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憎悪と狂乱《2》

「ん。……ふう」

 ギッシュはうなずきながらコーヒーを一口飲むと、息を吐き出した。

「どうして怪我をしなかったんですか?」

 ヴァネッサが首をかしげた。

「自分の命を守ろうという、強い意志がなかった。というか、そもそも、誰だって死ぬのは嫌なはず。歯向かってくるなり、足掻くなりするだろう? 彼らにはそれがなかった。恐怖で動けなくなっていた。死が訪れるその瞬間を、黙って見ていることしかできない連中だった」

 ギッシュは低い声で言った。

「なぜそんなにも、怖い顔をしているのですか?」

 ヴァネッサは恐る恐る口を開いた。

「他人に憎い相手を殺させたのに、本当に嬉しそうな顔をしていた。恐ろしいと思った。まさか、人が死んで嬉しいという者がいようとは……。そうだな、命の重さが分からない奴だった。虫唾が走る」

 ギッシュはマグカップを片手に、吐き捨てた。

「そんなに喜んでいたんですね」

「そうだ。ただ、都合よく使われただけなのかもしれん。次からは気をつけねば」

 ギッシュはコーヒーを飲み干し、自室に戻った。



 それからしばらくして、一人の女が訪れた。

 テーブルに五十万円が置かれた。

「成功報酬も含んでる。偽りの家族を、壊して」

「なぜ?」

「家族のフリを続けるのがもう、できないから。二度と会いたくないし」

 女が冷たく言い放った。

「お前はすべてを失う。二度と後悔しないと、言い切れるか?」

「もちろん」

「分かった。決行は明日の夜」

 女はうなずくと家を出ていった。



 決行当日の夜。

 グレーのシャツとズボンを身に着け、刀を右腰に帯びる。黒のフードつきのコートを羽織った。ギッシュは、家を出た。

 しばらく歩いて見えてきた一軒家に押し入った。

「誰だ!」

「貴様らに死をもたらす者。とある人物から、オーダーを受けた」

 ギッシュは言いながら、フードを脱いだ。

「ななな、なんなんだ! そ、その目は!?」

 目の色を見た男が悲鳴を上げた。

「オッドアイで、色が変わっているだけだろ。なにをそんなに怯えるんだか」

 ギッシュは溜息を吐いた。

「正体が分からない奴に、黙って殺されるわけにはいかない!」

 隣にいた男が叫ぶと、男女三人が震える手でナイフを握った。

「怯えが隠しきれていないようだが?」

「うるさい!」

 左右から三人がいっせいに襲い掛かってきた。

 ギッシュは頭を庇うように両腕を立て、攻撃を受けた。

 左側にいた二人のナイフが突き刺さる。右腕は硬い音を響かせながら、弾き返されてしまい、女が驚いた。

「右腕にはなにをしてもきかんぞ?」

「その理由は?」

「……こういうわけだ」

 ギッシュは溜息混じりに呟くと、刀を床に突き刺し、手袋を外してポケットに捻じ込んだ。

 斬られて邪魔な袖を破くと、赤銅色の義手があらわれた。

「義手っ!?」

「上腕義手は珍しいと思うが、なにをそんなに驚いている?」

「まさか、ザサリル輝石を使っているのか!?」

「言い当てた奴には初めて会った」

「戦時下だったころ、鉱石を扱う部署にいただけだ」

「だからか」

 ギッシュは言いながら、左腕に刺さっているナイフ二本を抜いた。

 二本とも鮮血がついており、ギッシュは床に突き刺した。

「なんて奴だ……」

 中ほどまで刺さっていたナイフを抜いたのに、表情が一切変わらないのを見て、言葉を失っている。

「どれだけ傷を増やしても、大した枷にはならん。……絶望したか?」

「おおお、お前はいったい、なんなんだ!」

 声が裏返った。

「ただの暗殺者。これでも、人間だよ」

 ギッシュは冷たい声で告げた。

「こんな奴が、人間? 認められるわけがない!」

「そんなこと、どうでもいい」

 ギッシュは叫んだ男の首を刎ねた。

 返り血が頬を汚した。

「死ぬわけにはいかない!」

 もう一人の男が、床に突き刺さっていたナイフを手にして、突っ込んできた。

 腹を二か所刺されても、ギッシュは冷笑を崩さなかった。

「気がすんだようだな」

 ギッシュは左手に構えた刀で、男の心臓を刺し貫いた。

 新たな鮮血が飛び散った。

「こんな真似、赦されるはずがないわ!」

 女が叫んで逃げようとしたが、肩をつかんで動きを止めさせ、背後から心臓を刺し貫いた。

「おいおい。俺は赦しがほしいがために、こんな真似をしているんじゃあない」

 ギッシュは言い放ちながら、骸から刀を引き抜いた。腹に突き刺さっているナイフ二本を抜いた。

 ギッシュは無言で刀を鞘に仕舞うと、回収屋に連絡を入れ、肉塊を踏み潰しながら、出ていった。



 まだ明るいトサのクリニックを訪れたギッシュ。

「また酷いなあ。今に始まったことじゃないけれど」

 トサの言葉を受けたギッシュは、苦笑するしかない。

「頼む」

 診察室に入るなり、ギッシュが言いながらコートとシャツを脱いだ。

 引き締まった上半身があらわになった。

 左腕と腹に四か所の刺し傷があった。傷口からは鮮血がとめどなく溢れている。

 トサは慣れた手つきで手当てをすませた。

「深そうだから二週間は禁止だからね?」

 トサは凄みのある笑みを浮かべた。

「分かったよ。じゃあな」

 ギッシュはシャツとコートを着て立ち上がると、クリニックを出ていった。



「ただいま」

「お帰りなさい」

 リビングのドアを開けると、椅子に座っていたヴァネッサが立ち上がった。

 サナンはヴァネッサの部屋で寝ているのか、姿がなかった。

 ギッシュはそのまま自室に入り、グレーの半袖と紺の長ズボンに着替えてからリビングに戻った。

 左腕に巻かれた包帯を見たヴァネッサの顔が曇った。

「そんな顔をするな」

 ギッシュは心配するな、というように笑った。

「左腕だけですか?」

「腹に二か所。腕もそうだが、ナイフで刺された」

「起きていて大丈夫なんですか?」

 ヴァネッサが心配そうな顔をして尋ねた。

「コーヒーをもらえるか? 飲んだら休む。治るまで二週間かかるそうだ」

「分かりました。ゆっくり休んでくださいね?」

 ヴァネッサはコーヒーの入ったマグカップを、テーブルに置きながら言った。

「分かったよ」

 ギッシュはふっと笑いながら言うと、コーヒーを飲み干して自室へ向かった。

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