー・シャイン”。それが無くなり、鍵玻璃は闇に溶け消える。


 恐ろしいイメージに首を振る鍵玻璃を指差し、死神は己の配下に指示を下した。


「攻撃」


 怪鳥と巨大芋虫が、その口吻を動かし始めた。


 強烈なバキュームが小柄な狼を無理矢理吸い寄せ、ワームの放つ赤い光線がバックパックを背負った少女を粒子に分解・吸収。それぞれの方法で捕食した。


「ベーミン、アカマル……!」


 鍵玻璃きはりの隣に現れたドット絵のドクロが、ハザードカウンターの増加を告げる。


 派手さもない。ただ淡々と獲物を喰らうような仕草。それによって募っていく崩壊の危機。背中をおびただしい冷や汗が濡らす。


「誓願成就、“メモリアル・ギャザー”。このターン破壊されたレギオンと同名のレギオンカード1枚を自分のデッキの1番下に加える。ターンエンド」


 鍵玻璃きはりは汗をぬぐうのも忘れ、相手の真意を読み解こうと凝視した。


 ―――何を……考えてるの? 私のカードを奪ってどうするつもり?


 足元が沼になり、突き出してきた手に足をつかまれる。


 錯覚だ。そう気づいたのは、短く悲鳴を上げてその場から飛びのいてから。


 恐怖と危機感のあまり、全身の細胞が叫んでいるような感覚に陥った。


 ―――だめだ、集中しないと! 集中……しないと……!


 血走り、濁った瞳でカードをドロー。追い立てられるように組んだ手順に従う。


「私のターン……レリック、“祈り抱く大樹”を配置しスキル発動! 手札の誓願カード3枚を捨て、同じ枚数カードを引く!」


 新たに加わったカードを、性急とも思える速度で即座に並べる。


 “マイニングドリーマー・ルクバー”、“ベビーゲイザー・カノープス”、“クラフトアプレンティス・ポラリス”。


 3体の能力で、さらにカードが増えていく。


 戦略は早期決着、ただひとつ。


 鼓膜に焼き付いた少年の断末魔と、胸の悪くなる音が絡みついてくる。アレの正体はわからない。だが、敗者の末路であると直感が囁いていた。


 あの少年は、もういない。この世界から、最初からいないことにされてしまった。鍵玻璃きはりが憧れたあの人と、同じように。


 そして次は、鍵玻璃の番だ。


 ―――嫌だ!


