翌日、昼食時の友人の輪に、
「ごめん、お待たせ!」
「おそーい! みんなそろそろ食べ終わるよ!」
「ごめんごめん、先生の話が長引いちゃって」
友人のひとりに謝りながら、
ルームメイトの先輩が作ってくれたものだ。彩り豊かでとても美味しい。
急いでおかずを頬張る解恵に、ハニーが問う。
「で、なんで呼び出されてたのさ? やっぱきはりんのこと?」
実は、
寮長や教師、カウンセラー。様々な人がアプローチをかけてきた。が、結果はどれもなしのつぶてで、今日に至っては寮にすらいなかったという。
放置すれば学校どころか、今後の人生に差し障るかもしれないから、どうにか彼女と話がしたい。そう言ってくる教師に対して、
できるなら、とっくに自分がやっている。
解恵は詰め込んだおかずと一緒に不満を飲み込み、話題を変えた。
「ねえ、ハニー。お嬢様は来てないの?」
「りゅーりんのこと? そういえば、来てないねー」
ちょっと首を伸ばして教室を見回すハニー。彼女の口から飛び出した仇名に、同席していた別の友人が何とも言えない顔をした。
「りゅ、りゅーりん……」
「誰のことかはわかるけどさ……」
「? 可愛いじゃん、りゅーりん。だめ?」
階段状の大講堂には、他の生徒たちが点々と座って、解恵たちと同じようにランチタイムを楽しんでいる。
その独特の校風ゆえに、中等部の後輩や大学部の先輩も混じっていた。
解恵はジュースで口の中を洗い流して首を傾げる。
「忙しいのかなぁ……」
「多分ね~。生徒会に入ったって言ってたし」
ハニーと一緒に、新たな友人のひとりを思い浮かべる。
気品のある銀髪と、硬い意思を秘めた金の瞳が印象的な同級生。
フィクションでしか聞かないようなお嬢様口調は、なかなかにインパクトがあった。しかし彼女自身は気さくで、いい人だ。聞けば、姉に次ぐ優等生なんだとか。
ここしばらく、毎日のようにランチをともにしていた彼女の姿はどこにもない。
ハニーは首につけたハチの巣型の
「今週末は新入生歓迎会もあるし、その準備に追われてるのかも。生徒会主催って言ってたし、入学早々大変だよね~」
「んー……」
新入生歓迎会。先輩後輩との交流を目的とした立食パーティー。様々な企画がプログラムされていて、部活のデモやエデンズの大会も企画されているらしい。
寮生なら、決して無視はできないはずだ。その喧噪は、きっと姉の耳にも届く。つられて顔を出してくれればと思っているが……脳裏に、今朝のことが蘇る。
姉を引っ張り出そうと部屋に行ったら、彼女はもういなかった。ありすとハニーが言うには、先に登校したらしい。
それが嘘だと、解恵もハニーもすぐに気づいた。
机に空っぽの弁当箱を叩きつけると、ハニーは頬杖を突きアンニュイな溜め息を吐いていた。
「きはりん、どこ行っちゃったんだろ。大丈夫かなあ……」
―――大丈夫なわけない。お薬だって飲まないで。
未読スルーのメッセージと不在着信の山に、新たな一文を投下する。
恐らく、返信はされないだろう。それでも送らずにはいられなかった。
⁂ ⁂ ⁂
“ミーティアライダー・デネボラ”
レギオン:奮戦レベル1
パワー:1000
レギオンスキル:『このレギオンのパワーが+された時』“流星並走”1枚を手札に加える。
星に乗って、ソラの海を駆け巡る。その一夜の夢は、何より素晴らしいものだ。
“流星並走”
誓願:奮戦レベル1
誓願成就:『いつでも』自分のレギオン1体を選び、パワーを+500する(永続)。その後、“ミーティアライダー・デネボラ”1体を場に出す。
流星レースは終わらない。夜の数だけ開かれる。
⁂ ⁂ ⁂
数時間後、
大方、
正直、外出なんてしたくはない。けれど寮にもいられない。
寮長、教師、カウンセラー、ルームメイト、そして妹。過干渉に耐え兼ねて、気付けば寮を飛び出していた。
放っておいて欲しい。誰にも近づかれたくはない。なのに誰も、鍵玻璃を独りにしようとしない。それがひどい苦痛をもたらしてくるのだ。
「つ……っ」
ズキッ、と頭が痛んで思わず首を振った。
こめかみの血管や、首の筋肉が張り詰める。壊れかけのロボットみたいなぎこちない動きで椅子に腰かけ、ひどく苦いコーヒーを一気に飲み干す。
置いたカップの隣には、とある雑誌が開かれていた。
“怪奇! エデンズブリンガーを狩る死神!”
