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すべてを斬り捨て悪魔となった者《1》

 左腕が完治したころ、ギッシュはヴァネッサを自室に呼び出した。

「なんでしょう?」

「お前にだけは、すべてを伝えておきたい」

 ギッシュは言うと、半袖を脱いだ。

「っ!?」

 引き締まった身体を見て、愕然とした。

「今まで受けてきた〝痛み〟のすべてだ」

「なに、冷静に言っているんですか!? こんな、こんなことって……!」

 ヴァネッサは思わず叫んだ。

 その身体には、数えきれないほど多くの古傷が刻まれていた。どの傷も深かったのだろう。赤くなっているところもあれば、白く盛り上がっているところもある。

「動揺するとは思っていた。……お前に隠し事をしたくなかった。どう思った?」

 ギッシュは冷たい目をして尋ねた。

「打ち明けてくれたことには感謝します。でも、こんなに傷を抱えていたなんて……!」

 ヴァネッサの目に涙が浮かんだ。

「話すのが遅くなって、すまない」

「い、いえ! ギッシュさん、どうしてそんなにも、冷静なんです?」

 泣きながら、ヴァネッサが尋ねた。

「自分のことを、他人事のように考えるからだ」

「え? それはどういうことです?」

 ヴァネッサはきょとんとした。

「自分のことを客観的に見ていると言えば、聞こえがいい。自分と距離を取って生きる以外の選択肢がなかった。自分のことではない、と線引きをしてしまったんだ」

 哀しそうな顔をして、ギッシュが言った。

「線引き……ですか」

 ヴァネッサは唇を噛んだ。

「中には、自分から逃げずに向き合え、という意見もある。そんなのは自分から逃げているだけだと。正しいことだが、この生き方が悪いとは、どうしても思えない」

 ギッシュは低い声で言った。

「私もそう思います」

 零れ落ちてくる涙を拭いながら、ヴァネッサはうなずいた。

「どんな方法でもいいから、その人に合った生き方を選べばいい」

「そうですね。でも、哀しいです」

「すまない。落ち着くまで部屋にいろ。俺のように、感情を押し殺すな。お前には、素直でいてほしい。それが俺の願いだ。さあ、もういけ」

 ギッシュはグレーの長袖を着ながら言った。

 ヴァネッサは泣きながら部屋を出ていった。

 ズボンも穿き替え、刀を帯びて、コートを羽織ると手袋を嵌め、家を出た。



 家から近い公園の周囲を歩いていると、一際暗い雰囲気を放つ男に声をかけられた。

 公園のベンチに座り、話を聞くことにした。

「ボクは、修司が憎い」

「なぜ?」

 ギッシュが先を促した。

「自分の言っていることは正しいと、ストレートな言葉で、追い詰めてくるから」

「たとえば?」

 憎悪に染まった男の横顔を見つめて尋ねた。

「嘘を吐くことを、赦さない。目が悪い人は眼鏡をかけて、それを通していろいろ見るよね? ボクはそれと同じで、傍観者を作ってなにに対しても動じないように生きてる。それが悪いわけじゃない。でも、あいつは違う」

「どんなふうに?」

 低い声で紡ぎ出される言葉の数々に、ギッシュは先を促す。

「あいつは、それを悪だという。自分から逃げてもいいことなんかない! そして、自分と向き合えと言ってくる! ふざけるなって話だよ。生き方を、全否定された。憎くて、憎くて、たまらないんだ」

 男が叫んだ。

「冷酷な鬼神からの条件はふたつ。対象者を殺しても構わない、という強い意志。それと、多額の金。用意できるか?」

 冷ややかな声で尋ねた。

「後悔しない。金ならここにある」

 男は紙袋を差し出してきた。

 六十万が入っていることを確認し、うなずいた。

「確かに。決行は今夜。終わり次第ここで落ち合おう。ひとまず金は持っていろ」

「ここで待ってる」

 紙袋を渡したギッシュはベンチから立ち上がると、スタスタと歩き出した。



 ――俺と似ている、というわけか。

 ギッシュはそんなことを思いながら、近くの家のドアを蹴破った。

 物音に気づいた一組の男女が飛び出してきた。

 修司の両親だろう。

「なにをしているの、あなたは!」

「この家の住人、全員を殺しにきた。貴様らにはそこで見ていてもらう」

 ギッシュは言いながら刀を抜き、突きつけた。

 彼らは身動きひとつしなくなった。

 奥からなにごとかという顔をした男が出てきた。

「修司か?」

「そうだけど?」

「貴様、真正面から、他人の生き方を否定したんだってな」

「そそ、それのなにが悪い!」

 冷たい視線に怯えながら、修司が叫んだ。

「自分から逃げることが罪だ、とでも言う気か?」

「そうさ! 自分を受け容れる覚悟が、足りないんだよ!」

「それで?」

 ギッシュは声のトーンをさらに下げた。

「そんな甘えたことを言っているから、ダメなんだ!」

「甘えたことに聞こえるのか、貴様には。貴様の基準がこの世界のすべてではない!」

「ひいいっ!」

 突然の怒鳴り声に、修司は情けない声を上げた。

「人の数だけ生き方も、多様化している。自分の基準を疑いもせず、他人に押しつけるな!」

「怖い怖い。……なに言ってんの? 自分に向き合えない奴なんて、ただの弱者でしかない!」

 語気を強めて、修司が叫んだ。

「それが正しいことだと、思い込んでいるわけか。まあいい。両親から殺してやるよ」

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