「サイコパスでも現れたのかしら?」
今朝の新聞を開きながら、伯爵令嬢リリアンローゼ・エリクはつぶやいた。
王都での連続殺人事件を報じる記事に夢中になり、朝食に手をつけないお嬢様に、家令兼侍女兼護衛として仕えるダークエルフのメルケルは、冷めたお茶を魔法で温め直した。
「フルーツだけでも召し上がってください。そろそろ準備をしていただかないと、依頼者がご来店されます」
「わかっているわ」
そう云って、8等分にカットされたオレンジとブルベリーを口に放り込んだリリアンローゼは、もう一度、最初から記事に目を通した。
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昨日、未明。
中央市場の路地裏で、
高利貸しを営む男の遺体が発見される。
上半身に複数の刺し傷があり、
貸付金の集金後に襲われた模様。
現場には、被害者の鞄が残されており、
集金されたおよそ5万ゴールドは持ち去られていた。
王都では1週間前にも、
同様の手口による殺人事件が起きており、
事件を捜査する治安維持隊は、
関連を調べている。
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それから1時間後──
リリアンローゼは経営する宝石店の2階で、本日の依頼者が持参した首飾りの鑑定をしていた。
王国で唯一の宝石眼が、ルーペを通して、琥珀色の宝石の真贋を見極めていく。その様子を、真向いに座る貴婦人は、固唾を飲んで見守っていた。
「ベルナルド侯爵夫人、お待たせしました。こちらの琥珀石は本物です」
リリアンローゼの言葉に、ホッと胸をなでおろした侯爵夫人に、
「ただし、魔力はありませんね。宝石の価値だけでいえば、10万ゴールドが妥当かと」
ガッカリなお知らせが付け加えられた。
「ああ、やっぱりダマされたわ。魔石だって云うから、なけなしの現金はそのままにしてやって、琥珀石を慰謝料代わりに手を打ってやったというのに。あの男ときたら……」
侯爵夫人の云う「あの男」とは、先月、ついに侯爵邸から追い出された夫のことだろう。
侯爵家に婿入りした夫は、数年前から若い女たちと浮気を繰り返し、いくつもの決定的な証拠を突き付けられたうえ離婚となった。
その離婚の証拠集めと浮気夫の素行調査をしたのは、何を隠そうリリアンローゼだ。
貴族の離婚には、国王と神殿の了承がいるため、現在、離婚請求書を提出しているが、書類が受理され、正式に離婚が成立するには、あと1カ月はかかる。
それまでは、侯爵夫人という立場であるが、夫から爵位を取り戻したあとは、ベルナルド侯爵家の当主となる夫人に、リリアンローゼは訊ねた。
「どうしますか? 追加で慰謝料を請求されますか?」
「やめとくわ。それをすれば財産分与のいざこざで、離婚請求の受理も遅れてしまうでしょうから。それに、あの男から取れるものなんて、もうほとんどないでしょう。なにせ、わたしが裸一貫でたたき出してやったのだから」
夫との結婚生活に終止符を打った夫人は、晴れやかな顔で云った。
「この離婚で、あの男の名誉を失墜させて、社交界から追放するという目的は達成されたわ。リリアンローゼ様には感謝でいっぱいよ。その琥珀石だけど、今日の鑑定料と相談料として受け取ってちょうだい」
「さすがに、10万ゴールドはいただけません」
「まあそう、おっしゃらずに。また依頼をさせて頂くことになると思うから。次はしっかりと素行調査をしてから、殿方とお付き合いしないとね」
未来の女侯爵が上機嫌で帰ったあと。
「メルケル、この間、オークションで手に入れた『
「はい、お嬢様」
「あれなら魔力が宿っているから、守護石になるわ。ベルナルド侯爵家の新しい門出にぴったり。離婚が成立したタイミングで贈っておいてね」
「かしこまりました。ところでお嬢様、さきほど屋敷の方から、こちらが届きました」
メルケルから差し出された封書を見て、ギョッとしたリリアンローゼ。
「ちょっと待ってよ。この
「カール国王陛下の紋章ですね」
「わたし宛で間違いない? もしかしたら、お父様宛ての封書ってことは……」
「ないですね」
往生際が悪いな、という目で、リリアンローゼを見たメルケルは、男性の姿から、魔法で侍女の姿になる。
「陛下の側近として日々登城しているご主人様に、なぜ、わざわざ封書を送る必要が? そもそも、急ぎでなければ、お嬢様への伝言も、ご主人様に言付けするはずです。それにもかかわらず、王城から早馬で当家に届けられたということは、よほど緊急性のある──最後までご説明した方がよろしいですか? わたしくしとしては、急いだ方がよろしいかと」
「わかってるわよっ!」