そんなうすら寒い大見出し、大げさすぎる表紙に彩られたゴシップ雑誌だ。
内容も相応にチープなもので、夜中にエデンズを起動したら死神との対戦が始まるだとか、負けたら魂を持っていかれるだとか、ありきたりな怪談話が載っている。
対処法も、対死神用のカードを創ればいいなど、いい加減なもの。
鍵玻璃はペラペラとページをめくるが、気付けば同じ場所に戻ってきている。
そんな自分に、自嘲気味の笑みがこぼれた。
「……ふっ」
本なら他にいくらでもある。こんなカビの生えたマイナー雑誌なんかよりもいいものが。それでも書架を彷徨い、これを拾った理由といえば……この雑誌を最後に、心が折れてしまったからか。
現れた時計を見れば、図書館に来てから早九時間も経過していた。
今頃、
帰るにはいいタイミングと言えなくもない。が、ルームメイトの帰宅した後が問題となる。まず間違いなく絡まれるだろう。人の気も知らないで。
「はあ……」
生ぬるく、苦り切った吐息を吐き出す。
エデンズブリンガーの死神。それが笑い話で済むのであれば、どんなに良いか。
手袋を嵌めた手でページを撫でる。指が強張り、そのまま握りつぶしてしまいそうになったところで、どこかから伸びて来た別の手が雑誌を奪い去った。
「!?」
驚いて顔を上げると、すぐ真後ろに銀髪の少女が佇んでいた。
内側にカールしたミディアムヘアが、強烈な既視感で
ドキリと心臓が跳ねる。思わず上がりそうになった声を喉に引っ込めさせたのは、冷たい刃を思わせる金の瞳だ。
―――違う、あの人じゃない。
鍵玻璃はこくんと喉を鳴らして、雑誌を奪った少女をじっくりと観察する。
私服登校可の
ふと、雑誌から顔を上げた少女と目が合う。
鋭い眼差しの奥には、失望と敵意が滲んでいるように思えた。
「授業をサボって、こんなものを読んでいらっしゃるなんて。これがそんなに面白いのですか、
いきなり皮肉が飛んできて、確信が強まった。
彼女は絶対に、あの人ではない。
完全に冷めた心境を抱え、
無言で立ち去ろうとしたが、腕をつかまれ引き留められた。
「ちょっ、お待ちなさい! なんの反応も無しですか!?」
「っ、触るな!」
二の腕に走った痛みを振り払う。
ただならぬ剣に、他の利用者たちの視線が集まる。
入学式に続いて、不本意な注目を集める形。
「急に……誰よ、あんた。私になんの用……?」
銀髪の少女はそれ聞き、不愉快そうに鼻を鳴らした。
彼女とは間違いなく初対面。だというのにこのトゲトゲしさだ。
胃の中でコーヒーが沸騰するような感覚に襲われていると、少女は腕を組んで名乗りを上げた。
「申し遅れましたわね。才原財閥が後継者、
才原財閥。エデンズブリンガーにとっては馴染みのある名だ。鍵玻璃にとっては、さらに因縁がある……あくまでも、一方的なものに過ぎないが。
こちらの反応をどう受け取ったか、流鯉はますます不機嫌になる。
「聞き覚えはありませんか、そうですか。あなたはわたくしが壇上に上がった時、
―――良い夢?
