娘を溺愛する父・エリク伯爵からの返事は、翌朝には届いた。
今朝は宝石店の3階で朝食をとりながら、届けられた封筒の封を切って、リリアンローゼは中身を確認する。
こっそりと出国するために必要ないくつかの書類に問題はなく、添えられた手紙の5枚中3枚を読まずに脇にどけ、4枚目の中段から目を通していく。
「さすが、お父様、前置きは長いけど、仕事は早いわ。隣国への入国許可証と偽の身分証は、3日後に用意できるみたい。ただ、気懸かりなのは……」
「何か問題でもありましたか?」
ポットから紅茶をそそぎながら、メルケルが訊いてくる。
5枚目の便箋を指で弾いたリリアンローゼは、心底嫌そうに云った。
「闇オークションの招待状については、ヴィクトル・ユグナーが手配するって、早朝に連絡があったそうよ」
「そうですか。まあ、情報提供者ですからね」
「でも、情報を得ただけで、わたしが隣国に潜入することは隠していたのよ。どうせヴィクトルは、どこからでも潜入できるだろうから、わざわざ招待状なんて入手する必要はないだろうし……」
溺愛する娘の動向を、父が得体の知れないギルドマスターに漏らすとは思えない。
そもそも、昨日の今日で、なんで、バレたんだろ。
「色々と邪魔されたくないから、別行動にしようと思っていたのに」
予定が狂ってしまった。
湯気の立つカップに口をつけたリリアンローゼは、褐色の肌に紅い魔眼を持つ相棒のダークエルフをジッと見つめた。
「どうも最近、情報が漏れすぎなのよねえ。メルケル……あなた、スパイってことはない? 【黒狼】に買収でもされた?」
スパイ容疑をかけられた家令は、深い溜息を吐いて、ここ最近で一番冷たい目を主人に向けた。
「明日の朝のモーニングティーですが、果肉たっぷりフルーツティーから、出涸らし茶になる予定ですので、あしからず」
すっかり、お
「ごめん、メルケル」
「非常に心外です。ちなみに、朝だけはありませんからね。ハーブティーは、白湯になりますから。お情けでレモンの皮を切り刻んで浮かべてあげます。ミルクティーについても、白湯に数滴のミルクを垂らすだけです」
どうやら、お茶で報復されるらしい。
怒り心頭の家令に「冗談だってえ~」と許しを請い、
「わたくしの場合は、二度目からマジでありませんよ」
昨日の自分を揶揄されて、なんとか明日もフルーツティーで朝を迎えられることになり、ホッと一安心のリリアンローゼだった。
相棒の機嫌がなおったところで、朝食を終えて、テーブルから立ち上がる。
「さてと、そろそろ町に行こうかな。1件目の事件の被害者について調べないとね。メルケル、今日は侍女の姿でついてきてね。聞き込みには、若い女ふたりの方が、相手も口が軽くなるでしょうから」
そうして意気込んではじまった聞き込み調査。
第1事件の被害者は、地方から働きに出てきた平民の若い男で、港で荷下ろしの仕事をして生計を立てていた。
仕事仲間に話しを聞いたところ、ギャンブルが好きで、類に漏れず借金を抱えていたそうだ。
男の実家は王都から離れた田舎町にあり、事件後、年老いた両親に代わり姉がやってきて、先日、検死が終わった遺体を引き取り、王都の火葬場で遺灰になったという。
「たぶん、今日あたり、遺品の引き取りと部屋の退去手続きをしているはずだ」
その情報を元に、リリアンローゼと侍女メルケルは、その足で被害者の男が暮らしていた部屋と向かった。
労働者が多い集合住宅の一室に到着したとき、案の定、大家とみられる男に詰め寄られている女性がいた。
「滞納家賃は3か月分だ! 遅延金を含めて支払ってくれ!」
「申し訳ありません。いま、手持ちがこれだけしか無くて……」
女性が差し出した袋を奪い取るようにして、中身を確認した男は、
「1万ゴールドぽっちで足りるわけがないだろう! いったい、いくらだと思っているんだ!」
激高する男に、女性が萎縮したところで、リリアンローゼが声をかけた。
「いくらなの?」
「いくらって、そりゃあ……3万ゴールドだ」
背後からの問いかけに、思わず答えてしまった男が振り返る。
「……なっ、あなたは……その」
この界隈にはまったく不釣り合いな貴族令嬢を前にして、さっきまで威勢よく大声をあげていた男の口があんぐりとなった。
「湾港地区で3か月分の家賃が3万ゴールドですって? そんなの聞いたことがないわ。ぼったくりもいいところね」
「レディ……それは、その、遅延金がありますから。それに借主が殺害されて事故物件となりまして、わたしも困っているんですよ」
貴族相手に一気に低姿勢なった大家に、侮蔑の視線をこれでもかと浴びせたあと、リリアンローゼは一気にまくしたてた。
「なにが事故物件よ。ここが、殺害現場だとでもいうわけ? 新聞によると酒場の裏手とあったわよ。どうなのよ! 新聞社に問い合わせてみましょうか?!」
「申し訳ありません。わたしの勘違いだったようです!」
「そうでしょうね! それから、いつからこの界隈は1か月の家賃相場が10倍に跳ね上がったの?! この建物で部屋を借りている全員が毎月1万ゴールド近く支払っているわけ? それとも、アンタが事故物件と勘違いしていたその部屋が、三食付きのメイド付きで、仕事場までの送迎馬車付きの、豪華絢爛な特別室なのかしらっ!」
「いいえ、いいえ……」
リリアンローゼの剣幕に、男はガタガタと震えだす。
「今すぐ帳簿を持ってきなさい。それを見て判断してあげる。こちらの女性に不当請求していることが発覚したら、すぐさま治安維持隊に来てもらうから。覚悟なさい。ところで、あなたの名前は? 聖騎士団の友人も知らせないと、湾港地区で暴利をむさぼる悪徳大家がいるってね!」
「申し訳ありませんでしたーッ! 家賃はけっこうでございます! どうか、ご勘弁を―ッ!」