それからしばらく経ったある日、すっかり怪我もよくなったギッシュは、家を見上げる男を見つけた。
「なんの用だ」
冷たい声で尋ねると、男がこちらに視線を向けてきた。
「あんたが〝冷酷な鬼神〟?」
「そうだが」
「やっと、やっと、見つけた! あんたを殺しにきた」
男が言いながら、折り畳み式のナイフを構えた。
「恨みでも買ったか? 俺と貴様は初対面だが」
「戦争で弟を、お前に殺された!」
「よほど大事な弟だったんだな。そして、バカな男だ。そんなナイフで、人を殺せるわけがないだろう。殺すなら……こういうものでも持ってきてから言え」
ギッシュは言いながら、右腰に帯びていた刀を抜いた。
「なな、なんだよ! その刀!」
男が怯え出した。
「一瞬でも見惚れてしまって、動揺しているようだな。せいぜい傷つけるくらいしかできん」
「うう、うるさいっ!」
男は震える手でナイフを握って、突き出してきた。
その様子を見たギッシュは溜息を吐きながら、刀を持ち替える。左腕にナイフを受けて、鮮血が溢れ出した。
「咎人になった気分はどうだ。人を傷つけた気分はどうだ」
恐ろしいほど冷たく嗤い、ギッシュが言った。
「……お前を殺せる一歩に繋がるなら。何度だってやってやる!」
――憎しみでどれだけ哀しいことなのか、気づいていない……か。ま、ここで殺すがな。
ギッシュはそんなことを思いながら、男の腹を蹴り飛ばした。
男はそのまま近くの電柱に激突した。
咳き込む男を見ながら、ギッシュは意識があること、そしてこちらに視線が向いていることを理解し、右手でナイフの柄を握った。
突き刺さっているナイフを一息で抜き、投げ捨てた。
「貴様はここで死ぬ。あの世で弟と再会すればいい」
鮮血が流れている左腕を見ながら、ギッシュが言った。
「なんで、なんでっ! 痛みがあるはずなのに、そんな顔をしているんだよ!」
「貴様に教えることではない。さっさとしろ、俺は暇じゃあない」
男は捨てられたナイフをつかんで突き出してきた。
腹に突き刺さり、男は強引にナイフに力を込めて、ざっくりと斬り裂いた。
ギッシュは口端から鮮血を滴らせながらも、
「なら、これならっ!」
男が叫んで、右腕に狙いを定め、ナイフを繰り出してきた。
――がきんっ!
「無駄だ」
「え?」
予想していなかった硬い音を聞いて、男はきょとんとした。
「狙わなければよかったものを」
ギッシュは溜息を吐いて、ナイフで切られた袖を、刀で切り捨て、手袋をポケットに押し込んだ。
「なっ……!」
男はそれしか言えなかった。
憎い相手が隻腕だと、夢にも思っていなかったようだ。
「義手なんて、そうそう見るもんじゃないんだな」
ギッシュは呟くと、刀を握り直した。
「なんとしても殺す! おらあああっ!」
男は心臓を狙ってナイフを繰り出してきた。
「さすがにその攻撃を受けるわけにはいかない」
ギッシュは言いながら、右掌でナイフを受け止めた。
男の顔が歪んだ。
「なら、そこ以外を狙うだけだ!」
男は叫んでナイフを引き、右胸に突き刺した。
ギッシュの口端から、新たな鮮血が零れ落ちた。それでも、不敵な笑みが消えない。
男はその様子に怯えたのだろう。ナイフをさらに深く突き立てて、一息に抜いた。
右胸の傷から鮮血が溢れ出した。
「どこを刺しても、変わらんぞ? やられっぱなしというのも、気分が悪い」
ギッシュはぞっとするほどの冷笑を浮かべ、刀を振り下ろした。
斬撃を喰らった男はよろよろと後ずさった。
「これくらいの痛み!」
「急所は外したが、かなりの傷だ。……強がりはよせ」
ギッシュはぐいっと左手で、口端から滴る鮮血を拭った。
「こんなの、認めない!
男は痛みを力に変えたのか、ナイフを手に突っ込んできた。
「警告はしたぞ」
ギッシュは呟くと、男の右腕を斬り落とした。
「なっ! ぐあああああっ!」
二度と動かない右腕を見つめて、男が叫んだ。
「うるさい。……俺の声など届いていないだろうが。貴様には、苦痛を味わってもらう。声を失うのは最後にしてやる」
激しい痛みにのたうち回っている男に告げると、ギッシュは痛みから意識を引き剥がすため、顔すれすれに刀を突き立てた。
「ひっ!」
脂汗をかいている男が、顔を青くした。
「俺を殺す……か。バカなことを。できないと分かっただろう? その身体ではもう、満足に動けまい。それに、憎むだけにしておけばよかったものを。そうすれば、己の死期を早めることもなかったはずだ」
溜息混じりに言っているギッシュだが、目が据わっている。
「なんで、なんで。なにもできないんだよぉっ!」
男が泣きながら叫んだ。
「なにもかもが、俺より劣っていた。それだけの話だ」
ギッシュは言い捨てると、左腕を斬り落とした。
「ぎゃああああああっ!」
男が叫んだ。
ギッシュはうるさそうに顔をしかめた。
「さっさとしなければ」
ギッシュは言い放つと、素早く両脚を斬り落とした。
男がまた叫ぶ。
「痛いだろうな。喜べ、一撃で地獄に送ってやる」