一か月後。電車の扉が開くなり、
春の日差しと風が、姉妹を暖かく出迎える。都会の真っ只中と見紛う駅前広場。空に浮かぶディスプレイ。それらに書かれた、入学おめでとうの文字。
桜が舞い散る空の下、 解恵は、春の風を浴びながら、両手を空に突き上げた。
「ん~~~~~っ、着いたぁ――――――っ!」
大声が周囲の者の視線を集める。
いるのはそのほとんどが、シルバーホワイトの……
彼らと同じ服に袖を通した
投げ捨てるように繋いだ手を切る
といっても、白いブラウスにネクタイ、黒いプリーツスカートという出で立ちなので、さほど悪目立ちはしない。他校の制服と言っても通じるかもしれない。
姉は、緩慢にまばたきをしながら首を振る。しかしすぐにまた手をつかまれ、引き寄せられた。
「お姉ちゃん、ほら行こ! 入学式始まっちゃうよ!」
「……もう帰らせて」
「だーめ! ちゃんと式にも出るの!」
ぱんぱんになったリュックを揺らし、
今日別れたら、なかなか会えなくなってしまうから……そんな母の説得と、解恵の泣き落としによって、なんとかここまで連れて来た。
思うところはあるものの、後はリュックに詰め込んだものを渡すだけ。
やがて差し掛かったのは、桜が連なる大通り。
樹の足元には、様々な映像がが流されている。学部学科、部活の紹介。OB、OGからの祝辞。学院を運営する企業のCM。有名インフルエンサーによる案内。
理事長のバストアップが別の少女に切り替わったところで、解恵は鍵玻璃を抱き寄せた。
「お姉ちゃんお姉ちゃん、見て見て! あれ、今映ってる人!
「離し、て……っ!」
顔を半分手で隠し、先行する姉の背中を切なげに見つめながらも、後を追う。
広い並木道を歩いていくと、プロスポーツで使われるようなアリーナに辿り着く。
案内役の生徒たちに促され、長蛇の列に並んで入ると、受付にはたくさんの機械が鎮座していた。チケット販売のマシンを流用し、新入生名簿と照会するようだ。
列がスムーズに進む中、解恵はドキドキしながら鍵玻璃の手を強めに握る。
いよいよ作戦は最終フェーズ。ふたりの番が近くなる。
前に立つ派手なツインテールの少女が、チョーカーにつけたハチの巣型のアクセサリーを外して
スキャンの光に撫でられるそれは、飾りではない。
前の少女が認証を終え、受付を離れる。その際、彼女と一瞬目が合う。微笑みかけられ、解恵の胸はますます弾んだ。上手くやっていけそうな気がする。
「何してるの? 早くすれば」
「あ、わわっ!」
額に引っかけたゴーグル型の
“認証成功。ようこそ、
「よしっ!」
思わずガッツポーズをしてしまう。これで登録完了だ。晴れて解恵は、
すぐ後ろの姉が、何も言わずに踵を返す。解恵はすぐに振り向き、
鍵玻璃は泡を食ってD・AR・Tがあった場所に触れるが、遅い。
彼女が反応する前に、デバイスは機械の台座に置かれ、スキャンに晒された。
「
振り返った
だが、言葉よりも早くスキャンが終わる。女性の機械音声が、柔らかな口調でテンプレートな祝辞を告げた。
“認証成功。ようこそ、
「やった!」
「――――――!?」
そんな姉とは裏腹に、
作戦は大成功だ。液晶画面に華やいだ自分の笑顔が映り込む。
これでふたりそろって入学確定。だがその喜びを、冬の如き声音が凍り付かせた。
「……どういうこと?」
リュックサックが、受付マシンに打ち付けられる。派手な音も痛みもない。しかし突然の暴行に、マシンは警報音を鳴らした。
表情は、一切見えない。
「ねえ解恵。今の……何?」
指が鎖骨に食い込んだ。
痛みが臆病風を呼び起こし、
しかし、解恵は力尽くで笑顔を作った。
ここで退くわけにはいかない。
「み、見たまんまだよ! お姉ちゃんはあたしと一緒に、ここに通うの!」
「……は?」
ごく短い疑問の言葉が、
計画の始まりは、中二の冬に遡る。進路もろくに決めていないが、
記念受験でいいから、受けて欲しい。最終的にその要求で妥協させ、ふたりで合格した後は、親に頼んで入学手続きをしてもらう。
あとは学院まで
