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哀れな女《1》

 ヴァネッサがいなくなると同時に、チャイムが鳴った。

 疲弊しきった男が中に入ってきた。

都筑つづきという女を殺してほしい。もう、一緒には暮らしていけない!」

 玄関で話を聞くギッシュ。

「冷酷な鬼神からの条件はふたつ。ひとつは、対象者を殺しても構わない。後悔しないという強い意志。そして多額の金。これらが揃えられないのであれば、帰ってくれとしか言えない」

「殺してくれなきゃ、先に進めない! か、金ならあるっ!」

 男は靴棚の上の台に、五十万をドンっと置いた。

「前金として五十万。成功報酬は?」

「同じ額を払う!」

「では、決行は一週間後の夜。その時間帯は家にいないように」

「わ、分かった!」

 男は言うと、家を出ていった。



「終わったぞ」

 ヴァネッサの部屋のドアを叩きながら、ギッシュが言った。

「それで、どんな内容だったんですか?」

「その前に、風呂入ってこい」

 ヴァネッサが着替えを抱えていたのを見たため、ギッシュが微笑しながら言った。

「はい」

 ヴァネッサは苦笑すると、バスルームに向かった。

 手早くシャワーを浴びると、急いでリビングに戻った。


「急がなくてもよかったのに」

 風呂上がりのヴァネッサを見ながら、ギッシュが苦笑した。

「お話聞かせてください」

「髪を乾かしてからだ。そんなに焦るな」

 ギッシュはきっぱりと言った。

「むう」

 頬を膨らませたヴァネッサは、髪を乾かしてから、椅子に座った。

「俺は殺しの依頼のことを〝オーダー〟と呼んでいる。今回は、妻を殺してほしいとの内容だった。疲弊しきっていた男からの話だが」

「離婚ですむわけではないんですね」

「そのようだ。俺なんかに頼ったって、いいことなんてひとつもないぞ」

 ギッシュは溜息を吐きながら、右手で頭を掻いた。

「そうなんですかね?」

「ん?」

 ギッシュが首をかしげた。

「私の推測ですが、どうにもならない状況にまで、追い込まれた人が辿り着くのが〝冷酷な鬼神〟なんじゃないんですか? 悪い状況を変えるために、最悪ともとれる手段を選ぶ……とかですかね」

「……追い込まれた人間の事情までは、首を突っ込まないからな。俺は殺すだけだ」

 恐ろしいほど冷めた目で言ったギッシュを見つめたまま、ヴァネッサは固まってしまった。



 それから一週間後、トサにオーダー禁止を解除され、一安心したギッシュは、夜になると支度を始めた。

 グレーのシャツとズボンはそのままに、いったん手袋を外した。

 あらわになった右手を見ながら、ひとつ息を吐いた。

 右手の動きを見て、なんの問題もないことを確認した。

 幾度となく、剣などを受け止めているのだが、傷ひとつないのには正直、驚いている。よほど硬いのかもしれなかった。

 ――水や砂埃にも強い。メンテナンスをする必要もない。本当に凄いものだな。

 ギッシュはそんなことを思いながら、刀を右腰に帯びて、コートを羽織った。

 最後に両手に革手袋を嵌め、息を吐き出すと、玄関に向かった。

「いってらっしゃい」

「ああ」

 ギッシュはフードを被りながら、家を出た。

 早足で歩くこと十分ほどで、対象者の家に辿り着いた。どうしたもんかと思ったギッシュは、ドアを足で蹴破った。

 大きな音が響き、ドアが派手に壊れた。

 中にはその音に怯える女が一人いた。

「都筑だな?」

「な、なにをしにきたの?」

「貴様を殺しにきた」

「下がって!」

 鋭い声が響くと同時に、一人の男が割り込んできた。

 男が短剣を繰り出してきた。

 ギッシュは右腕で短剣を受け止めた。

 ――がきんっ!

「なっ! まさか、お前、ギッシュ・キルロール!?」

 切れた服から覗く義手の一部を見た男が、驚愕した。

「どうして名を知っている?」

 ギッシュがいぶかしげな顔をした。

「ぼくは、大分前に国の軍にいた。そこで聞いたんだ。〝孤高の鬼神〟と呼ばれる、誰よりも敵を殺している男がいると。軍の中でその名を知らない者はいなかった。ある日突然、行方知れずとなっていたはず。本当かどうかは知らないけれど、片腕を失って義手をつけられたとか……まさか、生きているなんて」

「噂程度のことは知っているわけか。右腕を失ってまでも戦い続け、こちら側の勝利を告げる銅鑼どらの音を聞いて、俺は意識を手離した」

 ギッシュは冷たい目をして言い放った。

「そんな奴が、こんなところで殺しをしているなんて。堕ちるところまで堕ちたのか」

「かもしれないな。俺は誰かを殺さなければならない。俺にはそれしかできないからな。無駄話はここまでだ」

 ギッシュは鼻で嗤い、刀を抜いた。

「なっ……!」

 男は刀身を見て目を見開いた。

 てつこんの刀をしていたからだ。妖刀のようにも見える。

「みな、そういう顔をする」

 見飽きたと言わんばかりにギッシュが呟くと、右手で男の横っ腹を殴った。

「がはっ!」

 男は右に吹っ飛ばされ、壁に激突した。咳き込みながら、男は立ち上がった。

「こんな女、守る価値などないだろうに」

「ぼくを倒したら好きにすれば?」

「そうさせてもらう」

 ギッシュは言うと、男との距離を詰めた。

 男が短剣を繰り出してきた。

 右腕が何か所も斬り裂かれ、コートとシャツがボロボロになったが、互いに動きは止めない。

「その刀は玩具おもちゃなのかっ!」

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