「ん。……ふう」
ギッシュはうなずきながらコーヒーを一口飲むと、息を吐き出した。
「どうして怪我をしなかったんですか?」
ヴァネッサが首をかしげた。
「自分の命を守ろうという、強い意志がなかった。というか、そもそも、誰だって死ぬのは嫌なはず。歯向かってくるなり、足掻くなりするだろう? 彼らにはそれがなかった。恐怖で動けなくなっていた。死が訪れるその瞬間を、黙って見ていることしかできない連中だった」
ギッシュは低い声で言った。
「なぜそんなにも、怖い顔をしているのですか?」
ヴァネッサは恐る恐る口を開いた。
「他人に憎い相手を殺させたのに、本当に嬉しそうな顔をしていた。恐ろしいと思った。まさか、人が死んで嬉しいという者がいようとは……。そうだな、命の重さが分からない奴だった。虫唾が走る」
ギッシュはマグカップを片手に、吐き捨てた。
「そんなに喜んでいたんですね」
「そうだ。ただ、都合よく使われただけなのかもしれん。次からは気をつけねば」
ギッシュはコーヒーを飲み干し、自室に戻った。
それからしばらくして、一人の女が訪れた。
テーブルに五十万円が置かれた。
「成功報酬も含んでる。偽りの家族を、壊して」
「なぜ?」
「家族のフリを続けるのがもう、できないから。二度と会いたくないし」
女が冷たく言い放った。
「お前はすべてを失う。二度と後悔しないと、言い切れるか?」
「もちろん」
「分かった。決行は明日の夜」
女はうなずくと家を出ていった。
決行当日の夜。
グレーのシャツとズボンを身に着け、刀を右腰に帯びる。黒のフードつきのコートを羽織った。ギッシュは、家を出た。
しばらく歩いて見えてきた一軒家に押し入った。
「誰だ!」
「貴様らに死をもたらす者。とある人物から、オーダーを受けた」
ギッシュは言いながら、フードを脱いだ。
「ななな、なんなんだ! そ、その目は!?」
目の色を見た男が悲鳴を上げた。
「オッドアイで、色が変わっているだけだろ。なにをそんなに怯えるんだか」
ギッシュは溜息を吐いた。
「正体が分からない奴に、黙って殺されるわけにはいかない!」
隣にいた男が叫ぶと、男女三人が震える手でナイフを握った。
「怯えが隠しきれていないようだが?」
「うるさい!」
左右から三人がいっせいに襲い掛かってきた。
ギッシュは頭を庇うように両腕を立て、攻撃を受けた。
左側にいた二人のナイフが突き刺さる。右腕は硬い音を響かせながら、弾き返されてしまい、女が驚いた。
「右腕にはなにをしてもきかんぞ?」
「その理由は?」
「……こういうわけだ」
ギッシュは溜息混じりに呟くと、刀を床に突き刺し、手袋を外してポケットに捻じ込んだ。
斬られて邪魔な袖を破くと、赤銅色の義手があらわれた。
「義手っ!?」
「上腕義手は珍しいと思うが、なにをそんなに驚いている?」
「まさか、ザサリル輝石を使っているのか!?」
「言い当てた奴には初めて会った」
「戦時下だったころ、鉱石を扱う部署にいただけだ」
「だからか」
ギッシュは言いながら、左腕に刺さっているナイフ二本を抜いた。
二本とも鮮血がついており、ギッシュは床に突き刺した。
「なんて奴だ……」
中ほどまで刺さっていたナイフを抜いたのに、表情が一切変わらないのを見て、言葉を失っている。
「どれだけ傷を増やしても、大した枷にはならん。……絶望したか?」
「おおお、お前はいったい、なんなんだ!」
声が裏返った。
「ただの暗殺者。これでも、人間だよ」
ギッシュは冷たい声で告げた。
「こんな奴が、人間? 認められるわけがない!」
「そんなこと、どうでもいい」
ギッシュは叫んだ男の首を刎ねた。
返り血が頬を汚した。
「死ぬわけにはいかない!」
もう一人の男が、床に突き刺さっていたナイフを手にして、突っ込んできた。
腹を二か所刺されても、ギッシュは冷笑を崩さなかった。
「気がすんだようだな」
ギッシュは左手に構えた刀で、男の心臓を刺し貫いた。
新たな鮮血が飛び散った。
「こんな真似、赦されるはずがないわ!」
女が叫んで逃げようとしたが、肩をつかんで動きを止めさせ、背後から心臓を刺し貫いた。
「おいおい。俺は赦しがほしいがために、こんな真似をしているんじゃあない」
ギッシュは言い放ちながら、骸から刀を引き抜いた。腹に突き刺さっているナイフ二本を抜いた。
ギッシュは無言で刀を鞘に仕舞うと、回収屋に連絡を入れ、肉塊を踏み潰しながら、出ていった。
まだ明るいトサのクリニックを訪れたギッシュ。
「また酷いなあ。今に始まったことじゃないけれど」
トサの言葉を受けたギッシュは、苦笑するしかない。
「頼む」
診察室に入るなり、ギッシュが言いながらコートとシャツを脱いだ。
引き締まった上半身があらわになった。
左腕と腹に四か所の刺し傷があった。傷口からは鮮血がとめどなく溢れている。
トサは慣れた手つきで手当てをすませた。
「深そうだから二週間は禁止だからね?」
トサは凄みのある笑みを浮かべた。
「分かったよ。じゃあな」
ギッシュはシャツとコートを着て立ち上がると、クリニックを出ていった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
リビングのドアを開けると、椅子に座っていたヴァネッサが立ち上がった。
サナンはヴァネッサの部屋で寝ているのか、姿がなかった。
ギッシュはそのまま自室に入り、グレーの半袖と紺の長ズボンに着替えてからリビングに戻った。
左腕に巻かれた包帯を見たヴァネッサの顔が曇った。
「そんな顔をするな」
ギッシュは心配するな、というように笑った。
「左腕だけですか?」
「腹に二か所。腕もそうだが、ナイフで刺された」
「起きていて大丈夫なんですか?」
ヴァネッサが心配そうな顔をして尋ねた。
「コーヒーをもらえるか? 飲んだら休む。治るまで二週間かかるそうだ」
「分かりました。ゆっくり休んでくださいね?」
ヴァネッサはコーヒーの入ったマグカップを、テーブルに置きながら言った。
「分かったよ」
ギッシュはふっと笑いながら言うと、コーヒーを飲み干して自室へ向かった。