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過去と現在

 ヴァネッサは風呂に入りながら、過去を話そうと決意した。

 風呂を出て、髪を乾かしてリビングに戻ると、缶ビールをグラスに注いでいるギッシュと、床でのんびりしているサナンの姿があった。

「あの」

「ん?」

「私の昔話、聞いてくれませんか?」

「いいぞ、長くなっても大丈夫だ」

「ありがとうございます。私の両親は、国に対して戦争を起こした側、つまり、ギッシュさんの敵だったのです」

「それで?」

「私は両親とともに、あちこちを逃げ回りました。ある日、廃墟に身を隠していたのですが、両親が追っ手を振り切るために戦いました。そして……」

「ん」

 ギッシュが目で先を促した。

「銃で頭を撃たれて、倒れていたんです。声をかけても、何度揺すっても、目を開けなかったんです」

「あの戦争は、敵ならば、誰であっても生かすな、という指示がいきわたっていた」

「今思うに、私が生き残れたのは、子どもにはなにもできないというただの情けかと。そりゃ、憎くないというのは噓になります。けれど、両親の分まで生きることが重要でした」

「辛かったな」

「戦争ではなにを失ってもおかしくないんです。誰かが幸せになる。そんなことありはしないんです」

 ヴァネッサは泣きながら言った。

「そのとおりだ。でも、お前は親に愛されていたから、生きてこれたんだろ?」

「私が憎しみに囚われなかったのは、両親の愛のおかげかもしれません」

「人間らしいと思うぞ。俺はそういう部分を持っていない」

 ギッシュは無表情で吐き捨てた。

「それはそれで、とても哀しいことですよ」

「……そうか。話してくれたことには感謝する」

 ギッシュは言いながら、ビールを呑んだ。



 一週間が経ったある日、ギッシュの許にオーダーが入った。実の妹を殺してほしいとのことで、十万円を受け取り、その日の夜に妹がいる家に向かった。その途中で一人の少年に会った。

「どうしてついてくる?」

「行き先が一緒なだけでしょ。それで、誰?」

 ギッシュは低い声で名乗った。

「ぼくは太津たつろう。この先の家に住んでる子に、会いにいくんだ」

 太津朗は嬉しそうに言った。

「……俺もその家に用がある」

「連れていってあげる!」

 ――まあいいか。

 ギッシュは嬉しそうな太津朗を冷ややかに見ながら、歩き続けた。

「あの子ね、とても可愛いんだ。今夜好きって言うんだ!」

 話している間に、家の前に着いた。

 ギッシュがチャイムを鳴らすと、ターゲットの少女が出てきた。

「お前には酷だろうが、事実を受け止めてもらわねば」

「え……?」

 ギッシュは左手に握った短刀で、少女の心臓を刺し貫いた。鮮血に染まった短刀が骸から引き抜かれ、どさりと倒れた。

「なんで? なんで? どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの!?」

 太津朗が骸に駆け寄り、地面についた膝と両手が、鮮血に染まっていく。

「理由くらいは教えてやるか。こいつを憎み、殺してほしいという者がいるからだ」

 右頬に返り血を浴びたギッシュが、冷ややかな声で言った。

「今日こそはって思っていたのに! なんでよりによって、今日なのさ! 殺すなんて……あんまりだ!」

 太津朗が泣き叫んだ。

「お前もここで死ぬ。あの世で、自分の想いを告げるがいい」

「ふざけないで! この人殺し!」

「それで俺の心を、傷つけた気になってんのか? 甘すぎるぞ。こんなの、お前が知らないだけだ。毎日誰かが死んでいる。それを知らないと言い張って、自分の想いすら伝えられない。小心者のお前には、俺の闇の一部を教えてやる。冥途の土産だ」

 ギッシュは言いながら、右手の手袋を外した。

「え……!? 右手、失ったの……?」

「手だけじゃない。俺はとある出来事で、右腕を失った。俺は誰かを殺して生きている。それをやめることもできない。この世がいかに、穢れているのかは知っている。与えられるだけの生など、まぼろしにすぎないんだよ。死は身近にあるもんなんだ」

