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人として見做されない世界《4》

 ギッシュは右手が使いこなせるようになるまで、必死に訓練を続けて、二年が過ぎた。

 最初のころに比べてかなり、動かせるようになった。日常生活には支障がないほどだった。傷塗れだった身体も、回復していた。適度な運動もしつつ、いつここを抜け出して、上官を殺しにいこうか、考えていた。

 看護師からの情報だが、ここは軍お抱えの病院なのだという。使えなくなった兵士達を一生閉じ込めておくための場所だというのは、ギッシュの憶測にすぎない。が、間違いではないはずだ。軍は外部に情報が漏れることを嫌う。なんとしても、ここから出なくては。



 怪我が完治しても、退院という措置が取られないまま、一月が過ぎた。スーツを身に纏い、黒の革靴を履いた。

 ギッシュは朝早く病室を抜け出した。

 看護師に会わないよう、物陰に隠れる。

 病室から少し離れただけなのに、誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。

 ――もうバレたのか。悠長なことは言ってられないか。

 ギッシュは溜息を零すと、誰もいない廊下を駆け出した。

 入口近くまでやってきたギッシュは、不愉快そうに顔を歪めた。

 入口には武装した男達が大勢いたからだ。

 ――丸腰だしな。武器を奪える機会があるのはありがたい。

 ギッシュはそう思うことにして、駆け出した。

 目の前に迫ってきた弾丸を右腕で防ぐと、弾がすべて弾かれた。

 敵とギッシュが驚いた。

 ――相当硬いんだな。

 ギッシュは呆気にとられている男に迫り、銃器と腰に帯びていた剣を奪った。

 慣れた手つきで構え、男十人を一瞥する。

 くるりと背を向けて、外に出た。

 出て右に向かうと、軍の司令塔が見えた。

 その周辺には、上官らが暮らしている場所と、地下にギッシュが暮らしていた監獄のような部屋がある。

 ギッシュは追い駆けてくる男達を無視して、かつての上官の部屋へ向かった。

 邪魔する者は全員斬り捨てた。すべての部屋を回った。

 骸を踏み越えて、上官の部屋の前にいき、ドアを蹴り開けた。


「きたか。わたしを殺すつもりか? そんなことをして、いったいなんの得がある?」

「貴様を殺したところで、俺の犯した罪も、過去も消えやしない。だがな、貴様らのような人でなしは、殺さなければならない。貴様らの方がよっぽど罪深いのだから。それに」

「それに?」

「俺のような者を二度と出さないために、ここを潰す。戦争が終わってから、道具を探すのもやめたようだしな」

「たった一人になにができる?」

 上官が鼻で嗤った。

「俺はここで育った、怪物だ。これはけじめだ。誰であろうと、斬り捨てる」

 ギッシュは言いながら、手にしている武器を握り直した。

「仕方ない。相手をしてやる」

 上官が剣を構えた。

 ギッシュは銃器をその場に捨て、剣を片手に突っ込んだ。

「なかなかに重い一撃だな。だが、お前の戦い方は知っている!」

 幾度となく繰り出した攻撃すべて、上官に受け止められてしまった。

 ギッシュは美しい顔を歪めて、いったん距離を取る。

「こちらからもいくぞ!」

 上官が剣を振り下ろしてきた。

 ギッシュは咄嗟に右腕で受け止めた。

 ぎりぎりと力を込めてきたが、義手はびくともしない。

「簡単に壊れるような造りではないからな」

 上官は忌々しげに顔を歪めた。

「右腕を壊し、お前の意思も砕いてやるつもりだったが」

「無茶を言う」

 ギッシュが吐き捨て、ボロボロになった右腕の袖を斬り落とした。

「なっ……!」

 上官はあらわになった上腕義手を見て、美しい、と思ってしまった。一瞬、魅了されてしまった。

「隙だらけだぞ」

 ギッシュは呟くと、右腕を斬り落とした。

「ぐっ、あああああああっ!」

 上官は焼けるような激しい痛みに叫んだ。

「俺は右腕を失くしたとき、叫ぶこともせず、ただ、貴様の命令を遂行するためだけに、戦い続けた。それは間違っていた。生まれてから十八年、貴様の道具として、自分のことなど一切考えてこなかった。かといって、今さら自分を大事にすることもできない。俺が抱えていくしかものなのかもしれない。俺は生きる。だが、貴様達には報いを」

 ギッシュは低い声で言った。

 鮮血の滴る剣を構え、右脚に深々と突き刺した。

 激しい痛みに、上官は床に座り込み、叫んだ。

 ギッシュはその声を無視し、左脚に剣を突き立てた。

 叫びを聞きながら、ギッシュは思った。

 ――俺はともかく、人は〝痛み〟に弱いのか。

 脂汗をかいている上官を睨みつけた。

「どれほどの痛みか、思い知ったか? 俺は泣き叫ぶなんてことはできなかった。目の前で少年達が死に、人を殺し、俺はいつしか感情を捨てた」

「お前はよく動いてくれた。一番優秀な道具だった。怪我などしなければ、こんなことにはならなかったはずだ」

「俺は、貴様らが間違っていることを、俺の生き方が、間違っていることを知った。右腕を失わなければ、気づけなかったことだ。俺は道具じゃあない。自分の思いも手に入れた。地獄であることに変わりないが、俺のやりたいように生きてやる」

「……ここがおかしいことを知って、反旗を翻した。お前を捨ててよかった。お前は生きているだけで罪なんだよ」

「黙れ」

 ギッシュは言いながら、右脚の傷を抉った。

「お前は、人間なんかじゃない。ただの咎人とがにん。そして、殺戮兵器だっ!」

 それが上官の最期の叫びだった。

 ギッシュはその言葉を聞きながら、心臓を刺し貫いた。

「そんなの、貴様に言われなくても、分かっている。俺は貴様にすべてを奪われた。殺したところで、なにも戻ってこない。最低な奴だよ、貴様は。俺は生きると決めたんだ」

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