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第8話 虚実煩懊/剥がれず、縛られ

 翌日、昼食時の友人の輪に、解恵かなえは遅れて腰を下ろした。


「ごめん、お待たせ!」


「おそーい! みんなそろそろ食べ終わるよ!」


「ごめんごめん、先生の話が長引いちゃって」


 友人のひとりに謝りながら、解恵かなえは弁当箱を広げた。


 ルームメイトの先輩が作ってくれたものだ。彩り豊かでとても美味しい。


 急いでおかずを頬張る解恵に、ハニーが問う。


「で、なんで呼び出されてたのさ? やっぱきはりんのこと?」


 解恵かなえは眉根を寄せ、頬を膨らませつつ頷いた。


 実は、鍵玻璃きはりに対して学校側が色々と手を打ってくれている。


 寮長や教師、カウンセラー。様々な人がアプローチをかけてきた。が、結果はどれもなしのつぶてで、今日に至っては寮にすらいなかったという。


 放置すれば学校どころか、今後の人生に差し障るかもしれないから、どうにか彼女と話がしたい。そう言ってくる教師に対して、解恵かなえは何も言えなかった。


 できるなら、とっくに自分がやっている。


 解恵は詰め込んだおかずと一緒に不満を飲み込み、話題を変えた。


「ねえ、ハニー。お嬢様は来てないの?」


「りゅーりんのこと? そういえば、来てないねー」


 ちょっと首を伸ばして教室を見回すハニー。彼女の口から飛び出した仇名に、同席していた別の友人が何とも言えない顔をした。


「りゅ、りゅーりん……」


「誰のことかはわかるけどさ……」


「? 可愛いじゃん、りゅーりん。だめ?」


 解恵かなえは顎を動かしながら、つられて視線をぐるりと回す。


 階段状の大講堂には、他の生徒たちが点々と座って、解恵たちと同じようにランチタイムを楽しんでいる。


 その独特の校風ゆえに、中等部の後輩や大学部の先輩も混じっていた。


 解恵はジュースで口の中を洗い流して首を傾げる。


「忙しいのかなぁ……」


「多分ね~。生徒会に入ったって言ってたし」


 ハニーと一緒に、新たな友人のひとりを思い浮かべる。


 気品のある銀髪と、硬い意思を秘めた金の瞳が印象的な同級生。


 フィクションでしか聞かないようなお嬢様口調は、なかなかにインパクトがあった。しかし彼女自身は気さくで、いい人だ。聞けば、姉に次ぐ優等生なんだとか。


 ここしばらく、毎日のようにランチをともにしていた彼女の姿はどこにもない。


 ハニーは首につけたハチの巣型のD・AR・Tダアトを弾き、カレンダーを呼び出した。


「今週末は新入生歓迎会もあるし、その準備に追われてるのかも。生徒会主催って言ってたし、入学早々大変だよね~」


「んー……」


 解恵かなえの箸が弁当箱の底を突く。


 新入生歓迎会。先輩後輩との交流を目的とした立食パーティー。様々な企画がプログラムされていて、部活のデモやエデンズの大会も企画されているらしい。


 寮生なら、決して無視はできないはずだ。その喧噪は、きっと姉の耳にも届く。つられて顔を出してくれればと思っているが……脳裏に、今朝のことが蘇る。


 姉を引っ張り出そうと部屋に行ったら、彼女はもういなかった。ありすとハニーが言うには、先に登校したらしい。


 それが嘘だと、解恵もハニーもすぐに気づいた。


 机に空っぽの弁当箱を叩きつけると、ハニーは頬杖を突きアンニュイな溜め息を吐いていた。


「きはりん、どこ行っちゃったんだろ。大丈夫かなあ……」


 ―――大丈夫なわけない。お薬だって飲まないで。


 解恵かなえは心の中で返事をしながら、メッセージアプリを開いた。


 未読スルーのメッセージと不在着信の山に、新たな一文を投下する。


 恐らく、返信はされないだろう。それでも送らずにはいられなかった。


⁂   ⁂   ⁂


“ミーティアライダー・デネボラ”

レギオン:奮戦レベル1

パワー:1000

レギオンスキル:『このレギオンのパワーが+された時』“流星並走”1枚を手札に加える。


 星に乗って、ソラの海を駆け巡る。その一夜の夢は、何より素晴らしいものだ。


“流星並走”

