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人として見做されない世界《5》

 頬を一筋の涙が伝った。

 無残な姿を見て、立ち去ろうとしたそのとき。

「あれまあ。全部、一人で殺したわけ?」

「誰だ」

 ギッシュがあらわれた男を見て、美しい顔を歪めた。

「キヅチって者だけど。どんな奴が暴れてるのかと思ってきてみたら。まさかこんなにもイケメンだったとはね。ギッシュ・キルロール。〝孤高の鬼神〟と呼ばれるだけのことはある。手を組まない?」

「は?」

 ギッシュは涙を拭って、訝しげな顔をした。

「こっちの正体を明かさないとだね。〝回収屋〟の元締めなんだ。骸の状態がいいから、もしこれからも誰かを殺すのであれば、その後始末を引き受けるよ。腕は確かなようだし?」

「俺はずっと誰かを殺していく。だが、どうやって殺す人間を見つければいいのか、分からない」

 ギッシュは溜息を吐きながら言った。

「じゃあ怖い通り名でも決めよう。〝冷酷な鬼神〟なんてどう?」

「いいとは思うが。……なんのつもりだ?」

 ギッシュは疑いの目を向けた。

「こっちで、その通り名の噂を流しておくから。それで誰かがきたら、法外な金を要求するなり、後悔しないか確認するなり、好きにすればいいよ。やってみなきゃ分かんないしね。殺しが終わったら、骸の現在地をメールするだけ。簡単でしょ? はい、これ」

 ギッシュは黒のスマートフォンを受け取った。

「……分かった」

 これがギッシュとキヅチとの邂逅だった。

 ――なにかを得たいのなら、大事なモノを犠牲にしなければ。俺は誰も傷つけずに生きられそうもない。人の闇を見続けるしかないのかもしれない。

 ギッシュはそんなことを思った。


* * *


「長くなったな。悪い」

 窓を見て日が落ちていることに気づいた、ギッシュが言った。

「いいんですよ」

 ヴァネッサが泣きながら言った。

「それから俺は〝冷酷な鬼神〟と名乗り、オーダーを受け始めた。その中で思ったんだ。この国には誰にも知られていない、闇の側面が確かにあるのだと。警察や、法律があてにならない人が、いきつくところがない。俺はそんな人達のために、裏稼業として殺しを引き受け、代わりに彼らの恨みや怒りを晴らすことにした。これが正義だ、なんて思っちゃいない。誰も救われない。だが、見て見ぬフリはしたくなかった」

 淡々と語ったギッシュの横顔には、表情が失せていた。

「……あなたは、自分のことが大事じゃないんですか?」

「そうだな。今さら自分を大事にできないしな。怪我をすることは仕方のないこと」

「怖くないんですか……? 死と隣り合わせで」

 ヴァネッサは涙を拭いながら言った。

「恐怖はない。ずっと死とともに生きてきたからな」

「哀しいです! あなたは傷ついてボロボロなのに、誰にも言うことなく、独りで抱え込んできたんですよね?」

「そうだ」

 ギッシュは低い声でうなずいた。

「なんで、辛いって言えないんですか!?」

「言えるわけがないだろ。誰も聞く奴なんかいない」

「私が聞きます!」

「は?」

 ギッシュは思わず聞き返した。

「ここにいるだけなんて、嫌です! 話を聞くくらいしかできませんけれど、なにもしないよりはいいです!」

「怪我の内容くらいなら、話せる」

 ギッシュは右手で頭を掻き、溜息を吐いた。

「今回はどれくらい大人しくしていないといけないんです?」

「明日まで。風呂はやめておく」

「今度で構いません。私の話も聞いてください」

「分かった」

 短い一言に、ヴァネッサは微笑んだ。



 ヴァネッサは風呂をすませ、自室に戻った。

 ――本当に、強い人ですね。その反面とても哀しい人にも見えます。

 まさか、そんな異名を持っている人が、誰よりも痛みを引き受けていたとは、驚いた。

 自分のことなんて、本当にどうでもいいのかもしれない。過酷な中、今まで生きてきたことに、出会えたことが奇跡なのではないか。そんなことを思った。

 ヴァネッサがギッシュにできることは、そう多くはないし、大したことはできない。

 せめて、オーダーのたびに生きて戻ってきてくれたら。ヴァネッサはそれを願うことしかできなかった。

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