短剣を右腕一本で防ぎ続けること十分ほどが経ち、男が挑発した。
「飽きたな」
ギッシュは左手に構えた刀の向きをくるりと変えて、逆手に持った。
男とギッシュの攻撃が同時だった。
男の短剣が腹を刺し貫き、ギッシュの刀は右手首を斬り落とした。
「ぐああああっ! まだ、まだ、これくらいなら! やれる!」
左手に握られた短剣が迫ってきた。
口端から鮮血を滴らせるギッシュは、不敵な笑みを崩さない。
右胸を短剣が貫く鈍い音が響いた。
「諦めろよ」
「これでっ! どうだっ!」
ぜぇぜぇと息を吐きながら、男が叫んだ。
「大した痛みではない。こんなのは」
ギッシュは言い放つと、右腕を斬り落とした。
動かない右腕がごとりと床に落ちた。
「ああああああっ!」
さらなる痛みに、男が絶叫した。
「ここから、逃げっ……!」
ギッシュは男の言葉を遮るように、心臓に刀を突き刺した。
鮮血の滴る刀を引き抜くと、切っ先を茫然としている女に向けた。
「ああああ……。この人なら、守ってくれる。そう思っていたのに。あなたは、守ってくれる?」
「ふざけるな。貴様なんぞ、守る価値がない。貴様は一人で、死ぬしかないんだよ。……これも邪魔か」
ギッシュは鼻で嗤いながら言い放ち、短剣を右手で引き抜いて捨てた。続いて斬られてボロボロのコートとグレーのシャツをつかんで、右腕の部分を破いて捨て、嵌めていた手袋を外した。
「っ!」
女はあらわになった義手に目を奪われていた。
「見惚れるほど、なのか」
ギッシュの一言で、女が我に返り、骸の傍らに落ちていた短剣を拾って構えた。
その両手はがたがたと震えている。
――哀れだな。そして、怯えているのだろう。
ギッシュはそんなことを思いながら、刀を握り直した。
「ひっ!」
女が悲鳴を上げた。
「足掻くなら勝手にしろ。貴様は、ここで終いだ」
ギッシュはあえてゆっくり刀を振り上げた。
「ああああっ!」
女がその間に突っ込んできた。
左胸に短剣が突き刺さった。
ギッシュは咳き込んで、鮮血を吐き出した。
女はかなり強い力で、突き刺さった短剣で傷を抉った。
「ふっ……ははは」
ギッシュは恐ろしいほど冷たい目で、女を見下ろした。
「なんで、笑っているの?」
「この程度の傷で、弱ったと思った貴様の浅はかさを、嗤っているだけだ」
「死にたくないのよ! あんたを殺してでも、生きたいのよ!」
「自分のことしか頭にない女が、この国で生きたいと? ふざけるな」
ギッシュは笑みを消し、低い声で言うと、女の首を刎ねた。
「ごめ……」
「謝罪か。遅すぎるんだよ、このバカ」
倒れる骸に対して、ギッシュは吐き捨てた。
骸の現在地をメールしてスマートフォンを仕舞った。
コートを羽織り、ポケットに手袋を突っ込んで、刀についた鮮血を殺ぎ落とす。
刀身を一瞥してから、鞘に仕舞うと、ふたつの肉塊を避けながら、家を出ていった。
ギッシュが向かったのはトサが営んでいるクリニック。煌々と明かりがついていたのを見て、相変わらずだなと思いつつ、ドアを開けた。
「邪魔するぞ」
「君かい。あーあ、また派手にやったねぇ」
トサの言葉にギッシュは苦笑するしかない。
診察室に入ると、コートとシャツを脱いだ。
「傷はこれだけ? それにしては、どれも深いよ。なんでこんなに傷ついているのに、表情は変わらないわけ? むしろ辛そうな顔をするのが普通だと思うけれど?」
「顔に出すわけにはいかない」
ギッシュは吐き捨てた。
「まったく君は。本当にボロボロなんだから」
ギッシュは無言。トサに言われた言葉に反論ができない。そのとおりなのだから。今回は、腹と両胸に怪我をしている。三か所の傷からは、だらだらと鮮血が流れている。
「抉られてるところもあるね。ガーゼと包帯をしておくから。すぐにはオーダーを受けないで」
「どれくらいだ?」
「せめて、一週間」
「……分かったよ」
ギッシュは溜息混じりにうなずいた。
それからしばらくして、トサの手が止まった。
「手当てはこれでお終い」
「そういえば」
「なに?」
トサが首をかしげた。
「ヴァネッサという女に、家事を任せることにした」
ギッシュは低い声で言った。
「おや、珍しい。恋人候補?」
「珍しいってな……。そんなわけがないだろうが」
「だよね。じゃ、一週間後にまたきて」
「ああ」
ギッシュはシャツとコートを着ると、クリニックを後にした。
「ただいま。……寝ていても、よかったんだぞ?」
リビングに顔を出すと、ヴァネッサがいた。
「お帰りなさい。怪我、したんですか?」
コートを脱ぐギッシュを見ながら、ヴァネッサが心配そうに尋ねた。
「手当てはしてきたから大丈夫だ」
「あ。これ。とても疲れ切った男性からです」
ヴァネッサは言いながら、分厚い封筒を差し出した。
「ん。成功報酬の五十万か」
ずしりと重いそれを受け取りながら、ギッシュが呟いた。
「五十万っ!?」
「多額だよな」
目を見開いて驚いているヴァネッサを見た、ギッシュが苦笑した。
「いつもそれくらい、もらっているんですか?」
「依頼してくる奴によるな。多いときもあれば、少ないときもある。だがな、ただ働きはしないと決めている」
「そうなんですね」
へぇ、とヴァネッサが言った。
「俺の帰りはいつも遅くなる。待たなくていいぞ」
「嫌です」
ギッシュの言葉に、ヴァネッサが即答した。
「どうしてだ?」
「オーダーをこなすたびに怪我をして帰ってくるのであれば、せめて大丈夫か確認したいんです」
「……好きにしろ」
ギッシュはヴァネッサのまっすぐな視線を受け止めて、溜息を吐きながら言った。