「誓願成就、“煌めく服飾”、“星屑の発掘”! カノープスにパワーを合計+1500! さらに奮戦レベル2以上のレギオンを手札に加える!」


 “ベビーゲイザー・カノープス”:パワー500→2000


 グワアアア、と子竜が可愛らしくも猛々しい雄叫びを上げる。


 自分の代わりに戦おうとする小さな背中が、少しだけ心を落ち着けてくれた。


 だが、手札に呼びこまれたカードがそれを打ち砕く。


 “救世きゅうせい女傑スターメリー・シャイン”。奮戦レベル3。


 毛穴が玉の汗を絞り出すのが、はっきりと感じられた。頭がくらくらして、気を失いそうになる。


 どうして、よりにもよってこのタイミングで。胃が沸騰する。吐瀉物が込み上げてくる。鍵玻璃は苦しみを飲み下し、どもりながら命令をした。


「かっ、カノープスで、“ラベノスワーム・ドローン”を攻撃!」


 子竜が銀河色の光を顎に溜め、勢いよく吐き出した。


 夜を切り裂くビームが、芋虫型機械をめがける。命中する寸前、黒い霧が湧きだし芋虫を覆い隠す。


「誓願成就、“集積機還しゅうせききかん”。“ラベノスワーム・ドローン”をデッキに戻し、さらに同名カード2枚をデッキの1番下に加える」


 死神が宣言する横で、カノープスの攻撃が黒い霧を貫いた。


 しかし、そこに敵の気配は既にない。カノープスは憤慨したように鼻を鳴らした。この場合、攻撃をやり直せる。


「だったら……ノイマンを攻撃!」


 再度放たれた光線が、奇怪な鳥型ロボットに直撃して爆散せしめる。


 爆風にローブをはためかせる死神へ、鼻先がツルハシになったバクが肉薄した。


「ルクバーでダイレクトアタック!」


 振り下ろされたバクのツルハシが死神の肩口に突き刺さった。


 死神:ハザードカウンター0→6


 衝撃が放射状に拡散するが、死神は微動だにしない。


 ルクバーが鍵玻璃きはりの下へ戻るとともに、布の揺らぎが停止する。ダメージを受けた様子も、動じた様子も全くない。


 鍵玻璃はネクタイを緩めて第一ボタンを外すと、鎖骨のあたりを引っかいた。


「ターン、エンド……」


「この瞬間、誓願成就。“確固たる未来視”。自身のデッキの上からカードを5枚めくり、好きな順番でデッキの一番上か下に戻す。これらはデッキの一番上へ」


 鍵玻璃きはりは深く息を吸って体をなだめ、痛む頭で死神を注視する。


 緊張の中、ターンが死神の方へ切り替わった。


「ドロー」


 鍵玻璃きはりは思わず身構えた。


 死神は、何を引くのか理解した上でドローしている。


 キープを選んだ5枚のカードは、すべて奴が欲しいとなっているはず。


 それは切り札か、攻めの起点になるものか。はたまた防御のための1枚か。


 死神を中心に、冷たい風が渦を巻く。鍵玻璃は冷気に足首を撫でられ、覚束ない足取りで後退するが、背中が謎の壁にぶつかった。退路は断たれ、逃げられない。


 勝つしかない。戦って、勝つ。胸の奥がざわついて、心の闇に潜んだ獣が唸りを上げる。冷水に叩き落とされたような寒さを感じ、鍵玻璃はギクリと胸を封じる。


 獣の如き感情が、胸の裏側を狂おしく掻き毟った。


 ―――だめ、やめて! 出てこないで、お願い……!


 制御を離れ、体を乗っ取ろうとする自分の心との格闘。開いた胸元を引っかき、なんとか抑え込もうとする。


 積み重なっていく、対象の違う恐怖。ゴリゴリと削られていく理性。死神は感情の激流にもだえ苦しむ鍵玻璃へさらに追い打ちをかけた。


「レリック配置」


 宣言とともに、カードが宙に放られた。


 死神の投げたカードは、対戦フィールドの外から闇色の風をかき集め、黒い球体となって膨張し始める。


 鍵玻璃きはりは強風に引き寄せられそうになりながらも、腕の隙間から様子を見る。急速に育ち、微妙に変形していく黒い塊。


 それが完成した瞬間、心臓が痛いほど強く脈打ち、鍵玻璃を打ちのめした。


「……っ!?」


 鍵玻璃きはりは思わず息を呑む。


 ふたりを閉じ込めるドームの内部、その壁面や足元から色が剥がされ、奇妙な砂の地面が露わになった。


 立方体の砂で覆われた砂漠。ドームの内側は墨汁で塗りつぶしたような黒。


 この光景を知っている。文字通り、嫌と言うほど見せつけられてきた。


「ぁ……っ」


 か細く震える声が口から漏れた。


 内臓が狂ったように蠕動ぜんどうし、立っていられない。


 無様に這いつくばって、嘔吐した。とっさに口をふさいだ手を跳ね除ける勢いで吐瀉物が噴き出し、砂地を穢す。


「う゛……っ、あ゛あ゛っ!」


 窒息しそうになりながら、胃の中身を吐き散らかす鍵玻璃きはりの前で、死神の球体は、真円から逆涙滴状……否、卵の形へ変化する。


 白地に黒い紋様が不気味に蠢く、モノクロームの巨大な卵に。


 ぼたぼたと口から胃液を唾液を溢れさせながら顔を上げた鍵玻璃の喉が、奇妙な笛のような音を出す。


 握りしめた砂は立方体。果ての見えない闇の砂漠に、自分と死神だけがいる。それを見下ろす、巨大な卵。


 何年も見せつけられた殺風景。幻覚だと思い込もうとし、振り払ってなお付きまとう悪夢の光景が、目の前に広がっていた。


 現実だ。


 今度こそ、幻じゃない。


 いつもと異なるシチュエーション。何より、エデンズを通して戦っているという実感が、拷問のように現実感をねじ込んで来た。


「あ、あ……ああああああああああっ!」


 恐怖のあまり叫び出す。


 視界が撹拌されていき、砂地にある人物の姿を描いた。


 星明かりそのもののような、神秘的な銀の髪。澄み渡った青空の如き大きな瞳。


 青と白を基調とした、純真無垢なアイドル衣装を着て踊る少女の姿を。


 それは、鍵玻璃の憧れの人。


 トップアイドル、最強のエデンズブリンガー。


 ある日を境にすべてを消され、誰の記憶にも残らなくなったあの人。


 鍵玻璃の求めた理想エデンのカタチ。死神に、奪い去られていったもの。


 死神は吐瀉物をまき散らし、体中を掻き毟って泣き叫ぶ鍵玻璃を冷たく見つめる。


 少し暗い空色の、ざらついた瞳で少女を見つめた死神は、場に呼び出したカードの名を冷たく告げた。


「“幻界げんかい揺卵ようらんXEGGゼッグHVNヘヴン”」

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