誓願:奮戦レベル1

誓願成就:『いつでも』自分のレギオン1体を選び、パワーを+500する(永続)。その後、“ミーティアライダー・デネボラ”1体を場に出す。


 流星レースは終わらない。夜の数だけ開かれる。


⁂   ⁂   ⁂


 数時間後、界雷かいづちマテリア総合学院、大図書館。


 鍵玻璃きはりがコーヒーを啜っていると、額のD・AR・Tダアトが通知を鳴らした。


 大方、解恵かなえからだろう。気付かないふりをして、備え付けのコーヒーサーバーへ。ブラックコーヒーを無理して呷り、顔を歪めながら席へと戻る。


 正直、外出なんてしたくはない。けれど寮にもいられない。


 寮長、教師、カウンセラー、ルームメイト、そして妹。過干渉に耐え兼ねて、気付けば寮を飛び出していた。


 放っておいて欲しい。誰にも近づかれたくはない。なのに誰も、鍵玻璃を独りにしようとしない。それがひどい苦痛をもたらしてくるのだ。


「つ……っ」


 ズキッ、と頭が痛んで思わず首を振った。


 こめかみの血管や、首の筋肉が張り詰める。壊れかけのロボットみたいなぎこちない動きで椅子に腰かけ、ひどく苦いコーヒーを一気に飲み干す。


 置いたカップの隣には、とある雑誌が開かれていた。


 “怪奇! エデンズブリンガーを狩る死神!”


 そんなうすら寒い大見出し、大げさすぎる表紙に彩られたゴシップ雑誌だ。


 内容も相応にチープなもので、夜中にエデンズを起動したら死神との対戦が始まるだとか、負けたら魂を持っていかれるだとか、ありきたりな怪談話が載っている。


 対処法も、対死神用のカードを創ればいいなど、いい加減なもの。


 鍵玻璃はペラペラとページをめくるが、気付けば同じ場所に戻ってきている。


 そんな自分に、自嘲気味の笑みがこぼれた。


「……ふっ」


 本なら他にいくらでもある。こんなカビの生えたマイナー雑誌なんかよりもいいものが。それでも書架を彷徨い、これを拾った理由といえば……この雑誌を最後に、心が折れてしまったからか。