その言葉を聞き、
闇の中から不明瞭な囁き声が聞こえてくるような。
興味か、嫌悪か、それ以外の感情か。足が急にむず痒くなる。じっとしているのが辛くて、いきなり走り出してしまいそうだ。
落ち着かない気分をポーカーフェイスで押し殺しつつ、鍵玻璃は尋ねる。
「……そのご令嬢が、何の用?」
「ご安心を。そうお時間は取らせませんわ」
バチッ、とふたりの間で見えない火花が飛び散った。
その音が聞こえたかのように、他の利用者が肩を震わせる。
高飛車なお嬢様の顔から、戦う者の……エデンズブリンガーの顔に。
「
「嫌」
「……えっ」
速攻で拒否され、
隙を突いた
今度はいくら力を込めても振り払えない。白魚のような指が鍵玻璃の肉に食らいつき、万力のように締め上げてくる。
顔を歪めて見返れば、逃がす気はないと雄弁に語る金の眼差し。
驚きを不信感で塗りつぶした流鯉は、至近距離で問うてくる。
「待ちなさい。何故、戦わないのです?」
「放して……!」
「あの時、
なんとか逃げようと抵抗する
金の瞳を睨みつけ、鍵玻璃は捕らわれた手で拳を握った。
「あんたには……関係ないっ!」
即座に背を向け走り出したが、流鯉もしつこく追いかけて来た。
出口付近で彼女は
「お待ちなさい! このまま敗北に甘んじる気ですか!? 挑発され、嘲られても戦わないなど……プライドというものをお持ちでなくて!?」
「うるさい、うるさい……!」
頭を抱える。耳鳴りがして、周囲の景色が激しく歪む。壁が裂け、天井が消え、悪夢の砂漠をちらついた。
「道楽なら他の人を誘ってよ! 学年トップ? 好きにすればいいじゃない! 私はこんな学校、来たくなかった……来るつもりなんてなかったのに!」
「な……」
彼女が口を開く前に、
自動ドアの向こう側には、半分落ちかかった夕日。まだ部活動の時間のはずだが、あたりにはそれなりの人数が行き交っている。
陽の光が目を潰す。目蓋の奥には、星のような飛蚊症。
腹の中でコーヒーが泡立つ。気持ち悪い酸味が喉を焼く。
足早に踏み出す鍵玻璃の背後で、胸元を整えた流鯉が飛び出してきた。
自動ドアが開き切る間ももどかしく転がり出て来た彼女は、耐えかねたように怒鳴り散らしてくる。
「まだ話は終わってませんわよ!
「知らないわよ!」
夜空色の髪を振り乱して身を翻す。
右手がひとりでに動き、首筋を掻き毟った。
配信で醸成された空気に呑まれ、まんまと乗せられた挙句、この有様だ。次から次へと、付き纏う者が湧いて出てくる。悪夢が四六時中
エデンズフォーム・ディザスターズ。プレイヤーの理想を形作るゲームは今や、
なのに。涙の滲んだ目蓋を開き、鍵玻璃は思わず立ち止まる。
目の前にはディスプレイ。流鯉からの挑戦状。
振り向けば、あの銀髪の少女が羽根ペン型の
―――なんで……なんで、こうなるの。
流鯉の輪郭が霞み、ぼやける。
―――どうして、逃がしてくれないの。
先ほど捕まえられた部分が汗を吹き出す。まるで冷たい枷を嵌められたよう。
腕を、首を引っかいて、肩を抱く。心臓が破れそうなほど鼓動している。
夕日が伸ばす鍵玻璃の影が形を変えた。自分よりも大きくと、布を被った何かの形。三日月型を頭上に据えた亡霊、否、あの死神のシルエット。
「う……っ!」
手で口をふさぎながら顔を上げると、
何が何でも逃がす気はない。その足取りが、そう告げている。
嫌だ、戦いたくない。ぎゅうっと自分を抱きしめ、必死になって頭を回す。戦わずに逃げる手段を探し求めて、暗闇の中を探った。
対戦が出来る距離にまできた流鯉は、前髪を上げて睨みつける。
「逃がしませんわ。あなたは戦わずして逃げるような、弱い人ではないでしょう?