突発的な異変に、近くの人々がどよめき始める。騒ぎを聞きつけた案内役の生徒が来るより早く、鍵玻璃は解恵を投げ倒した。
そして、何もかもから目を逸らすように背を向ける。
「―――帰る!」
「えっ? ちょ、待って、待ってよお姉ちゃん!」
騒ぎを聞きつけてきた生徒たちを振り払い、
入学式にそぐわない雰囲気に気付いた他の新入生や、その保護者が振り返る中、
逃げるように人の流れを逆行していく姉。彼女がスタジアムから出た瞬間、解恵の右手が彼女を捕らえた。
「待ってってば! これから入学式あるんだよ!?」
「だったら何よ!」
数歩よろめいた解恵は、心臓がなくなったような感覚に戸惑いながら、姉を見つめた。
鍵玻璃は決して目を合わせない。地面に敵がいるかのように、足元めがけて叫びを浴びせる。
「入るつもりはないって言ったでしょ! なのにこんな、私を騙して……っ! お母さんとお父さんも一緒になって、こんな……ッ!」
「だ、だって……!」
「だってじゃない! 私はもうあんたとはいられないのよ! あんた、あんたとは、あんたと、は……っ!」
手袋に包まれた指と指の間から、カラーコンタクトを着けた姉の瞳が見え隠れする。激しく揺らぎ、焦点の合わなくなった銀の瞳が。
ぶつぶつと何かを呟いているが、聞き取れない。解恵が一歩踏み出すと、鍵玻璃は体を固くし、背を向けてきた。
小さく、弱々しく、頼りない背中だった。
「帰る……私は帰る、私は……!」
「お姉ちゃん!」
「はーい、はいはい! そこまで、そこまで~」
からん、ころんという下駄の足音が静まり返った桜並木に波紋を広げる。
振り返る解恵の隣を、誰かがすり抜ける。ひとりの少女が、
腕章付きの制服に、茶髪のショートボブ。足には漆塗りの下駄。両のこめかみあたりにひとつずつ、虎の形の髪飾り。
―――誰? いや、あたし知ってる! あの人、もしかして……!
道の端に浮かぶディスプレイの、プロモーションビデオが切り替わる。画面の中には、鍵玻璃の傍に立つ少女と全く同じ顔が映されていた。
解恵は脳がすっぽ抜けるような衝撃を受けて、少女を指差す。
「あ、あーっ!
「本物やで~。毎度おおきに、いつもはアイドルブリンガー、今は入学式の運営委員。屏風ヶ浦ふぁんぐやで。よろしゅうねぇ~」
はんなりとした笑顔を浮かべたふぁんぐが
解恵は直面した問題も忘れ、あんぐりと口を開いた。
エデンズで自己表現して舞い踊る。それがアイドルブリンガー。エデンズフォーム・ディザスターズがもたらした、新世代のアイドルである。
ふぁんぐは、その中でもかなり根強い人気を誇る者のひとりだ。突発的なゲリラ配信、対戦イベントを行うことでかなり有名。
そんな少女は、
「ふむふむ。受付でトラブッたのはおふたりさんで間違いないな? あかんで~、暴力は。せっかくのおめでたい日やっちゅうのに、うちらが出動してもーたらな。トラブル仲介役なんて、暇でなんぼや。せやろ?」
やんわりと咎められた
ふぁんぐは慌ててそれを引き留めるが、乱暴に振り払われた。
「触るなっ! 近づかないで……!」
「うおっ!? なんや、そないハリネズミにならんでも……え~と? おふたりさんの名前が……」
そう言ってふぁんぐがパチンと指を鳴らすと、虎の髪飾り……の、ような形の
一体何を見たのだろう。ふぁんぐは、何やら目を丸くして感嘆の声を上げかけたものの、すぐに咳払いをして誤魔化した。
「ごほん。
「私には関係ない……」
「待てっちゅ~に! ああもう、せっかちやなぁ。しゃーない!」
横をすり抜けようとする
新たに呼び出したディスプレイに何事か入力すると、桜並木の映像全てがふぁんぐの顔一色となる。
それらは画面に向かって手を振るふぁんぐの動きとシンクロし、全く同じ映像と音声を発する。左上にはLIVEの四文字。彼女の持ち味、突発的な生配信が始まったのだ。
ファンがいるのだろう、人垣の中から待ってましたとばかりの歓声。ふぁんぐはそれに答えつつ、画面にウィンクをくれた。
「屏風の虎が会いに来た~! さては我が友? イエス、屏風ヶ浦ふぁんぐやで~!