 鍵玻璃きはりは雑誌を脇によけると、額のD・AR・Tダアトを目元に下ろし、メッセージ通知を薙ぎ払う。


 現れた時計を見れば、図書館に来てから早九時間も経過していた。


 今頃、解恵かなえ羽新羅はにらは部活だろう。ありすは運動部のマネージャーをしていて、夜遅くまで戻ってこない。寮はもぬけの殻なはず。


 帰るにはいいタイミングと言えなくもない。が、ルームメイトの帰宅した後が問題となる。まず間違いなく絡まれるだろう。人の気も知らないで。


「はあ……」


 生ぬるく、苦り切った吐息を吐き出す。


 エデンズブリンガーの死神。それが笑い話で済むのであれば、どんなに良いか。


 手袋を嵌めた手でページを撫でる。指が強張り、そのまま握りつぶしてしまいそうになったところで、どこかから伸びて来た別の手が雑誌を奪い去った。


「!?」


 驚いて顔を上げると、すぐ真後ろに銀髪の少女が佇んでいた。


 内側にカールしたミディアムヘアが、強烈な既視感で鍵玻璃きはりの頭を殴りつけてくる。


 ドキリと心臓が跳ねる。思わず上がりそうになった声を喉に引っ込めさせたのは、冷たい刃を思わせる金の瞳だ。


 ―――違う、あの人じゃない。


 鍵玻璃はこくんと喉を鳴らして、雑誌を奪った少女をじっくりと観察する。


 私服登校可の界雷かいづちにあって、かっちりと着込んだ制服。袖口から覗くのは小ぶりな黒金の腕時計。端々から漂う厳格な雰囲気に、アイドルらしさはない。


 ふと、雑誌から顔を上げた少女と目が合う。


 鋭い眼差しの奥には、失望と敵意が滲んでいるように思えた。


「授業をサボって、こんなものを読んでいらっしゃるなんて。これがそんなに面白いのですか、肌理咲きめざき鍵玻璃きはりさん?」


 いきなり皮肉が飛んできて、確信が強まった。


 彼女は絶対に、あの人ではない。


 完全に冷めた心境を抱え、鍵玻璃きはりは重い腰を持ち上げる。


 無言で立ち去ろうとしたが、腕をつかまれ引き留められた。


「ちょっ、お待ちなさい! なんの反応も無しですか!?」


「っ、触るな!」


 二の腕に走った痛みを振り払う。


 ただならぬ剣に、他の利用者たちの視線が集まる。


 入学式に続いて、不本意な注目を集める形。鍵玻璃きはりは周囲を目で牽制し、つかまれた箇所に手を触れる。


「急に……誰よ、あんた。私になんの用……?」


 銀髪の少女はそれ聞き、不愉快そうに鼻を鳴らした。


 彼女とは間違いなく初対面。だというのにこのトゲトゲしさだ。


 胃の中でコーヒーが沸騰するような感覚に襲われていると、少女は腕を組んで名乗りを上げた。


「申し遅れましたわね。才原財閥が後継者、才原さいはら流鯉りゅうりと申します。あなたに代わって、新入生を務めて差し上げました。ええ、あなたの代わりに」


 鍵玻璃きはりは微かな驚きとともに流鯉と名乗った少女を見つめる。


 才原財閥。エデンズブリンガーにとっては馴染みのある名だ。鍵玻璃にとっては、さらに因縁がある……あくまでも、一方的なものに過ぎないが。


 こちらの反応をどう受け取ったか、流鯉はますます不機嫌になる。


「聞き覚えはありませんか、そうですか。あなたはわたくしが壇上に上がった時、解恵かなえさんによりかかって眠っておられましたものね! 式をそっちのけにするほど良い夢が見られたとお見受けしますわ」


 ―――良い夢?


