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憎悪と狂乱《1》

 それからしばらく経ち、ギッシュの怪我が治ったころ、一人の男が家を訪れていた。

 オーダーをしたいという男を見ながら、ギッシュは訝しんでいた。

 かなり、のほほんとしていたからだ。隠しきれない憎悪や苦しみを訴えてくる者が多いが、この男、そうではない。

「それで、誰を殺してほしいんだ?」

「そうだね、りつみのる。兄なんだけれど、いい加減死んでほしくて」

 のんびりお茶を飲みながら、男が言った。

「金は?」

「ここに。成功報酬も含めた百万円」

 男は鞄から金の入った封筒を取り出して、テーブルに置いた。

「確かに。二度と、後悔しないか?」

 ギッシュは中身を確認してから、男に尋ねた。

「しない。そうでなきゃ、ここにはいないよ」

「それもそうだな。決行は明日の夜」

「うん。お茶、ご馳走様」

 男が出ていくのを見送り、ギッシュは自室の金庫に金を仕舞った。



「もういいぞ」

 ギッシュが言いながら、ヴァネッサの部屋のドアを叩いた。

 中からヴァネッサとサナンが出てきた。

「今回はのほほんとしている男からのオーダーだ。兄を殺してほしいんだと」

「なぜ、のほほんとしていたのでしょうか?」

 ヴァネッサが首をかしげた。

「……分からん。本当に殺してほしいのか、最後まで怪しかったが。後悔しないと言っていたから、引き受けた」

「本心が知りたいですよね」

「ああ。仮面を剥いでやるさ」

 ギッシュが冷笑しながら言った。

「ちゃんと、戻ってきてください」

「分かっている。喧嘩、するなよ?」

「しません!」

 ギッシュはふっと笑うと、自室に引っ込んだ。



 決行当日の夜。グレーのシャツとズボンを身に着け、刀を右腰に帯びてから、黒のフードつきのコートを羽織った。黒の革手袋を嵌め、家を出た。

 目的の家に着くなり、ドアを蹴破った。

 大きな音で、中にいる人間を表に呼び寄せた。

 ギッシュの狙い通りに動いた五人の男女を睨みつけた。

 オーダーしてきた男が叫んだ。

「あんたらには、ここで死んでもらう!」

「貴様らに拒否権はない。……命を、奪い取る」

 ギッシュは冷ややかな声で告げた。

「……なんでなんだい? 時房」

 沈黙を破ったのは、實だった。

「この際だから、はっきり言わせてもらう。あんたが憎い。ずっと、ずっと、知られないように隠してきた」

「それで?」

「それも限界ってこと。あんたはなんでも手に入れて、幸せになっている。そんな姿を間近で見ていて、もう憎くて憎くて」

「自らの手で、やろうとは思わなかったのか?」

 實の声はあくまで静かだった。

「思ったよ。でも、殺せない可能性もあるから、オーダーしたんだ。こうすれば、確実に死ぬでしょう?」

 時房は嬉しそうな笑みを浮かべた。

「話は終わりか? 言っておくが、こいつの家族全員殺す」

「そうして? じゃないといろいろ困るから」

 ギッシュは刀を抜いた。

「ままま、待ってくれ!」

 立ち去ろうとした時房に、實が慌てて声をかけた。

「命乞いでもするわけ?」

 振り返った時房は冷たい視線を向けた。

「今までのことは悪かった! どど、どうすれば、私達は生きられる?」

「ちゃんと聞いてた? 生きるなんて赦さないって言ってんの。あんたらは、気づくのが遅すぎた」

「お前の前にはもう姿を見せない! だから、命だけはっ!」

「ふざげるなっ!」

 時房は叫んで、立ち去った。

「話を聞いて、最初は疑った。のほほんとしすぎていたからだ。今のが、本当の顔、なんだろうな」

 ギッシュは左手に刀を持って、彼らとの距離を詰めた。

「なんで……?」

 實が呟いた。

「さあな。ただ言えるのは、貴様らの目は節穴だった。ということだけだ」

 ギッシュは言いながら、近くにいた子ども二人の首を刎ねた。

「子ども達まで!?」

「子どもに残酷な死を受け止めろというわけか? まともに生きられやしないと、なぜ分からない?」

「くっ……!」

 右腕に返り血を浴びたギッシュが、冷たく睨みつけた。

「足掻かないのか。無慈悲に自分の命が奪われるというのに、恐怖で動けない。なにもできないわけか。恐怖も人が抗えないものの、ひとつだな。本当に、哀れだな」

 ギッシュは言い放つと、實と妻の首を刎ねた。両腕に返り血を浴びたギッシュは、刀を鞘に仕舞い、回収屋に連絡を入れた。

 しばらく歩いていると、曲がり角で時房が待っていた。

「全員殺した」

「それならよかった! これで、ようやく自由に生きられる! あんなバカな連中、死んで当然なんだ!」

 時房は本気で喜んでいた。

「じゃあな」

 ギッシュはそんな時房を冷ややかな目で見た後、帰路についた。



「帰ったぞ」

「怪我したんですよね?」

 リビングにいたヴァネッサが駆け寄ってきた。

「今回はしなかったぞ。……着替える」

 ギッシュはそれだけ告げると、自室に引っ込んだ。

「しなかったですって!?」

 ヴァネッサは素っ頓狂な声を上げた。

「よかったね」

 その様子を見ていたサナンが言った。



 グレーの半袖と紺の長ズボンを着たギッシュが、リビングにやってきた。

「よかったら、どうぞ」

 ヴァネッサは温かいコーヒーが入ったマグカップをテーブルに置いた。

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