広大な敷地内にいる者すべてに声が浸透していく。
遠くから風に乗ってやってくるどよめきや歓声。何事かと辺りを見回す
「新入生の皆さ~ん、式まだやけど入学おめでとさ~ん! ぴかぴかの一年生のみんなにぃ~、うちが
「っ!」
「へ?」
数秒経って、解恵は状況を飲み込んだ。
チャンスだ。直感的にそう思い、後ずさる鍵玻璃にしがみつく。
姉の顔に頬をくっつけ、撮影ディスプレイに笑顔を向ける。
「お姉ちゃん、ほら、笑顔笑顔! あとカメラ目線!」
「……!」
腕の中で体を強張らせる姉を、決して逃がさない。
鍵玻璃が藻掻いたり何か言うより早く、ふぁんぐが画面に割り込んだ。
「覚えて帰って
わざとらしくそう言って、ふぁんぐは双子をまとめて抱き寄せる。
有名人のハグを受けた
「まさか……戦えっていうの? 今、ここで?」
「せやで~。揉め事はエデンズで解決するのが一番や。勝ちと負けでキッチリ決める。それ以降は恨みっこなし。オーケー?」
「い……」
「いいよ!」
姉の言葉を遮り、
入学拒否は予想していた。だからこそ、家では伝えずここまで黙って連れて来た。登録まで済んだ今、鍵玻璃は正式に
生徒なら、校則に従わねばならない。
ふぁんぐはパチンと指を鳴らした。
「ん~、いいお返事! 決まりやね!」
ギリッと歯軋りをする
深い皺のできた眉間を左目ごと手で覆い隠す姉と、真っ向から向き合う
鍵玻璃は僅かに顔を上げ、解恵の方を見た。唇が小さく動いているが、何を言っているのかは聞こえてこない。解恵に対する恨み節か、それとも。
ふぁんぐは鍵玻璃の様子を気にしつつ、進行の方を優先した。
「ではでは~、
問われて、ふう、と息を吐く。
自分の立てた計画の、ここが最後の正念場。
要求は既に確定していた。
「あたしが勝ったら? もちろん、あたしの言うこと聞いてもらうよ! そういうことでいいんだよね?」
「そういうことでえ~んやで~。話早くて助かるわぁ」
のほほんと返すふぁんぐとは逆に、
顔に当てた手をゆっくりと引き離しながら、脅し文句を口にする。
その姿はまるで、追い詰められた獣が、最後の力で威嚇するかのようだった。
「……本気? 入試ギリギリって言ってたけど、エデンズでも苦労したんでしょ、あんた。第一、私に勝てたことないし……それでもやる気?」
「やる!」
確かに、姉に勝てたためしはない。けれどそれは何年も前の話だ。
ゴーグル型の
「勝負だ、お姉ちゃん! もう逃がさないよ!」
「あんた……私を、そんなに……。わかってる、わかってる、けど……っ!」
改めて宣告すると、
何か強い葛藤に苛まれている表情。しかし、その葛藤がなんなのか、
けれど。ちらりとふぁんぐの方を見る。若くして名を馳せるアイドル兼エデンズブリンガーの先達。ふぁんぐ以外にも、既に引退した者、未だ現役の者を問わず、彼女たちは解恵の憧れであり続けている。
そしてそれをくれたのは、他ならぬ
―――覚えてるよね、一緒にアイドルごっこしてた時のこと。
―――歌も踊りもお姉ちゃんの方がずっと上手で。