 その言葉を聞き、鍵玻璃きはりの心臓の裏側で、何かがゾワゾワとうごめいた。


 闇の中から不明瞭な囁き声が聞こえてくるような。


 興味か、嫌悪か、それ以外の感情か。足が急にむず痒くなる。じっとしているのが辛くて、いきなり走り出してしまいそうだ。


 落ち着かない気分をポーカーフェイスで押し殺しつつ、鍵玻璃は尋ねる。


「……そのご令嬢が、何の用?」


「ご安心を。そうお時間は取らせませんわ」


 バチッ、とふたりの間で見えない火花が飛び散った。


 その音が聞こえたかのように、他の利用者が肩を震わせる。


 流鯉りゅうりは呼吸を整え、その表情を切り替えた。


 高飛車なお嬢様の顔から、戦う者の……エデンズブリンガーの顔に。


肌理咲きめざき鍵玻璃きはり。わたくしと勝負なさい。学年トップの座を賭けて!」


「嫌」


「……えっ」


 速攻で拒否され、流鯉りゅうりはポカンとした顔で固まる。


 隙を突いた鍵玻璃きはりは流鯉の隣をすり抜け、その場を立ち去ろうとするが、すれ違いざまにまた手首をつかまれた。


 今度はいくら力を込めても振り払えない。白魚のような指が鍵玻璃の肉に食らいつき、万力のように締め上げてくる。


 顔を歪めて見返れば、逃がす気はないと雄弁に語る金の眼差し。


 驚きを不信感で塗りつぶした流鯉は、至近距離で問うてくる。


「待ちなさい。何故、戦わないのです?」


「放して……!」


「あの時、解恵かなえさんに惨敗したことを気に病んでおられるのですか? また衆目の前で負け恥を晒すのが恐ろしいとでも?」


 なんとか逃げようと抵抗する鍵玻璃きはりに、流鯉りゅうりの顔が近づいてくる。


 金の瞳を睨みつけ、鍵玻璃は捕らわれた手で拳を握った。


「あんたには……関係ないっ!」


 流鯉りゅうりの胸を突き飛ばし、彼女の手を振り払う。


 即座に背を向け走り出したが、流鯉もしつこく追いかけて来た。


 出口付近で彼女は鍵玻璃きはりの肩をつかんで自分の方を向かせ、図書館であることも忘れて叫んだ。


「お待ちなさい! このまま敗北に甘んじる気ですか!? 挑発され、嘲られても戦わないなど……プライドというものをお持ちでなくて!?」


「うるさい、うるさい……!」


 鍵玻璃きはりは胸に秘めたざわめきが、大きくなっていくのを感じた。


 頭を抱える。耳鳴りがして、周囲の景色が激しく歪む。壁が裂け、天井が消え、悪夢の砂漠をちらついた。


 解恵かなえと戦った時と、少し似ていた。


「道楽なら他の人を誘ってよ! 学年トップ? 好きにすればいいじゃない! 私はこんな学校、来たくなかった……来るつもりなんてなかったのに!」


「な……」


 流鯉りゅうりの白目部分に血管が浮き、徐々に赤くなっていく。


 彼女が口を開く前に、鍵玻璃きはりは図書館を飛び出した。


 自動ドアの向こう側には、半分落ちかかった夕日。まだ部活動の時間のはずだが、あたりにはそれなりの人数が行き交っている。


 陽の光が目を潰す。目蓋の奥には、星のような飛蚊症。


 腹の中でコーヒーが泡立つ。気持ち悪い酸味が喉を焼く。


 足早に踏み出す鍵玻璃の背後で、胸元を整えた流鯉が飛び出してきた。


 自動ドアが開き切る間ももどかしく転がり出て来た彼女は、耐えかねたように怒鳴り散らしてくる。


「まだ話は終わってませんわよ! 肌理咲きめざき鍵玻璃きはり、わたくしと戦いなさい! 認めませんわ……あなたみたいな人に後れを取っただなんて! あなたのような人が、わたくしよりも上だなんて!」


「知らないわよ!」


 夜空色の髪を振り乱して身を翻す。


 右手がひとりでに動き、首筋を掻き毟った。


 配信で醸成された空気に呑まれ、まんまと乗せられた挙句、この有様だ。次から次へと、付き纏う者が湧いて出てくる。悪夢が四六時中鍵玻璃きはりを見ている。


 流鯉りゅうりに負けたら、次はどうなる?


 エデンズフォーム・ディザスターズ。プレイヤーの理想を形作るゲームは今や、鍵玻璃きはりにとって厄災そのものとなっていた。


 なのに。涙の滲んだ目蓋を開き、鍵玻璃は思わず立ち止まる。


 目の前にはディスプレイ。流鯉からの挑戦状。


 振り向けば、あの銀髪の少女が羽根ペン型のD・AR・Tダアトを手に佇んでいた。


 ―――なんで……なんで、こうなるの。


 流鯉の輪郭が霞み、ぼやける。


 ―――どうして、逃がしてくれないの。


 先ほど捕まえられた部分が汗を吹き出す。まるで冷たい枷を嵌められたよう。


 腕を、首を引っかいて、肩を抱く。心臓が破れそうなほど鼓動している。


 夕日が伸ばす鍵玻璃の影が形を変えた。自分よりも大きくと、布を被った何かの形。三日月型を頭上に据えた亡霊、否、あの死神のシルエット。


「う……っ!」


 手で口をふさぎながら顔を上げると、流鯉りゅうりが決然とした足取りで近づいてきた。


 何が何でも逃がす気はない。その足取りが、そう告げている。


 嫌だ、戦いたくない。ぎゅうっと自分を抱きしめ、必死になって頭を回す。戦わずに逃げる手段を探し求めて、暗闇の中を探った。


 対戦が出来る距離にまできた流鯉は、前髪を上げて睨みつける。


「逃がしませんわ。あなたは戦わずして逃げるような、弱い人ではないでしょう? 解恵かなえさんも言っていましたわ。地元では負け知らずだった、と!」


「~~~~~~~~~~~~っ!」


 ―――やっぱり解恵か。あの裏切者……っ!


 たまらなくなって、両手で喉を掻きった。強く脈動する管が脳を締め付け、絞り上げる。


 どこまで行っても、あの子が立ち塞がってくる。逃げ場を塞ぎ、追い詰める。


 無邪気な笑顔で、甘えた声で。


 ―――何も覚えてない癖に!


