長い間待たせてしまったというのに、ヴァネッサの声に怒りは感じられなかった。
「そらよ。ここが、リビングで、そっちがキッチン」
ギッシュはキャリーケースを持ってくるなり、説明を始めた。
玄関から入ってくると、手前にダイニングテーブルと椅子があり、その奥にキッチンがある。反対側には、大きめのソファと、それに合わせた高さのテーブル。大画面のテレビの下に、ブルーレイレコーダーが置かれている。割とシンプルな感じだった。
「右側が俺の部屋で、左の部屋は、こんな感じだ」
ギッシュは言いながら、左のドアを開けた。
六畳ほどの室内には、入ってすぐにクローゼットがふたつあり、部屋の奥にはベッドがあった。窓もあった。
小さめのテーブルとクッションが置かれていた。このクッション、意外と可愛いものだった。
「掃除はしておいたし、ベッドの方も新品にしておいたが……。気に入ってもらえただろうか?」
ギッシュが振り返って尋ねた。
「アパート暮らしのころは、こんなに広い部屋じゃなかったんで、とても嬉しいです! 大事に、使わせていただきます!」
ヴァネッサが言いながら頭を下げた。
「よかった。荷解きが終わったら、声かけてくれ」
ギッシュは言うと、自室に引っ込んだ。
彼の部屋はというと、入った奥にクローゼットがあり、右奥にベッドがある。その傍らにはサイドテーブルが置かれている。家具の色はこの部屋だけで言えば、すべてダークブラウンで統一している。
その真ん中には、高めのイスとテーブルがある。そこのテーブルにスマートフォンを置き、ギッシュは刀をクローゼットの隠し棚に仕舞い込んだ。
返り血で汚れた服を布袋に突っ込んで、ふうっと息を吐き出した。
着替えをすませると、窓辺に椅子を持っていき、年季の入った灰皿と煙草のケースを手にして、窓を開けた。
なにか考えたいときや、落ち着きたいときに、よくこうして煙草を
――これから、どうなっていくんだろうな。
ヴァネッサを迎え入れたギッシュは、そんなことを思っていた。
しばらく煙草を喫っていると、ノックの音で我に返った。
「どうした?」
煙草を灰皿に押しつけながら、ギッシュが声を出した。
「荷解き、終わりました。少し、休憩でもしませんか?」
「ああ、そうしよう」
ギッシュは窓を閉めて立ち上がった。
「冷蔵庫は……お酒しか入っていないじゃないですか」
中を確認したヴァネッサが、苦笑した。
「まあな」
椅子に座ったギッシュも苦笑した。
「後でいいんで、買い物、付き合ってもらえませんか?」
「いいぞ。休憩が終わり次第、いこうか」
「はいっ! あ、飲み物、なににします?」
「コーヒー、ブラックでいい」
「はい、先にコーヒーのブラック。私はココアでも」
ヴァネッサが言いながら、コーヒーの入ったマグカップを置いて、キッチンに戻っていく。
その様子を面白そうに眺めているギッシュ。
「どうしたんです?」
しばらくすると、ココアの入ったマグカップを持ったヴァネッサが戻ってきて、首をかしげた。
「いや、なんでもない。……完全に忘れていた」
ギッシュはマグカップを手に立ち上がり、リビングから続く廊下を見せた。
奥の方には脱衣所と洗濯機があり、手前にはトイレへと続くドアがあった。
「分かりました!」
ヴァネッサがうなずいた。
それからしばらくして、休憩を終えた二人は、それぞれ自室に引っ込んで、身支度をすませると、玄関で落ち合った。
「なんで、武装するんですか?」
「出かけるときは、なにがあるか分からん。念のためだよ」
ギッシュは苦笑して、ヴァネッサとともに家を出た。
二人が向かったのは、歩いて十分ほどのスーパー。
ギッシュはフードを目深に被った。
それを見たヴァネッサは、よほど人に見られるのが嫌なのかもしれないと思った。
「ギッシュさん、夕食、なにがいいです?」
「食えれば、なんでもいい」
「好き嫌いとか、あります?」
「ない」
「じゃあ、和食にしましょうか」
「なに作るんだ」
ギッシュは和食と聞いて、きょとんとした。
「帰ってからのお楽しみですよー」
ヴァネッサが言うと、カートに入ったカゴに次々に材料を放り込んでいった。
「あ、お米、ありましたっけ?」
「多分、ない」
「じゃあ、買いましょう!」
お米のコーナーまでいって、ヴァネッサが一つ選んで持ち上げようとする。
「俺が持つ」
米を持たせるわけにはいかないと思ったからか、ギッシュが言った。
「じゃ、カートの下に」
「これでいいか?」
「はい! あ、じゃあ、米びつも買わないとですね」
「あー、米を保管するあれか?」
「そうです、あ、ありました!」
中くらいの大きさの米びつを見つけて、ヴァネッサが駆け寄ってきた。
「あ、お菓子買いましょ! お菓子!」
ヴァネッサは子どものように輝いた顔をして、お菓子コーナーにカートを押していった。
「あんな顔をしなくてもいいだろうが」
ギッシュは溜息を吐きながら、追い駆けた。
「これとこれ! ……ダメですか?」
子どものような振る舞いをしているヴァネッサが、ギッシュに視線を向けてきた。
「ダメとは言わんから、好きなの持ってこい」