左腕が完治したころ、ギッシュはヴァネッサを自室に呼び出した。
「なんでしょう?」
「お前にだけは、すべてを伝えておきたい」
ギッシュは言うと、半袖を脱いだ。
「っ!?」
引き締まった身体を見て、愕然とした。
「今まで受けてきた〝痛み〟のすべてだ」
「なに、冷静に言っているんですか!? こんな、こんなことって……!」
ヴァネッサは思わず叫んだ。
その身体には、数えきれないほど多くの古傷が刻まれていた。どの傷も深かったのだろう。赤くなっているところもあれば、白く盛り上がっているところもある。
「動揺するとは思っていた。……お前に隠し事をしたくなかった。どう思った?」
ギッシュは冷たい目をして尋ねた。
「打ち明けてくれたことには感謝します。でも、こんなに傷を抱えていたなんて……!」
ヴァネッサの目に涙が浮かんだ。
「話すのが遅くなって、すまない」
「い、いえ! ギッシュさん、どうしてそんなにも、冷静なんです?」
泣きながら、ヴァネッサが尋ねた。
「自分のことを、他人事のように考えるからだ」
「え? それはどういうことです?」
ヴァネッサはきょとんとした。
「自分のことを客観的に見ていると言えば、聞こえがいい。自分と距離を取って生きる以外の選択肢がなかった。自分のことではない、と線引きをしてしまったんだ」
哀しそうな顔をして、ギッシュが言った。
「線引き……ですか」
ヴァネッサは唇を噛んだ。
「中には、自分から逃げずに向き合え、という意見もある。そんなのは自分から逃げているだけだと。正しいことだが、この生き方が悪いとは、どうしても思えない」
ギッシュは低い声で言った。
「私もそう思います」
零れ落ちてくる涙を拭いながら、ヴァネッサはうなずいた。
「どんな方法でもいいから、その人に合った生き方を選べばいい」
「そうですね。でも、哀しいです」
「すまない。落ち着くまで部屋にいろ。俺のように、感情を押し殺すな。お前には、素直でいてほしい。それが俺の願いだ。さあ、もういけ」
ギッシュはグレーの長袖を着ながら言った。
ヴァネッサは泣きながら部屋を出ていった。
ズボンも穿き替え、刀を帯びて、コートを羽織ると手袋を嵌め、家を出た。
家から近い公園の周囲を歩いていると、一際暗い雰囲気を放つ男に声をかけられた。
公園のベンチに座り、話を聞くことにした。
「ボクは、修司が憎い」
「なぜ?」
ギッシュが先を促した。
「自分の言っていることは正しいと、ストレートな言葉で、追い詰めてくるから」
「たとえば?」
憎悪に染まった男の横顔を見つめて尋ねた。
「嘘を吐くことを、赦さない。目が悪い人は眼鏡をかけて、それを通していろいろ見るよね? ボクはそれと同じで、傍観者を作ってなにに対しても動じないように生きてる。それが悪いわけじゃない。でも、あいつは違う」
「どんなふうに?」
低い声で紡ぎ出される言葉の数々に、ギッシュは先を促す。
「あいつは、それを悪だという。自分から逃げてもいいことなんかない! そして、自分と向き合えと言ってくる! ふざけるなって話だよ。生き方を、全否定された。憎くて、憎くて、たまらないんだ」
男が叫んだ。
「冷酷な鬼神からの条件はふたつ。対象者を殺しても構わない、という強い意志。それと、多額の金。用意できるか?」
冷ややかな声で尋ねた。
「後悔しない。金ならここにある」
男は紙袋を差し出してきた。
六十万が入っていることを確認し、うなずいた。
「確かに。決行は今夜。終わり次第ここで落ち合おう。ひとまず金は持っていろ」
「ここで待ってる」
紙袋を渡したギッシュはベンチから立ち上がると、スタスタと歩き出した。
――俺と似ている、というわけか。
ギッシュはそんなことを思いながら、近くの家のドアを蹴破った。
物音に気づいた一組の男女が飛び出してきた。
修司の両親だろう。
「なにをしているの、あなたは!」
「この家の住人、全員を殺しにきた。貴様らにはそこで見ていてもらう」
ギッシュは言いながら刀を抜き、突きつけた。
彼らは身動きひとつしなくなった。
奥からなにごとかという顔をした男が出てきた。
「修司か?」
「そうだけど?」
「貴様、真正面から、他人の生き方を否定したんだってな」
「そそ、それのなにが悪い!」
冷たい視線に怯えながら、修司が叫んだ。
「自分から逃げることが罪だ、とでも言う気か?」
「そうさ! 自分を受け容れる覚悟が、足りないんだよ!」
「それで?」
ギッシュは声のトーンをさらに下げた。
「そんな甘えたことを言っているから、ダメなんだ!」
「甘えたことに聞こえるのか、貴様には。貴様の基準がこの世界のすべてではない!」
「ひいいっ!」
突然の怒鳴り声に、修司は情けない声を上げた。
「人の数だけ生き方も、多様化している。自分の基準を疑いもせず、他人に押しつけるな!」
「怖い怖い。……なに言ってんの? 自分に向き合えない奴なんて、ただの弱者でしかない!」
語気を強めて、修司が叫んだ。
「それが正しいことだと、思い込んでいるわけか。まあいい。両親から殺してやるよ」