 目をきつく瞑ると、ピーン、と甲高い音が脳裏に響いた。


 同時に浮かぶ、輝くイメージ。それは鍵玻璃に、ある発想をもたらした。


 D・AR・Tダアトを着けて、エデンズを起動する。


 流鯉は好戦的に微笑み、指の中で羽根ペン型のデバイスを回転させた。


「やる気になりましたか? いいでしょう、では尋常に……!」


 鍵玻璃きはりは応えず、一枚のカードを可視化する。


 空中に現れたそれを投げ渡すと、流鯉りゅうりは軽く鼻白んだ。


 カードのARヴィジョンを受け取ってみれば、そこには少女のイラストが描かれていた。宇宙服を思わせるアイドル衣装を纏い、弾ける笑顔を浮かべた銀髪の少女。


 データを参照する流鯉だったが、真意をつかめず首をひねった。


「“救世きゅうせい女傑スターメリー・シャイン”……これが何か?」


「知ってるでしょ、そのカードのこと。見たことあるはず」


「はあ?」


 流鯉りゅうりは怪訝そうに眉根を寄せた。


 似たような反応を、鍵玻璃きはりは何度も目にしてきた。積み重なった失意に圧し潰されるまで、何度も何度も。


 虚しい。口元を引き結ぶ鍵玻璃の前で、こめかみを指で叩きながら、流鯉は憮然と蘊蓄うんちくを垂れた。


「エデンズカードは、汎用のカードを除いて、各ブリンガーに造られたものがすべてとなります。あなたのカードなんて知りませんわよ」


「……だと思った」


 鍵玻璃きはりが指を振ると、メリー・シャインのカードは消えた。


 鍵玻璃は心臓に煙が絡みつくような感覚を抱えながら言い放つ。


「このカードのこと、思い出せたら戦ってあげる。それまでは……関わらないで」


「は? ちょ……ちょっとお待ちなさい! どういうことですの!? まるで意味が分かりませんわよ!?」


 ―――わかんなくていい。わかるわけがない。わかりようもない。


 端から期待などしていない。だからこそ、成り立つ意地悪。


 なのに、胸がもやもやとした。ヤスリのようにざらついていて、奥に何かを隠した黒い煙が心の中に居座っている。


 鍵玻璃きはりは足を速めて人混みに紛れ込んだが、いくら肩で風を切っても気持ちが晴れない。


 目に焼き付くのは、流鯉りゅうりの銀髪。カトラリーを思わせる、気品のある髪の色。記憶のあの人と同じ色。


 だからほんの少し、期待したのかもしれない。


 鍵玻璃は心臓を蝕まれるような不快感を抱えて、次の逃げ場を探し始める。


 一方、取り残された流鯉は眉間に皺を寄せ、爪が食い込むほどに拳を握った。


「……馬鹿にして。ふざけてますわね……!」


 入学式の日、偶然聞いた言葉が流鯉りゅうりのうなじをちくちくと刺す。


“言っておきますけど、新入生代表って言葉は使わないでくださいね”


“代わりになった子の立場もあります”


 犬歯が唇を食い破る。流れ出る血が制服に滴るより先に、流鯉は口元をハンカチで拭った。


 新入生代表は、首席入学の生徒が受け持つ。入試に自信のあった流鯉は、オファーが来ても驚かなかった。


 努力によって獲り続けてきた一位の座、それをここでも勝ち獲った。当然の結果だと、傲りなくそう思ったから。


 だが実態は、鍵玻璃きはりの代理に過ぎなかったのだ。


 それを知った時に、怒りもしたが喜びもした。そして、失望もしかかった。


 だから休み時間に探し回って、聞き込みをし、解恵かなえにもコンタクトを取った。


 聞けば、解恵は一度も鍵玻璃に勝てなかったらしい。勉強、運動、エデンズ。そして入試の成績でもだ。鍵玻璃は常に一番で、負け知らずだったのだ、と。


 なのに鍵玻璃は、たった一度の敗北で全てを投げうった。妹から逃げ、周囲を拒絶し、無為に時間を浪費する。


 どうしても、認められなかったのだ。自分の哲学に反する相手を。そんな者に追い抜かされた、自分自身を。


 許せない。徹底的に打ち負かし、見せつけたい。頂点に立つ者の意地と矜持を。その座に相応しい立ち振る舞いというものを。


 しかし彼女は、背を向け逃げた。


肌理咲きめざき……鍵玻璃きはり……っ!」


 流鯉りゅうりは図書館の前で立ち止まったまま、怨念を吐く。


 このまま逃がすわけにはいかない。どうにか、彼女と戦う機会を作る。


 そう決意して、彼女の消えた人混みを、じっと睨みつけていた。

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