「~~~~~~~~~~~~っ!」
―――やっぱり解恵か。あの裏切者……っ!
たまらなくなって、両手で喉を掻きった。強く脈動する管が脳を締め付け、絞り上げる。
どこまで行っても、あの子が立ち塞がってくる。逃げ場を塞ぎ、追い詰める。
無邪気な笑顔で、甘えた声で。
―――何も覚えてない癖に!
目をきつく瞑ると、ピーン、と甲高い音が脳裏に響いた。
同時に浮かぶ、輝くイメージ。それは鍵玻璃に、ある発想をもたらした。
流鯉は好戦的に微笑み、指の中で羽根ペン型のデバイスを回転させた。
「やる気になりましたか? いいでしょう、では尋常に……!」
空中に現れたそれを投げ渡すと、
カードのARヴィジョンを受け取ってみれば、そこには少女のイラストが描かれていた。宇宙服を思わせるアイドル衣装を纏い、弾ける笑顔を浮かべた銀髪の少女。
データを参照する流鯉だったが、真意をつかめず首をひねった。
「“
「知ってるでしょ、そのカードのこと。見たことあるはず」
「はあ?」
似たような反応を、
虚しい。口元を引き結ぶ鍵玻璃の前で、こめかみを指で叩きながら、流鯉は憮然と
「エデンズカードは、汎用のカードを除いて、各ブリンガーに造られたものがすべてとなります。あなたのカードなんて知りませんわよ」
「……だと思った」
鍵玻璃は心臓に煙が絡みつくような感覚を抱えながら言い放つ。
「このカードのこと、思い出せたら戦ってあげる。それまでは……関わらないで」
「は? ちょ……ちょっとお待ちなさい! どういうことですの!? まるで意味が分かりませんわよ!?」
―――わかんなくていい。わかるわけがない。わかりようもない。
端から期待などしていない。だからこそ、成り立つ意地悪。
なのに、胸がもやもやとした。ヤスリのようにざらついていて、奥に何かを隠した黒い煙が心の中に居座っている。
目に焼き付くのは、
だからほんの少し、期待したのかもしれない。
鍵玻璃は心臓を蝕まれるような不快感を抱えて、次の逃げ場を探し始める。
一方、取り残された流鯉は眉間に皺を寄せ、爪が食い込むほどに拳を握った。
「……馬鹿にして。ふざけてますわね……!」
入学式の日、偶然聞いた言葉が
“言っておきますけど、新入生代表って言葉は使わないでくださいね”
“代わりになった子の立場もあります”
犬歯が唇を食い破る。流れ出る血が制服に滴るより先に、流鯉は口元をハンカチで拭った。
新入生代表は、首席入学の生徒が受け持つ。入試に自信のあった流鯉は、オファーが来ても驚かなかった。
努力によって獲り続けてきた一位の座、それをここでも勝ち獲った。当然の結果だと、傲りなくそう思ったから。
だが実態は、
それを知った時に、怒りもしたが喜びもした。そして、失望もしかかった。
だから休み時間に探し回って、聞き込みをし、
聞けば、解恵は一度も鍵玻璃に勝てなかったらしい。勉強、運動、エデンズ。そして入試の成績でもだ。鍵玻璃は常に一番で、負け知らずだったのだ、と。
なのに鍵玻璃は、たった一度の敗北で全てを投げうった。妹から逃げ、周囲を拒絶し、無為に時間を浪費する。
どうしても、認められなかったのだ。自分の哲学に反する相手を。そんな者に追い抜かされた、自分自身を。
許せない。徹底的に打ち負かし、見せつけたい。頂点に立つ者の意地と矜持を。その座に相応しい立ち振る舞いというものを。
しかし彼女は、背を向け逃げた。
「
このまま逃がすわけにはいかない。どうにか、彼女と戦う機会を作る。
そう決意して、彼女の消えた人混みを、じっと睨みつけていた。