 ギッシュは言い、刀を抜いた。

「これが武器? なんで、こんなに綺麗なの……?」

 太津朗が困惑した。

「見惚れている場合か。憎しみをぶつけたいなら、好きにしろ」

 ギッシュは吐き捨てると、太津朗の目の前に短刀を突き刺さした。

「お前がいなければ、ぼく達はいつもどおりの日々を送れたんだ! ぼくからすべてを奪った奴に、生きている価値なんか、ないんだよ!」

 太津朗は叫ぶと、片膝をついているギッシュに向かって突進した。

 右胸に短刀が突き刺さり、ぐいぐいと刺し込まれた。

「子どもだから、それくらいの力しかない。さらばだ、愚かな少年よ」

 ギッシュは手にしていた刀で、太津朗の心臓を刺し貫いた。

「お前を……ゆるさ、ない……」

 それが太津朗の最期の言葉だった。

「……帰るか」

 家の前に転がるふたつの骸を一瞥し、回収屋に急いでくるようにと、連絡を入れた。なにごともなかったかのような顔をして、短刀を引き抜き、鮮血を殺ぎ落としてから鞘に仕舞う。手袋を嵌めながら、立ち去った。近くの曲がり角で、オーダーをしてきた青年に会い、成功報酬二十万を受け取った。

 金の入った紙袋を手に、トサのクリニックへ向かった。



「俺だ」

「こんばんは。いつもと一緒で酷い傷だね」

「はは」

 ギッシュは苦笑するしかなかった。

「ほら、さっさと入って」

 診察室に入ると、ギッシュはコートとシャツを脱いだ。

 右胸に刺し傷があった。

「結構深いから、二週間ぐらいかかると思うよ?」

「はあ……」

 ギッシュは嫌そうに顔を歪めた。

「そんな顔するなら、怪我をしなきゃいいんだよ」

 トサが言いながら、手当てをしていく。

「無理を言うんじゃねぇよ」

 トサの手が離れたのを見て、シャツとコートを着たギッシュは、クリニックを出ていった。



「帰ったぞ」

 ギッシュはテーブルに紙袋を置きながら、ふうっと息を吐き出した。

「お帰りなさい」

 ヴァネッサがサナンとともに、自室から出てきた。心配そうな顔をしている。

「そんな顔をするな。俺は大丈夫だ」

 ギッシュが手袋を外した。

「はい……でも」

 ヴァネッサは心配そうな顔のまま言った。

「なんだ?」

「痛いのに一切口にしないあなたを見ていると、胸が締めつけられます」

「なんだと?」

 ギッシュは訝しげな顔をした。

「痛いと告げることは、悪いことじゃありません。あなたはそれすらも、封じ込めてしまったんですね」

 ギッシュは無言で、自室のドアを開け、部屋に一歩足を踏み入れた。

「そうだ」

 ヴァネッサの視線を感じつつ、ギッシュはコートとシャツを脱ぎ捨てた。

 包帯が巻かれ、痛々しい古傷に塗れた上半身があらわになった。

 ヴァネッサが駆け寄り、背中にそっと触れる。

「どうして怪我をしたのかだけでも、聞かせてください」

 ギッシュは怪我をした経緯を話した。

「というわけだ」

「あなたはもう、奪う側の人間になってしまったのですか?」

 ヴァネッサが泣きながら、背中に額を押しつけた。

「……そうだ。心も身体も差し出し、斬り捨てた」

 ギッシュは無表情に言った。

「こんなに! 痛みを引き受けているのなら、誰よりも辛いはずです!」

 ヴァネッサは嗚咽を噛み殺しながら、叫んだ。

「そんなのはな、もう、忘れたよ」

 ギッシュは遣る瀬無い笑みを浮かべた。

「残酷すぎます」

「なぜ、泣くんだ?」

「私は感情を押し殺せないんです。そんなことをしたら、余計に辛いだけです」

「そうだな」

 ギッシュは言いながら、ヴァネッサが泣きやむまで、じっとしていた。

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