―――あたしはへたっぴだったけど、お姉ちゃんは根気よく教えてくれてさ。
―――みんなから笑われてたのに、一緒にアイドルになろうって言ってくれた。
ある日突然、彼女はそうなった。解恵を拒絶するようになり、見えない何かと言い争う。
その理由を、解恵は知らない。何度聞いても、教えてくれない。
解恵はぎゅっと両手を握り、瞳に強い力を込めた。
ふたりは既に円形の人垣で囲まれていた。居合わせた誰もが事態を見つめ、戦いの予感に息を呑む。
キリキリと張り詰める沈黙の中、歯の音を震わせていた鍵玻璃は、きつく目をつぶって
やり場のない感情をぶつけるように、殴打で対戦申し込み受諾すると、引き裂くように自分の首を掻き毟る。
解恵に向けられた顔は凄絶だった。そうとしか言いようがない表情に、解恵はたじろぎかける。しかし足の指を丸め、地面を踏みしめて相対した。
「おっと、気合充分やな。ほな、行こか~!」
対戦受諾と
振り下ろされる手刀を合図に、今度は姉妹が片手を空に突き上げる。
一瞬で暗くなる空。きらりと輝く一番星を握りしめるようにして、それぞれ
それは己の世界、己の戦場、己のエデンを紡ぐ詩。決闘開始の宣誓である。
「夢のカタチ、星のカタチ、光のカタチ……一番星はこの手の中に」
「双角、双刃、番いの光芒! 描き出せ、あたしたちの未来のサイン!」
強まる輝きを見上げたふたりは、同時に叫ぶ。
「「ジェネレーション・マイ・ディザスター!!」」
ふたつの光が、それぞれ姉妹を飲み込んだ。
捩じれ、膨らみ、嵐となった光の柱は融合し、ドーム状に拡大していく。
その内側は、無限の暗黒。その中に浮いた双子の周囲が光り輝く。
次々と現れた立方体が連結して作り上げた足場にアンクルブーツの足が降り立つ。左右に大型スピーカー、背後で組み立てられる巨大なモニター。
サンドボックスゲームのような、独特の雰囲気を持つライブステージ。
一方で、
全方位からひとりの少女に収束していく流星群。暖色の煌めきが大きな塊を作り出し、波紋を広げるように足場を生成。変形した光の塊が、夜明けの海を思わせるツートーンの舞台を生み出す。
対峙する、違った形のライブステージ。それこそ、彼女たちの
闇に浮かぶ舞台の上で、鍵玻璃はガクンと背中を丸め、肩を抱く。
二の腕を、頭を、首を掻き毟りながら、彼女はぶつぶつと独り言を呟き始めた。
「夢……夢じゃない……私のエデン、私の……。でも、
たじろぐ解恵の前で、
底知れない恐怖と狂気の気配に、解恵は生唾を飲み込む。来歴わからぬそれが、双子を引き裂こうとしている。
気付かないふりを続けて来た。
ふたりの間に隔たりがあると受け入れてしまったら、姉は本当にいなくなってしまう気がして。それだけは、絶対に耐えられなくて。
―――でも、だからこそ、だよね。
解恵は胸に当てて深呼吸し、力強く言い放った。
「行くよお姉ちゃん。あたしは……負けないっ!」
火蓋が切って落とされる。
先攻は、
そして始まる。鍵玻璃の闘い、そして……悪夢が。